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冷遇された後妻ですが、義理の息子を守っていたらいつの間にか家族になっていました  作者: 秋月 爽良


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第六の手 契約婚、承りました

「誤解しないでほしい、君を愛するつもりはない」


 目の前の扉の向こうでは、祝福のざわめきが徐々に大きくなっていた。


「この婚姻は、契約だ」


 新郎の衣装を着た、背の高いリューンハルト辺境伯――レオニスの腕に手を添えた瞬間、淡々とそう告げられた。


 ……ここに来るまでの王家とのやり取りを思い出すだけで、少し胃が重くなる。


 アレクシスとの婚約破棄は、あの場にいた貴族たちの証言と、医師の診断書によって正式に認められた。


 問題はその後で、オズワルドが私を妃に望んだことで、王宮は再び騒がしくなった。


 だけど、甥の元婚約者を王弟が娶るとなれば、反発が出るのは当然だった。

 国王陛下もすぐに頷くことはできず、その間に、父は北の辺境伯家との縁談を進めた。


 私自身がそれを望んだこともあり、王家も強くは引き止められなかった。

 そして今、北の辺境伯家へ嫁ぐため、祝福のざわめきが満ちる扉の前に立っている。


 何、この人……さすがに失礼でしょ。

 私の方を見ようともしないし。


 扉の横に立つ執事へ視線を向けると、彼は一瞬眉間にしわを寄せて目を逸らした。


「……それは、どういう——」


「辺境伯夫人として必要なものは用意する。体面を保つための金も、好きに使うといい。ただし——これ以上、不名誉な噂を持ち込まれては困る」


 ああ、あの噂を信じてるんだ……なるほどね。

 説明したところで、今は聞く耳を持っていなさそうだし、無駄みたい。


「君にとってもこの婚姻は都合が良かったのだろうが——」

「承知しました」


「は……?」

「承知しました、と申し上げたんです」

 

 ……つまり、私はこの家で自由ってこと。

 彼の言う通り、夫人の権限を存分に使わせてもらう。


 私を信用していないのならそれで結構、私もあなたには期待しないから……!


 扉の向こうから、式の始まりを告げる鐘の音が響いた。

 案内役の執事がこちらを見て、小さく頭を下げる。


「お時間でございます」


 返事の代わりに軽く頷くと、隣に立つレオニスの腕へ添えた指先に、ほんの少しだけ力を込めた。


 花の香りがすごい……それに、招待客の数も多いのね。


 誰もが祝福の笑みを浮かべている。

 長く空いていた女主人の席がとりあえず埋まるのは、きっと彼らにとって嬉しいことなんだろう。


 当の新郎新婦の間には、甘い空気もへったくれもないけどね……。


 これから私の夫になる隣のレオニスは、前だけを見ている。

 背筋は伸び、その足取りに迷いはない。


 まるで結婚式じゃなく、会議にでも向かうみたい……だったら、こっちもそれに合わせるだけ。

 私は口元に笑みを浮かべ、ゆっくりと歩き出した。


 司祭の前に立つと、レオニスがようやくこちらへ視線を向けた。

 淡い灰色の瞳は、やはり冷めている。


 祝詞を聞きながら、私は静かに息を吸った。


 王都から逃げるために選んだ婚姻だし、愛情を期待していたわけじゃない。

 優しい夫を夢見ていたわけでもない。


 ……それでも、侮られたまま大人しくしているつもりはないから。


「汝、レオニス・リューンハルトは、エリシア・ローゼンベルクを妻とし――」


 司祭の厳かな声が、広間に響く。


「誓います」


 隣から返ってきた誓いの言葉は、驚くほど淀みがなかった。

 冷たいくせに、形式だけは完璧だなんて、本当に腹が立つ。


 誓いの言葉以外、私は無駄に口を開かず、淡々と結婚式を済ませた。

 参列してくれた家族は、その様子に心配そうな顔をしていたけど、これはレオニスからの宣戦布告よ。


 式が終わると、招待客たちはそれぞれ祝いの言葉を口にしながら、用意された広間へと移っていった。


「奥様、こちらへ」


 先ほど扉の横に立っていた執事が、恭しく頭を下げる。

 

 席に着くと、隣に腰を下ろしたレオニスは、すぐにグラスへ手を伸ばした。

 こちらへ話しかける気配はなく、誓いの言葉が終わった瞬間から、役目は済んだと言わんばかりだった。


 本当に徹底してる……愛する気はないと言うだけのことはあるじゃない。


 そう思った瞬間、ふと向かいの席に座る男と目が合った。

 穏やかな笑みを浮かべる、辺境伯の叔父――グレゴール・フォルスター子爵だった。


「……エリシア様、本日は誠におめでとうございます」


 柔らかな声で告げられ、私も笑みを返す。


「ありがとうございます。縁談のことでは、大変お世話になりました」


「いえいえ。辺境伯家にとっても、これほど喜ばしいことはありません。屋敷に新しい女主人を迎えられることを、みな心待ちにしておりました」


 本当にそうなの……あの噂を知っていて?


 表面上は何の問題もないけど、胸の奥に小さな違和感が残る。

 グレゴールは相変わらず用意された料理にも手をつけず、今回も銀製の小さな携帯瓶を傍らに置いていた。


「……ところで、テオドール様には、後ほどご挨拶できますでしょうか」


 隣で酒をあおっているだけの男に聞いたところで、まともな返事が返ってくる保証はない。

 それならこっちに聞くだけよ。


 グレゴールはレオニスを見つめ、わずかに眉をひそめた。


「……本来であれば、この場でご紹介したかったのですが、あの子はまだ体調が安定せず……今日は部屋で休ませております」


「そうでしたか」


 病弱だとは聞いていたから、無理に婚礼の場へ出す必要はないよね。

 三歳の子供なら、知らない大人ばかりの場所に出るだけでも負担になるだろうし。


「無理をさせるつもりはありませんが、私も今日からこの家の者です。ご迷惑でなければ、落ち着いた頃に顔を見せていただければと思います」


「ええ、もちろんですとも。テオドールもきっと喜びますよ」

「必要以上に構うことはない」


 グレゴールが微笑んで答えると、隣から冷たく低い声が割り込んだ。

 広間のざわめきに紛れるほどの声だったけど、私にははっきり聞こえた。


「……それは、どういう意味でしょうか」

「テオドールは体が弱い。慣れない相手と会わせれば負担になる」


 へぇ……関わらせたくないってこと?


「……承知しました。では、無理のない範囲で」


 そう答えると、レオニスはそれ以上何も言わなかった。


 宴も挨拶も終わり、夫婦の寝室へ入った私は、ベッドの真ん中に枕やクッションを並べ始めた。


「……何をしているんだ」

「ここからこっちには入って来ないでください。ではお疲れ様でした」


「お、おい……」


 布団に潜り込み、彼に背を向けて目を閉じた。

 跡継ぎはもういるし、この結婚で子供を作るなんて約束は交わしていない。


 ……それに契約だと、最初に言ったのは自分でしょ?


 しばらくは警戒しながら様子をうかがっていたけど、長旅の疲れか、レオニスの言葉で思ったよりダメージを受けていたのか、いつの間にか眠ってしまっていた。


 翌朝、目を開けると、眩い朝の光が見慣れない高い天井を照らしていた。

 隣を見ると、レオニスの姿はもうそこになく、仕切りの向こうの寝具は冷え切っていた。


 ……いや、冷え切っているどころか、人が横たわった気配すらなかった。


 体を起こし、ふと部屋の隅にある豪奢な長椅子に目を留める。

 そこには誰かが身体を横たえていたのか、不自然なクッションの沈み込みと、乱れた毛布がそのまま残されていた。


「……もしかして、ソファで寝たの!?」


 昨日の、あの冷徹な態度。

 形ばかりの初夜を終え、レオニスは文字通り、私に指一本触れることなく夜を明かした。


 無言の拒絶ってわけね……。


 その痕跡を前に、小さく息を吐いた。


「おはようございます、お目覚めになられましたか?」


 声をかけてきたのは、扉のそばに控えていた年配の女性だった。

 灰色混じりの髪を後ろでまとめ、穏やかな表情を浮かべている。


「昨日はお式でお疲れでしたでしょう。お加減はどうですか、奥様」

「大丈夫よ、ありがとう……あなた、名前は?」

 

「私はマリネと申します。この屋敷で、坊ちゃまの乳母を務めております」


 坊ちゃま……レオニスの息子の、テオドールのことね。


 乳母は丁寧に頭を下げたものの、新しく来た後妻を品定めするような視線を向けてくる。


「……それで、旦那様はどちらにいらっしゃるのかしら?」

「夜が明ける前に出立されました。早馬で使者が参りましたものですから……」


 私の問いに、マリネは微かに口元を引き結び、言葉に詰まる。


「え!? もう仕事に戻ったの?」

「あの……はい」


 私が素っ頓狂な声をあげると、部屋の中には微妙な緊張が漂った。


「……そう、分かったわ。支度をするから誰か呼んでくれる?」


 ため息交じりに指示を出すと、マリネはなぜか私ではなく、寝台の足元へ視線を向けた。

 

「承知いたしました。では坊ちゃま、行きましょうか」

「えっ、坊ちゃま!?」

 

 考える間もなく、布団の端に小さな手がポンと乗った。

 驚いて見ると、ふにゃふにゃのくせ毛の幼い子どもが、じっとこちらを見上げていた。


「……母(かあ)しゃま、おきたんでしゅか?」

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