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冷遇された後妻ですが、義理の息子を守っていたらいつの間にか家族になっていました  作者: 秋月 爽良


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第四の手 さらなる泥沼の予兆

 視界を埋め尽くすのは燃えるような深紅のバラで、一束や二束なんてレベルじゃない。

 大きな花瓶がいくつも並べられ、全体がむせ返るような甘い香りに包まれている。


 ……オズワルド殿下は、これを一晩で用意したってこと?


「これだけじゃないわ、貴女の好きな蜂蜜菓子もあるの。昨日お医者様に、食欲がないって零(こぼ)していたのを覚えていらしたのね。なんて細やかなお気遣いかしら!」


 ナタリアは、頬を赤らめて少女のように手を合わせている。

 テーブルの上には、蜂蜜菓子が贅沢な箱に詰められて鎮座していた。


 食欲がないって……あれは、診断書に書く症状を盛るために、誘導尋問みたいに言わされただけなんだけど。


 正直、嬉しいというより意外だった。

 婚約が破棄された途端に、彼女の好物と花束を最速のタイミングで届ける。


 エリシアとはそこまで仲が良かったわけでも、もちろん親密な関係だったわけでもない。

 それにこれは、お見舞いという名の、逃がさないよという宣戦布告に感じた。


 コンラートも、バラの陰から複雑そうな、でもどこか誇らしげな顔を覗かせる。


「……エリシア、カードも届いておるようだ」


 花束に添えられたカードを受け取り、そっと開いてみる。

 そこには、昨夜のあの声を思い出させるような、流れるようで力強い文字が踊っていた。


『体調はどうだろうか。昨夜の君の瞳が忘れられない。近いうちに、私の邸でゆっくりと茶を飲まないか。迎えの馬車は、君の準備が整い次第いつでも出そう。――オズワルド』


 急展開すぎる……思わず声が出そうになったじゃない。


「エリシア、婚約破棄なんてこれからどうなるかと不安だったけど、これで貴女も幸せになれるわね」


 ナタリアの能天気な言葉は、今の私には呪いのように響いた。

 このままオズワルドと結婚すれば、そうなるかもしれないけど、その代償は……。


 王家のドロドロした政治劇のど真ん中に、放り込まれる。

 

 第2王子のアレクシスはアホだけど、その分、操りやすい。

 彼を推す高官や貴族も少なくない。


 エリシアの記憶によれば、第1王子のセドリックは優秀で、彼が次期国王だと誰もが思っている。

 ただそれは、無事に生き延びた場合のみ。


 オズワルドだってまだ若いし、チャンスがないわけじゃない……それに、彼なら自分でその機会をいくらでも作れそう。


 ……まさか、それを狙って、この侯爵家の娘に近づいたの?


「エリシア様、王弟妃なんて素敵です!」


 周囲を見れば、メイドたちまでもが期待の眼差しを向けている。

 外堀は、昨夜のうちに音を立てて埋められていた。


「う、甘っ……!」


 私は蜂蜜菓子をひとつ口に放り込み、その強烈な甘さに眉をひそめた。

 このままだと、彼の駒のひとつにされてしまうのかもしれない……。


「お父様、お話があります」


 ……コンラートならまだ話し合いの余地はありそう。


 この甘くて重い、息の詰まるような王都で、エリシアの大切な家族を巻き込まず、かつオズワルドが手を出せないように。


「お父様、少し真面目なお話がしたいのですが……ふたりだけで、よろしいでしょうか」


 コンラートに声をかけると、彼は少し驚いた様子を見せながらも真剣な表情でうなずき、メイドたちに贈り物を片付けるよう指示を出す。


「では、ワシの執務室で一緒に朝食をどうだ?」

「ええ、いいですね」


 まだキャアキャアとはしゃいでいるナタリアやメイドたちから離れ、私たちは静かに話せる場所へと移動する。


 出された朝食に少し手をつけ、目の前のコンラートが落ち着いた頃を見計らって話を切り出した。


「……オズワルド殿下からのあのお見舞い、お父様はどう思われますか?」


「どう、とは……我が侯爵家をこれ以上なく重視してくださっている証拠だろう。アレクシス殿下に無体にされかけたお前を、救おうとしてくださっている」


「表向きは、そう見えますよね」


 私は小さくため息をつき、エリシアとしての記憶を頭の中で整理しながら、静かに言葉を紡いだ。


「……私は昨日、婚約破棄を突きつけられたばかりです。それなのに、親しくもなかった王弟殿下が、一晩でこれほどの贈り物を届ける必要があったんでしょうか」


「それは……お前を深く案じておられるからでは?」

「いいえ。これは包囲網だと思います」


 コンラートが息を呑むのが分かった。

 私は身を乗り出し、声を潜めて一気に核心を突く。


「……王宮では、次期国王の座を巡って、不穏な空気が流れているのはご存知でしょう?」

「エリシア、お前、なぜそんなことまで……」


 彼女は王子妃の教育を受けていたんだから、そのぐらいは気付いていてもおかしくはない。


「あの方は、我が侯爵家の権力と財力を味方につけようとされているのではないでしょうか」 

「……どういうことだ」


 私の言葉の意図に気付いたのか、コンラートの顔から血の気が引いていく。


 優秀すぎる王弟が、自ら王位を狙って動き出す――貴族として、それがどれほど血生臭い泥沼の始まりを意味するか、彼なら痛いほど分かっているはずだ。


「もし私がこのまま王弟妃になれば、我が家は真っ先に矢面に立たされます」


 動揺している様子のコンラートの手からフォークが落ち、カチャリと音を立てた。


「……だが、それは王子妃になったとて、同じことだったろう」


 娘がただ王弟の寵愛に浮かれているのではなく、実家の危機を予見して恐怖しているのだと、ようやく理解したらしい。


「いいえ、お父様。問題は、今まで有力な後ろ盾を持たなかった王弟殿下が、私を通して、我が侯爵家の力を得る機会を手に入れたことです」


「……しかし、殿下の狙いが仮にそうだとしても、どうすればいいと言うのだ。王家からの求婚を無下に断れば、それこそ角が立つ」


 女性として貴族に生まれた以上、それがたとえ望まぬ結婚だとしても、どこかへ嫁がなければならないのは分かってる。


「ですから、私の縁談を早急に決めてほしいのです。一度婚約破棄された身ですから、もうどこへでも行く覚悟はできています」


「し、しかし……」


 コンラートは口をつぐんで、そのまま黙り込んでしまった。


「それに婚約は破棄になったとはいえ、王家から再び王子妃として縁談が持ちかけられる可能性も、全くないとは言えないのではありませんか?」


 私がその言葉を口にした途端、彼はハッと目を見開いた。

 国王は果たして息子と弟、どちらを選ぶのだろうか。


 これまで、あのアレクシスの好き勝手を咎めようともしなかった国王は。


 コンラートとの話し合いは、その場では結論が出ないまま解散となった。


 それもそうだ、いくら危険だと分かっていても、相手はあの王弟殿下。

 こちらから一方的に、突っぱねられる相手じゃない。


 ――そして数日後。


 事態は、私の予想を遥かに超える最悪のスピードで動き出した。


「エリシア、いるか」


 夕刻、城から帰ってきたコンラートが、私の部屋を訪れた。

 その顔はこれまでに見たことがないほど青白く、困惑と恐怖が入り混じった複雑なものだった。


「お父様……城で何かあったのですか?」


 私が椅子を勧めると、彼は力なく腰掛け、重いため息を吐き出す。


「陛下に呼ばれてな……恐れていたことが起きた。エリシア、お前を巡って王宮が完全に割れている」


 彼の話を要約すると、状況はまさに泥沼の一言だった。


 まず、オズワルド殿下が正式に「エリシア嬢を我が妃に」と国王陛下に願い出たらしい。

 今まで有力な後ろ盾を持たなかった王弟が、ついに本気で動き出した。


 だけど、事態はそれだけで終わらなかった。


「……アレクシス殿下が、猛烈に反対していらっしゃるのだ。婚約破棄は無効だ、エリシアはまだ自分の婚約者で横取りされるのは納得がいかない、と」


「はあ!?」


 思わず素で声が出ちゃったじゃない……諦めたと思ってたのに。

 夜会で婚約破棄を叩きつけておきながら、どの口がそれを言うんだろ。


 でも、アホなアレクシス殿下が焦るのも無理はない。


 側近に、侯爵家という強力な後ろ盾がオズワルド殿下に渡ったら、彼はもう終わりだとでも入れ知恵されたんだろう。


「だが、そのおかげで、陛下もすぐには決断を下せない状態だ。アレクシス殿下の醜態は、多くの貴族が目撃しているし、我が侯爵家としても到底受け入れられん……ただ、問題はそこだけではなくてな」


 コンラートは苦渋に満ちた表情で、声を潜めた。

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