第二十四の手 旦那様は全てお見通し
「また来た……!」
屋敷の廊下を行ったり来たりしていた重い足音が、何度目かの往復の末、また書庫の前で止まる。
私は机に広げた書類から目を離し、そっと入り口の方へ顔を向けた。
やっぱり、また来てる……今日で何日目よ。
案の定、開け放たれた扉の向こうに立つ背の高い影は、レオニスのものだった。
「その……何か手伝えることはないか?」
こっちから協力をお願いしたのに、低く響く声は半ば気まずそうに聞こえてくる。
私は小さくため息をついて、持っていた書類を彼の方に見せた。
「旦那様、今は何もありませんよ。必要なときはこちらからお願いしますから、安心してください」
「……そうか」
また今日も彼は、少し寂しそうに肩を落とした。
その後もレオニスはその場を離れようとはせず、扉の横でじっと立ったまま、気配だけをこちらに向けている。
一緒に帳簿を調べている例の3人が、背後で小さな笑いを漏らした。
「旦那様は、奥様のそばを離れたくないんですよ、きっと」
私は聞こえないふりをして、再び書類に目を落とす。
だけど、扉の横に立ったままの大きな気配が、やたらと存在感を放っていた。
「なによ……そんなに気になるなら、手伝えばいいじゃない」
つい口からこぼれた言葉に、私は小さく眉をひそめた。
いや、さっき断ったの私じゃないの。
「奥様、こちらをご覧ください」
「見せて。これ……うーん」
帳簿を差し出してきたノエルと顔を見合わせ、私は扉のそばを離れようとしないレオニスをちらりと盗み見る。
「私からお願いしてみるわ。あなたは他の帳簿を確認して」
「かしこまりました」
「旦那様、少しよろしいですか?」
書類を抱えたまま立ち上がり、廊下のレオニスに声をかける。
彼はわずかに目を見開いたものの、すぐにいつもの真面目な顔に戻った。
「どうした?」
「こちらなんですが、どこまで私たちが手出ししていいものか判断できないんです」
「ふむ、見せてみろ」
部屋の隅のテーブルへ向かい、ふたりで並んで腰掛ける。
ふと顔を上げると、マリネたちは和やかな笑顔を見せながら、そっと席を外していった。
そんなんじゃないってば。
「どうした、エリシア」
「あ、いいえ……」
椅子に座り直して資料の束を広げ、指先でとんとんとページを指し示した。
そこには、以前話題に上がった商人の納入リストが載っていた。
「ここからの商品が、以前より多く仕入れられてますよね?」
「む……これは、叔父がひいきにしている商人でな。目をかけてやってほしいと頼まれていた」
そうよね、レオニスが知らないはずがない。
「在庫の問題もあるとは思うんですが、時々違う物が納入されているんです。テオは以前蕁麻疹が出たこともあるそうですし、心配で」
隣に座ったレオニスが、資料のページを覗き込んでくる。
思ったよりもずっと顔が近い。
わずかに体を引くと、その気配を察したのか、彼はぐっと身を乗り出し距離を詰めてきた。
「なぜ離れるんだ? 君が頼んだんだろう?」
「え? 距離が近かったからですけど……もしかして、目が悪いんですか?」
この世界って眼鏡ってあるのかな、なんてふと考える。
隣のレオニスは、なぜか少しだけ残念そうな顔をして、リストに視線を戻した。
……変な人。
「ん? ちょっと待て。これは……」
レオニスは思い出せないようで、軽く目を閉じて眉間にシワを寄せ、指で机をリズム良く叩く。
「少し待っていろ……うろ覚えだが、たしか別室に詳しい資料があったはずだ」
「私も行きます」
「……いいだろう、付いて来い」
レオニスは足早に部屋の扉へ近づくと、外に待機していたノエルに声をかける。
「ウォルターに言って、別室の鍵を持ってきてくれ」
「承知いたしました」
すぐに鍵は届けられ、私たちふたりは別室の奥まった一角へと進んだ。
私の歩幅を気にしてるのかな……やけにゆっくりね。
いつも屋敷内を足早に歩いているから、てっきりせっかちな人だと思っていた。
「あの……留守の間に勝手に書庫へ入ってしまって、申し訳ありませんでした」
「ああ、ウォルターからも事情は聞いた。彼を脅したそうだな?」
「うっ……もうご存知だったんですね」
「彼は優秀だからな。屋敷内での出来事は、包み隠さず全て報告してくる。だが——」
レオニスはひとつの本棚の前に足を止めると、本のタイトルを指でなぞる。
「必要なことだったんだろう? それにエリシア、君はこの屋敷の女主人だ。見たいと言うなら、断る理由などないだろう」
そう言って、一冊の古い手記を差し出した。
どうしちゃったの、この人……結婚式の時とは別人みたい。
「あの、これは?」
「俺が子供の頃によく読んでいた、戦いの日々を綴った日記だ。まずは、中を確認してみるといい」
埃を被った手記は、もうページの端がボロボロで、いまにも崩れ落ちてしまいそうだった。
レオニスに言われるがまま、慎重にゆっくりと開いていく。
「え……ここに書いてあるのって、戦場で使われていたってことですか!?」
「そうだ。見覚えのあるものが書かれているだろう。症状も同じだ」
彼の言う通り、あのリストに載っていた食材や香草をいくつか見つけられた。
……やっぱり、誰かがテオを狙ってる。
「今は軍でも使用していない。資料も少ないから、誰も気付かないだろうな」
「そんな……なんであの子を?」
「俺にもわからん」
以前感じた恐怖を思い出して、息を呑む。
レオニスの声色は落ち着いているのに、その視線は一点を見つめていた。
「大丈夫か?」
「あ……はい。ありがとうございます」
「……まずは戻ろう」
テオのことで頭がいっぱいで、私は差し出された手を自然と掴んでいた。
◇
「閣下、ルディとカイル両名は、現在こちらへ向かっているそうです」
軍服を着た青年が、資料室の扉のそばで敬礼する。
マリネに支えられ、私がぼんやり椅子に座っている間に、レオニスはすでに兵士のひとりを呼び寄せていたらしい。
軍で使われていた手法を知る人間を、探し出す必要があったからだ。
「それと、兵士達の中でも信頼できる者を何名か、秘密裏に調査に当たらせています」
「よし、頼む」
私は、淡々と指示を出すレオニスの横顔を、呆然と見つめていた。
さっきまでの、そばをウロウロしていた姿からは想像出来ない。
……やっぱり指揮官なのね、判断も速い。
「奥様、こちらを。少しでもお役に立てればいいのですが」
「ノエル、ありがとう……これ、あなたが調べてくれたの?」
「何を仰ってるんですか、当然のことをしただけです」
彼は休暇中も、危険な薬草の解毒方法を調べてくれていたそうだ。
心配そうに見つめる彼らに、私は小さな笑みをこぼす。
……ほんと頼りになる、ひとりで抱え込む必要なんてなかったんだ。
軍側と屋敷側、両方の調査が同時に走り出した。
少し勢いづいた私は立ち上がって、拳を握りしめる。
「休んでる場合じゃない。これはみんなで解決するしかないわね!」
鼻息の荒い私の横で、レオニスがふと口を開いた。
「ノエル」
「はい。何でしょう、旦那様」
「お前、エリシアの手紙を代筆していただろう?」
「えっ……ああ、そうですね」
まずい、バレてた……!
「あ、あれは私が彼にお願いしたんです! テオのお世話があったので!」
「そうなのか……?」
「あなただって、手紙を送りすぎなんですよ! 返事を書くのだって大変なんですから」
「それは……すまなかった」
謝った――!?
今までの彼からは想像もできない素直な態度に、私はただ、ぽかんと彼を見つめることしかできなかった。




