第三十二の手 誇りの行き先
セドリック殿下の大きく息を吸う音が、張りつめた会場内に響く。
「グレゴール・フォルスター子爵。今、この場で貴殿を拘束する」
その言葉に、叔父様の肩がガクンと落ちる。
彼はすでに魂の抜けたような瞳で、ただ床をぼんやり見つめているだけだった。
「今後は、王家直属の尋問官による取り調べを受けてもらう。すべての証言と証拠がそろい次第、最終的な処分が下ることになるだろう」
セドリック殿下が控えていた衛兵に目配せすると、彼らは静かに叔父様に歩み寄り、両腕を取った。
もう彼は抗うこともなく、そのまま力なく立ち上がらされ、扉の方へと連れて行かれる。
もはや貴族ではなく、ただの罪人として。
誰も言葉をかけなかった。
貴族たちが視線を逸らす中、叔父様は振り返ることもなく、会場を去っていった。
やがて、叔母様が静かに会場の中央に立ち、深々と頭を下げる。
「皆さま、本日は大変お騒がせいたしました。私たちはしばらくの間、生家に身を寄せる所存です。夫の罪が正式に裁かれるその日まで、静かに見届けさせていただきます」
隣に立つダミアンもまた、父親が出て行った扉に背を向け、頭を下げた。
「叔母様……」
「お元気で……エリシア様」
ベアトリスはどこか寂しげに微笑み、息子と並んで歩き始めた。
会場を包む静けさの中、響くのはふたりの足音だけで、その音がゆっくりと時を刻んでいた。
ざわめきが戻り始めた頃。
ひとりの若い男が、涼しい顔をしてこちらへ歩いてきた。
「……へぇ、君がここまで活躍するとはね」
うわ……なんでこっちに来るの。
聞き覚えのあるアホっぽい声が聞こえてくる。
「……アレクシス殿下」
エリシアの元婚約者で、彼女の名誉と未来を踏みにじった男。
彼は相変わらず軽薄な笑みを浮かべながら、近づいてくる。
あれ、でも……彼と結婚せずに済んで、結果的に良かったのか。
「いやぁ、あの時は行き違いがあったというか。僕もあの女に騙されてたんだよ」
「そうですか」
アレクシス殿下の声に、反省の色はまったくない。
むしろ、褒めてやってもいいという、上から目線さえ滲んでいた。
「あのとき婚約破棄をしたのは間違いだった。それに、辺境伯のところに嫁いだことはエリシアも望んでいないって、僕だけはわかってるよ?」
彼は私に一歩近づいて、そっとささやく。
「今からでも、やり直すっていうのはどうかな……君なら王子妃として申し分ないだろうし。やっぱり、僕には君が一番ふさわしいと思う」
その一言に、じっと彼の顔を見つめた。
「は……? 今更やり直すんですか? レオニス、本気で言ってると思う?」
「こ、声が大きいよ、エリシア」
まるで最初から眼中にないかのように、後ろに立つ夫の方へ視線を向ける。
周りの人たちが聞き耳を立てているのは分かっていた。
わざと大きな声を出すと、およそ貴族の夫人の言葉とは思えないセリフに、会場の空気が一瞬で凍りつく。
「再評価していただけるのは、結構なことですけど……私の人生は、自分で決めます」
「……エ、エリシア?」
アレクシス殿下の顔から、余裕が消える。
「それに、やり直したいだなんて、捨てた側が言う言葉じゃありませんよね?」
真っ直ぐ彼を見据えたまま、視線を一切揺らがせない。
堂々と、誇り高く、そして冷静に──突き放すように微笑んでやった。
「これ以上、私の人生に関わらないでください。それがあなたにできる、最後の誠意です」
「な、なっ……エリシア、君」
アレクシス殿下はそれ以上言葉を発せず、口をポカンと開けたまま立ち尽くす。
「私の妻を名前で呼ぶのは控えていただけませんか?」
「レオニス」
隣に立つ背の高い彼は、威圧するようにアレクシス殿下を見下ろしていた。
この人、調子良すぎ……まあ、いいけどさ。
「し、しかし、彼女とは幼なじみだ。そのぐらい——」
「殿下は、いつまで婚約者のつもりなのかしら……」
「それにエリシア様のあの噂も、本当かどうか分からなくなったんじゃないか?」
叔父様と関わっていたことが判明して、アレクシス殿下に対する周囲の視線は冷たい。
ざわめきが大きくなり始めると、やがて静かに扉が開き、見覚えのない男性がひとり、彼に声をかけた。
「……殿下、参りましょう。これ以上、お立場を損なわぬうちに」
「あ、ああ……」
新しい側近かしら……私のドレスを破ったあの男性たちは見当たらないけど、今はまともそうな人が付いていて良かった。
アレクシス殿下はなすすべもなく、側近に追い立てられるように会場を後にする。
扉が閉まった瞬間、会場全体が安堵の息を吐いた。
会場の空気が落ち着きを取り戻し始めると、ふたりの男性がゆるやかな足取りで、私の元へと歩み寄る。
「……やれやれ、あの弟には最後まで頭が痛いよ」
「セドリック殿下……それにオズワルド殿下も。お力添えに感謝いたします」
セドリック殿下が肩をすくめる仕草に、少年時代の幼なじみの面影が残っていた。
「君には迷惑をかけてしまったね、エリシア」
「こちらこそ、お騒がせしてしまって申し訳ありません」
礼儀正しく話してはいるけど、ほんの少しだけ肩の力が抜ける。
セドリック殿下はそんな私の様子に気づいたのか、目をわずかに細めた。
「なあ、もしさ……僕がもうちょっと早く、エリシアの手を取る勇気があったら。今さらっていうのは百も承知だけど、君に聞いてみたくてさ」
彼は、隣で仏頂面のレオニスにちらりと視線を送り、すぐさま冗談めかして言葉を継いだ。
「王太子の妻って選択、どう思う?」
「えっ!?」
隣で、レオニスが小さく反応したのが分かった。
表情は変わらないけれど、唇の端がほんのわずかに引きつっている。
「殿下……冗談が過ぎますよ?」
微笑をたたえたまま、少しだけ首をかしげてみせる。
「でも私、息子のテオ一筋ですから」
「そっか、テオ君か。それは敵わないな」
セドリック殿下は、眉尻を下げ苦笑した。
「幸せになってくれ、エリシア……辺境伯も、彼女を大切にしてやってくれ」
最後にそう言い残して、セドリック殿下は取り巻きたちの中へと消えて行った。
「テオ君一筋、ですか」
「オズワルド殿下……ご無沙汰しております」
「ええ、本当に。ずいぶんと久しぶりですね」
にこやかに笑っているのに、なぜか隣のレオニスへ向ける視線だけが冷たい。
「しかし安心しました。辺境伯殿も、ようやく奥方を大切になさる気になったようで」
「……それはどういう意味でしょうか」
「そのままの意味ですよ。最初はずいぶん、冷たく接しておられたと聞いていましたので」
うわ……そこ言うんだ。
『今さら彼女を気にかけてるのか』って、言葉にはしないけど。
「エリシアが今こうして笑っているのなら、私が口を挟むことではありません。ただ――」
オズワルド殿下は、わずかに目を細めた。
「二度と泣かせないでいただきたいですね」
「……肝に銘じます」
「なら結構です。エリシア……」
「はい、殿下」
オズワルド殿下は視線の端でレオニスを捉えると、小さく息を吐き、私の耳元にそっと顔を寄せた。
「もし嫌になったら、いつでも王都へ戻ってきてください。私は歓迎しますよ?」
「その必要はありません」
レオニスがすぐさま口を挟むと、殿下は苦笑した。
オズワルド殿下の背中が人混みに紛れていったあと、ふいに背後から不満げな気配がする。
振り返ると、そこにはいつものように無表情を保ったレオニスが立っていた。
「どうしたの、レオニス?」
「いや……自分のしてきたことを後悔しているだけだ」
そう言うと、彼はほんの少し視線を落とした。
でも、さっきから不満そうなのは、テオ一筋って言ったことじゃないの?
「あの子は、私にとってかけがえのない存在なのよ」
今こうして、気にしてる彼の存在にまだ慣れなくて、つい突っかかってしまう。
「……何か言いたいことがあれば、遠慮なくどうぞ?」
レオニスは少しだけ口を開きかけて……結局、何も言わなかった。
「……いや、今日はもう疲れただろう」
ぽつりとそれだけ言って、彼はくるりと背を向ける。
私は、まだあなたのことを好きってわけじゃない。
でも、きっとあなたのことを、知ろうとしてる最中なんだと思う。
私はそっと、胸の奥に浮かんだ言葉を飲み込んだ。




