第三十三の手 知らなくてよかったこと
両親の強い誘いもあって、私たちは実家に数日お世話になることになった。
「ああ、よく帰ってきたね、エリシア」
「お元気でしたか? あれからそんなに経っていないのに、すごく久しぶりに思えます」
両親は私を抱きしめる。
隣にいる兄は困ったような顔で、でも嬉しそうに目を細めていた。
「ご無沙汰しております、義父上」
「おお、レオニス殿。エリシアが世話になったな」
「どうぞレオニスとお呼びください……それと、結婚式では大変失礼いたしました」
彼の言葉に、母親のナタリアは目を丸くする。
「あらあら、まあまあ。エリシア、あれから何かあったのね?」
「お母様。それはまた後で」
「テオ君に会えなかったのは、少し残念だな」
「申し訳ありません。息子はまだ体調が万全ではありませんので……」
兄は、レオニスの態度に慌てて両手を振った。
「いやいや、責めてるわけじゃない。早く元気になってくれることを願ってるよ」
「はい、ありがとうございます」
「さあ、もっと話を聞かせてちょうだい、エリシア」
私たちは連れ立って応接間へと歩いて行く。
テオが待ってるから早く帰らないと……。
いつの間にかあの辺境伯の屋敷が、私の帰る場所になっていた。
◇
「遅くなっちゃった……テオはもう寝てるよね」
数日後、レオニスと屋敷に戻った私は、寝室のドアの前で立ち止まる。
扉の向こうにいる小さな存在──テオのことを思って、自然と口元が緩んだ。
……それと、ついでにレオニスのことも。
ドアをそっと開けると、ベッドの真ん中でテオがすやすやと眠っていた。
その横では、レオニスが目を閉じたまま仰向けに寝ている……でもきっと狸寝入りだ。
「……起きてるんでしょ?」
声をかけても、彼は反応しない。
でもわずかに呼吸のリズムが乱れたのを、私は見逃さなかった。
まだ、気まずいのかな……?
最近では、レオニスが当然のように同じベッドで眠るようになった。
少し強引だったけれど、テオが意外にも嬉しそうにしているので、私は拒むことができないでいる。
川の字って、絶妙な配置……。
私はそっとテオの隣に横になって、小さな寝息に耳を傾ける。
それから、ほんの少しだけ、向こう側のレオニスの気配にも。
夜の静けさの中で、私たちは言葉もなく、同じベッドの中で眠りについた。
数日後の朝食のあと、テオはお気に入りの馬のぬいぐるみを抱えて、部屋の中をとことこ歩いていた。
まだあどけない顔には眠気が残っていて、まぶたをこすりながら、ふらふらと私の足元にやってくる。
「母しゃま、みて? 馬さん」
「ふふ、かっこいいね、テオの馬さん」
「うん!」
しゃがんで目線を合わせると、テオはにっこり笑ってうなずいた。
「……それは、馬なのか?」
不自然なまでにゆっくりした足取りで現れる影がひとつ。
「あなたには馬車に見えるの?」
「いや、そういうことを言いたかったわけでは——」
たしかにテオが持っているぬいぐるみは、抱き潰されて原形をとどめていない。
嫌味じゃなく、本当にレオニスは、なにか他のものに見えたようだった。
「見せてみろ」
彼はどこかぎこちない動きで、テオの傍らにしゃがみ込もうとして、盛大にバランスを崩して尻もちをついた。
「……っ」
本人が恥ずかしそうにしているのを見ると、こっちにも伝染してくる。
……何やってんの、この人。
思わずため息を吐きそうになるのをこらえて見ていると、テオは少しだけ目を瞬かせ、にこっと笑った。
「父しゃま、ころんだの?」
あまりにもナチュラルな口調に、レオニスが一瞬フリーズする。
「……あ、ああ、まあな」
「今日もいる?」
「……まあ、いるな」
やり取りが、不器用すぎる……。
うろたえた様子のレオニスとは対照的に、テオはなんてことないようにぬいぐるみを差し出す。
「じゃあ、これ、貸してあげる」
それは、この子がいつも手放さない、お気に入りの木馬。
「い、いいのか?」
……ぷぷ、すごく嬉しそうにしてる。
少し構ってもらえただけで、テオは嬉しそうにぴょこぴょこと跳ね回った。
ああもう、ほんとに……。
「……急に父親らしくなろうとしなくていいのに」
ぽつりと漏らすと、レオニスが一瞬こっちを見る。
私が差し出した手を、レオニスはそっととった。
『——パンパカパーン! 白き手のスキル、レベルアップいたしました!』
「わわっ、急になに!?」
「どうした、エリシア」
「あ、ううん。なんでもないの」
またレベルが上がった……条件は分からないけど、次は何ができるようになったんだろ。
ふと、繋がれたままの手を離そうとしてレオニスに視線を向けると、今までの数値とは別に、『AB』という文字が浮き上がった。
ん……もしかして、血液型とか?
不思議そうな顔で私をじっと見つめるレオニスは、たぶんAB型。
うわ、これちょっと楽しいかも。
「テオ、手を出してみて?」
伸ばされた小さな手をとると、目の前に表示されるいつもの緑色の数値の横に、アルファベットが浮かび上がった。
へぇ、テオはO型なんだ……え?
私は何回も目を閉じ、繋いだ手を離してはまた繋ぎ直す。
「レオニス、ちょっといい?」
「……なんだ?」
無言で彼の手をとると、やっぱり表示されるアルファベットはAB型で変わらない。
「母しゃま、どうしたの?」
「う、ううん。ごめんね、なんでもない」
「どうしたんだ、エリシア。顔が真っ青だぞ?」
「……え? ああ、なんでもない。ちょっと考え事してただけ」
AB型の親から、O型の子供は生まれない……だったよね?
いや、私の記憶違いかもしれない。
それに、このスキルだって正確だと限らないでしょ……?
でも――。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫よ」
「奥様、少しお休みになられては」
「ありがとう、マリネ。そうさせてもらうわね」
テオの頭をそっと撫でて、私は部屋をあとにした。
嘘よね……なんで?
「ごめんなさい、ひとりにしてくれる?」
「かしこまりました、奥様」
静かに後ろの扉が閉まるのを感じると、無性にベッドに横になりたくなった。
「はあ、どうしたらいいんだろ……レオニスに直接聞くわけにもいかないし」
少し硬めのマットにゴロンと寝転がると、窓から差し込む光が妙に眩しい。
「そういえば、キアーナ様のことってよく知らないのよね」
彼女が何を好きで、どんな生活をしていたのか、レオニスとの結婚を彼女自身はどう思っていたのか。
彼も真摯に向き合おうとしていたと思うんだけど。
「日記とか残ってればいいんだけどな」
そうだ……ノエルが以前、キアーナ様のノートをもって来てくれたんだっけ。
もしかしたら、他にも残ってるかも。
「考えてても分かんないし、行ってみるか」
ベッドから勢いよく身体を起こして、書庫へと急いだ。
「ノエル、いる?」
「奥様? どうぞ」
彼は手にしていた書物を棚の上に慎重に置くと、こっちを振り返り、不思議そうな顔をする。
「あの……以前キアーナ様がここに忘れていったって、ノートを持って来てくれたでしょ?」
「ええ、そうでしたね」
「他にもなにか残ってたりしない?」
「他にですか……もしかしたら見落としているかもしれません。少し探してみましょうか」
すぐにノエルは書庫の中を移動して、本棚を確認し始めた。
「この辺りまでは整理済みですので、あるとすればこちらからですね」
「私も手伝うわ」
しばらくふたりで書庫の中を探してみたけど、以前のノート以外、それらしいものは特に見つからなかった。
「ありがとう、ノエル」
「ああ、いえ。キアーナ様のことでしたら、マリネにお尋ねになったらどうでしょうか?」
「マリネ?」
ノエルは、取り出した書類や本をひとつずつ確認しながら、また棚へと戻す作業を始めていた。
「キアーナ様は他の使用人を近づけないようにされていましたが、マリネさんとは時々お話していらっしゃったようです。何度かその光景を目にしたことがあります」
「そうなんだ……教えてくれてありがとう」
書庫を出て部屋へ戻ると、マリネの姿を探した。
「マリネ、ちょっといい?」
「はい、なんでしょう奥様」
「キアーナ様って、日記とかつけてらっしゃらなかった?」
マリネは私の言葉に少し驚いたように目を瞬かせたあと、穏やかに微笑んだ。
「つけておられましたよ」
「ほ、ほんと!? キアーナ様が亡くなられた後って、遺品はどうしたの?」
「衣類や装飾品などは、ご実家へお返ししました」
「……そっか、そうだよね。ありがとう」
「……? では、私はこれで失礼いたします」
不思議そうに首をかしげていたマリネは、丁寧に頭を下げる。
頭を上げたところで、「あ」と小さく声を漏らした。
「……そういえば、遺品を整理してご実家へお返したとき、日記だけは見当たりませんでした」
「え……そうなの?」
「ただ、私もキアーナ様の私物をすべて把握していたわけではありませんので、どこか別の場所に置かれているのだろうと、その時は思っておりました」
……じゃあ、どこにあるの?




