第三十四の手 奥の手
「うーん、この屋敷の中に、日記がまだ残されてるかもしれないってことよね……?」
「母しゃま、かくれんぼ?」
「ん? ふふふ、そうね」
マリネに教えてもらった、キアーナ様が生前よく使っていた部屋を片っ端から探してみたけど、そう簡単には見つからない。
クローゼットの中に入り込んで四つん這いになっている私を、気がつくとテオが後ろからじっと眺めていた。
「だめ、見つからない」
「だめー、見つからない」
お行儀悪く床に座り込むと、テオも真似してゆっくりと横に座る。
そのまま後ろにコロンと転がって楽しかったのか、ひとりで笑っていた。
「お腹空いたね。ニコラスに何か作ってもらおうかな……テオも行くでしょ?」
「いくー!」
ぐしゃぐしゃになった髪の毛をとかそうと、何気なくドレッサーの引き出しに手をかける。
そういえば、衣類や装飾品は実家へ返したけど、大きな家具までは運ばなかったってマリネが言ってたっけ。
このドレッサーも、キアーナ様が使っていたものなんだよね。
「もしかして、二重になってたりして……!?」
何か残ってないかな……手紙でも、メモでもいい。
引き出しをひとつずつ開けて、中身を確かめていく。
だけど、出てくるのは見慣れた小物ばかりだった。
「……やっぱ、ないかー」
「ないかー」
引っ張り出した引き出しを戻しかけて、ふと手が止まった。
「あっ!」
手が滑って、引き出しが派手な音を立てながら床へ落ちる。
「ごめんね、びっくりしたでしょ?」
「だいじょぶ」
テオの頭を撫でてから、散らばった小物を拾い集める。
その時、引き出しの底に妙な隙間があることに気づいた。
「……ん?」
落とした衝撃で底板がわずかにずれ、その下からもう一枚、薄い板の端が覗いている。
「まさか……ほんとに、二重になってたの?」
隅に爪をかけると、薄い板がわずかに浮いた。
その下に隠されていたのは、古びた一冊の手帳だった。
震える指で表紙を開くと、最初のページには、ひとつの名前が記されていた。
――キアーナ。
「これ、レオニスと結婚するより、かなり前のことが書かれてる……」
ページをめくるたび、今まで知らなかったキアーナ様の気持ちが少しずつ見えてくる。
——彼女には、愛した人がいた。
貴族ではない男性で、ご両親に反対されても忘れられなかった人。
『お父様とお母様に、すべて知られてしまった。もう、あの人とは会ってはいけないと言われた』
その数ページ先で、私の指が止まった。
『彼の子を身ごもった』
「まさか……」
さらに読み進めると、ご両親は娘の妊娠を知って、急いでレオニスとの結婚を進めたらしい。
『この子だけは、何があっても守らなくては』
そこからの日記には、何度もテオのことが綴られていた。
テオを本当に愛していたこと。
『もしレオニスとの間に子供ができれば、この子はどうなるの?』
レオニスを遠ざけていたのは、彼を嫌っていたからだけじゃない。
彼との実子ができれば、テオの立場が危うくなる……それを恐れていた。
「そんな……全てはテオを守るためだった」
事実を知ってしまった私は、これからどうすればいいの……?
屈託のない笑顔でおもちゃで遊ぶテオを見つめながら、今さら自分の好奇心を後悔した。
◇
その日の夜、テオが眠ったのを見届けてから、私はレオニスに声をかけた。
「……あとで話したいことがあるの」
「別に構わんが」
普段とは違う真剣な表情を見せた私に驚いたのか、レオニスの顔にも警戒の色が浮かんでいた。
「これ、読んでほしいの」
「……これは?」
「キアーナ様の日記。ドレッサーの二重底から見つけたのよ」
「キアーナの……?」
レオニスは少し戸惑っているようだった。
元妻の日記だとしても、勝手に読むことへの抵抗があるんだろう。
それでも日記を差し出したままの私の様子を見て、覚悟を決めたようだった。
しばらくの間、紙をめくる音だけが部屋に響いた。
レオニスの指が、あるページで止まる。
「……これは」
彼の顔から、みるみる表情が消えていく。
「日付、見て」
「……ああ」
キアーナ様が妊娠を知ったのは、レオニスと結婚する前だった。
「俺は、騙されていたのか」
「そうね……そういうことになるわね」
「このフィリップという男は、一体誰なんだ」
「分からない。詳しくは書いてなかったから」
「……テオは」
レオニスがそこで言葉を切った。
「俺の子ではなかったのか……」
「……」
レオニスはそれだけ言うと、同じ箇所を何度も読み返していた。
「……レオニス」
日記をテーブルに置き、目を固く閉じて眉間に深くシワを寄せる彼に声をかけたけど、レオニスは微動だにしない。
「レオニス、テオはどうなるの?」
「……本当の父親がいるなら、探すべきだ」
「……え?」
「テオにも、その男にも、知る権利があるだろう」
何かを決めたようなレオニスの口ぶりに、胸の奥がざわついた。
「探してって……そのあとどうするの?」
「もし相手がテオを引き取りたいと言うなら――」
「待って!」
思わず大きな声を出し、慌てて両手で口を塞ぐ。
テオは相変わらずスヤスヤと眠っていた。
「テオを渡すっていうの!?」
「渡す、ではない。本来の父親のもとへ――」
「今さら!? テオはこの屋敷で生まれて、ずっとここで育ってきたのよ?」
私のバカ、考えれば分かったのに……なんで話しちゃったの?
「その日記の内容が真実だとは限らないでしょう?」
「それはそうだが……」
自分から日記をレオニスに見せておきながら、言っていることが支離滅裂なのは分かっていた。
それでも、テオだけは手放したくない……!
「私は反対よ。こんなことなら話さなきゃよかった」
レオニスの表情が一瞬だけ寂しそうに曇ったのが分かったけれど、口から出てしまった言葉はもう取り消せなかった。
「……明日またゆっくり話そう。今夜はもう寝るんだ」
ベッドに横になって背を向けた彼に、それ以上声をかけられなかった。
どうしよう、テオと離ればなれになるなんて嫌。
何か方法を考えなくちゃ……!
◇
「おはようございます、奥様。今朝はずいぶんお早いですね」
「おはよう。そう、一睡もしてないの」
まあ、と目を丸くする侍女に身支度を手伝ってもらい、私はすぐに私室へ移動した。
「……レオニス、見てなさい。こっちには奥の手があるんだから」
椅子に腰を下ろして紙とペンを取り出すと、徹夜のハイテンションのまま、ペン先を紙の上で走らせた。
「……できた! レオニスが寝ぼけてる今がチャンスよ」
書き上げた紙を握りしめ、寝室へ戻る。
彼が昨夜言っていたことは、冷静で正しかった。
正面から説得したところで、今の私じゃレオニスを言い負かせそうにない。
「マリネ、テオを別室にお願いできる? 起こさないようにね」
「は、はい。それは構いませんが……どうされたのです?」
「ふふん、先手必勝ってやつよ」
マリネが静かにテオを寝室から連れ出したのを見計らって、レオニスの背中を思い切り叩いた。
「レオニス、朝よ。起きて!」
「む……どうした? なにかあったのか?」
まだ寝ぼけ眼の彼の目の前に、さっきの紙を突きつける。
「レオニス、私と離婚して!」
彼は、突きつけられた紙と私の顔を何度も見比べた。
「……は?」
次の瞬間、彼の身体がずるりと傾き、そのままベッドから床へ滑り落ちた。
「ちょ、ちょっと、大丈夫!?」
「な、なんだこれは……離縁状?」
あれ、こういうときって離縁状じゃないのかな……もしかして間違えた?
「そんなことはどうでもいいの。私と離婚してください」




