第二十三の手 スキル覚醒は気絶と共に
部屋の中には、薬草を煎じた匂いがほんのりと漂っていた。
薄暗い灯りの下、テオはうっすらと汗をかきながら眠っている。
「奥様、坊ちゃまは先ほどよりも、また少し顔色が悪くなっているように見えます……」
マリネが眉をひそめながら、テオの額にそっと触れる。
私は黙ったまま、薬瓶のラベルをひとつひとつ確認していた。
「出された薬に間違いはないの……ウォルターが目を光らせてるおかげで、細工もできないようね」
「それならどうして坊ちゃまの具合が良くならないのでしょう。他にも何かされているということですか……?」
「その可能性はあるかもしれないわね。私たちが見落としてることがあるはず」
声を潜めて話しあっていると、テオが小さくうめき声をあげ、体をぎゅっと縮こまらせた。
「テオ、どうしたの……大丈夫!?」
「母しゃま……おなか、いたい」
その声に、部屋の空気が凍りついた。
私はすぐに顔を上げ、マリネに向かって指示を飛ばす。
「マリネ、すぐにお医者様を呼んで! それから——」
「はいっ、すぐに!」
どうして……気を付けてたのに。
薬も食事も何度も確認して、みんなにも協力してもらってた。
「テオ、テオ……!」
ベッドに駆け寄り、必死に声をかける。
強く握り返された手に、焦りと震えが止まらない。
前の人生では、薬は信じて疑わないものだった……だけどここは違う。
毒を仕込むなんて、簡単にできてしまう。
でも、まだそうと決まったわけじゃないでしょ!?
ふたつの考えが消えては浮かび、お互いを打ち消し合いながら、頭の中をグルグルと駆け巡る。
ただ今は、医師の判断を仰ぐしか。
「どうか、女神様……この子を守って」
汗を拭き取りながら、視界に表示されるテオの数値は赤く点滅していて、心細くなった私はシーツをぎゅっと握り締めた。
ガタンと廊下から大きな音がして、慌ただしい足音が近づいて来る。
「エ、エリシア……テオ!」
勢いよく扉を開け、息を切らせながら駆け込んできたのは、ボロボロの姿のレオニスだった。
「え……旦那様?」
なんでこんなに早く帰ってきたの?
予定はまだ先だったはず……それに今は、それどころじゃないの。
「今、戻った……テオに何かあったのか!?」
レオニスのマントはボロボロで、靴は泥にまみれていた。
彼は荒い息を吐きながら扉の側に立ち尽くし、私の言葉を待っているようにも見える。
なんで遠慮しているの?
それに戦場って、こんなになるんだ……って、今は冷静に観察してる場合じゃないから!
「お帰りなさい、旦那様! でも今、こっちは手一杯なんです! マリネ、準備できた!?」
「奥様! できました!」
私が声をあげると、レオニスはハッと我に返ったように顔を上げ、なぜか少し嬉しそうに部屋へ足を踏み入れようとした。
「駄目です! お風呂に入って、身体を綺麗にしてきてください!」
「えっ!? あ、ああ、わかった。そうする」
泥だらけの身体でテオに近づいたら、この子に影響があるかもしれない。
名残惜しそうに扉の前で立ち止まるレオニスに、私はきっぱりと言い放った。
「旦那様、先にお風呂へ行ってください!」
マリネが急いで持ってきてくれた水と布を受け取り、そっとテオの額の汗をぬぐう。
目の前に浮かぶ数値は、真っ赤に点滅している。
ごめんね、ごめんね、テオ。
どうか、持ちこたえて……!
私の不安をよそに、数値はどんどん上がっていく。
また、守れないかもしれない。
そんな考えが頭をよぎると、自分自身の無力さに腹が立ってくる。
何なのよこのスキル……全然役に立たないじゃない。
「白き手か何か知らないけど、どうせなら治療法ぐらい表示しなさいよ……!」
憎らしげに呟くと、目の前の数値はまたフリーズした。
今までのエリシアや自分の記憶が、フラッシュバックのように一気に流れ込んでくる。
私は意識を失いそうになるのを何とか堪えた。
「エリシア!」
「奥様!?」
レオニスが駆け込んできて、私の身体を支えてくれる。
「大丈夫か!? おい、医者を呼べ!」
「お……」
「ん? 何だエリシア、言ってみろ!」
「……お風呂……入って」
そのまま私は、レオニスの腕の中で意識を手放した。
◇
「……あれ、ここは?」
目覚めたとき、まだぼんやりとしている視界に最初に映ったのは、見慣れた天井だった。
重く感じるまぶたをどうにか持ち上げると、すぐ横に座っている人影が目に入る。
「……エリシア、目が覚めたのか?」
低く、かすれた声の持ち主がレオニスだと気づいた瞬間、心臓が飛び跳ねた。
「だ、旦那様! あ……あの子は!?」
慌てて辺りを見回すと、テオが小さな寝息を立てて眠っていた。
無理矢理腕を伸ばし、そっと額に触れる。
頬の赤みは少し引いていたけど、まだ油断はできない。
目の前の数値はオレンジに点滅し、注意が必要だと知らせていたから。
「熱は少し下がったようだ。マリネたちがずっと看病してくれた……君は、丸一日眠っていたんだ」
そう言った彼は視線を落とし、何か複雑な表情をしている。
私から見える横顔は、いつもの冷たい仮面じゃなかった。
疲れ切って、それでも彼なりに悩んでいるような、そんな顔に見えた。
そっか……やっぱり自分の息子の具合が悪いんだもの、心配だよね。
私は倒れちゃったみたいだし、そりゃビックリするよ。
でも、テオが無事で良かった。
あの子に何かあったら、悔やんでも悔やみきれないから……。
「ありがとうございます、旦那様。ご迷惑をおかけしました」
急に礼を言われて、彼はほんの一瞬驚いたように目を見開いたけど、すぐ不器用に視線を逸らした。
「……君は」
「はい? どうかされましたか?」
「いや……なんでもない」
なんなの……変な人。
「それより旦那様。お疲れのようですし、少しお休みになったらどうですか?」
自分でもわかってる。
そばについててくれたこの人に対して、声が少しだけ冷たくなったのを。
でも、そう簡単に許せないこともやっぱりあるから。
それに、私は私で守るべきものを決めたの……。
「ここにいたら邪魔か?」
「いえ、そんなことは……」
口ごもると、ふと視界の端に光が走った。
『白き手のスキル、1段階レベルアップです! 新機能追加! 是非クリック、クリック!』
「……え?」
目の前で、チカチカと矢印が点滅し始める。
ちょっと待って、これ、どうやってクリックすんの……いや、不親切すぎない!?
「……シア。エリシア」
「ハッ! えっ、何ですか!?」
「いや、君の顔が……次々と複雑に変化しているから」
「……ぶはっ! あっ、ごめんなさい、つい。ずいぶん遠回しな言い方をするんですね」
「そんな風にも笑えるのか……」
吹き出した私を見て、レオニスは目を丸くする。
「あーこれは、ええと……」
「いや、いい……テオも落ち着いてるようだから、とりあえず休め」
彼はそう言って立ち上がり、部屋から静かに出て行った。
「……なんだろ? まあ、いっか」
急いでベッドを抜け出し、テオの小さな頬にそっと手を当てる。
「新しいスキルとやらを、試してみようじゃないの」
浮かび上がった数値の下に、さらに小さな文字が、かなりのスピードで流れていく。
「いや、小さすぎるし早いって。もっとゆっくり、大きく表示して」
口にしてからハッと気づいて、慌てて周りをキョロキョロ見回した。
ひとりでブツブツ呟いているところを見られたら、頭がおかしくなったと思われそうだもの。
「あ、仕様が変わってる……って私が気付いてなかったのかな」
文字は、それを注視すると拡大できるようになった。
「これ、赤く点滅してる……こっちは、薬になる成分ってこと?」
先にこの成分が含まれている物を探さないと。
「マリネ、いる?」
「奥様、どうかされましたか?」
「ここに書いてあるものをすぐに用意して」
運良くそれは私も知っている成分で、簡単に手に入るものにも含まれていた。
煎じた薬を飲んだテオは、やがてすうすうと寝息を立て始める。
「テオ、もう大丈夫だからね」
またあの書庫へ入らないと……それには彼の許可がいる。
さっきのレオニスの不器用で、でも思い詰めたようなあの表情が脳裏をよぎる。
彼の驚いて目を丸くした瞬間を思い出すと、ふっと笑いが込み上げた。
「……これ、レオニス本人も巻き込めばいいんじゃないの?」
我ながらいいことを思い付いた、とニヤリと笑って、さっそく私はマリネに彼を呼びに行ってもらった。




