第二の手 助けてくれた王弟殿下が少し変です
※本作は、以前投稿していた『後妻はもう恋をしない。愛をくれたのはこの子だけでした』のリメイク版です。
旧版とは設定・展開・結末などが異なる部分があります。
「お、叔父上……どうしてここに?」
「先に彼女から手を離せ」
颯爽と現れたこの国の王弟オズワルド殿下は、足早にアレクシスへと歩み寄り、振り上げられていた右腕をがっしりと掴んだ。
「う……い、痛いです。そんなに強く握らなくても……」
気まずそうに情けない表情を浮かべたアレクシスは、痛みに顔をしかめ、ようやく私の首元から手を離した。
すぐに暴力を振るうような人とは、婚約を破棄して正解だったのよ、エリシア。
「大丈夫かい、エリシア嬢。甥が迷惑をかけてしまってすまなかったね……さ、馬車へ案内するよ」
「ありがとうございます、殿下……」
さっき首元を掴まれたからか、私の声がかすれると、周りからも心配する声があがった。
「叔父上! エリシアとの話は、まだ終わっていません」
「何を言っているんだ……最近のお前の行動は目に余る、兄上に報告するから覚悟しておけ」
返す言葉もなくなったアレクシスをその場に残し、私はオズワルド殿下や親切な貴族たちに囲まれながら、馬車の待つ場所へゆっくりと向かった。
「あの、ここまでで結構ですから……」
「いや、侯爵家まで私が同行しよう。途中で何かあったら大変だ」
ずいぶん過保護なのね……この人とは、特に仲が良かったわけでもなさそうなのに。
オズワルド殿下の合図で、私たちを乗せた馬車は侯爵家の屋敷へ向かって静かに走り出した。
「甥のせいで、今までずいぶん傷ついただろう。申し訳ない」
「……そうかもしれませんね。でも婚約破棄は殿下が望まれたことですし、今後関わることもないでしょうから」
彼の言葉に短く返した私は、意識を逸らすように、珍しい街並みへ目を向けていた。
向かいに座る彼が沈黙していることに気づいたのは、しばらく経ってからだった。
「今日の君は、少し違って見えるね……昔はいつも周りの視線を気にして、今にも消えてしまいそうだった。まあ、甥がしたことを思えば無理もないけど」
オズワルド殿下は目を細め、優しい笑みを浮かべた。
その笑顔は、エリシアが強くなったことを喜んでいるようにも受け取れる。
「いや、すまない。少し年寄りくさかったかな……君はもうすぐ誕生日だったね」
「はい。父が盛大にお祝いすると言って、今から大騒ぎしてます」
誕生日なんて把握してるんだ……王族ってそんなもんなの?
「ははは、やっぱりそうか。侯爵ならそうするだろうな」
少し癖のある茶色の髪が、楽しそうに笑う彼の動きに合わせて揺れた。
椅子の背もたれに背中を預け、長い足を組んだオズワルド殿下は、微笑みを絶やさず私をじっと見つめる。
「君は昔、夜会の菓子の中では蜂蜜菓子が好きだったよね」
「え……ええ、よくご存じですね」
「王族は観察眼が必要だからね」
観察眼って……この人、少し変じゃない?
王室の紋章を飾った豪華な馬車が、夜道を先頭に進み、侯爵家の馬車は使用人を乗せて、その後ろをゆっくりとついていった。
極上の座り心地に身を委ねつつ、私は目の前の美貌の王弟――オズワルド殿下をちらりと盗み見て、胸の奥で小さく響く警報音を感じていた。
あの夜会に、彼は参加する予定じゃなかったはずよ……?
わざわざ現れてエリシアを助け、こんな夜中に実家まで送り届けてる。
まるでヒーローみたいな行動だし、顔も思わず引くほど整っているけど……何かおかしい。
時折こちらを見るその綺麗な瞳の奥が、ちっとも笑っていない気もする。
親切の押し売りというか、何か別の目的があってエリシアを利用しようとしているのでは……という疑念が、どうしても拭えなかった。
「どうかしたのかい、エリシア。まだ顔色が優れないようだが……どこか痛む?」
……それに、どうして名前を呼び捨てなのよ!?
覗き込んでくるオズワルドの甘い声に、私は引きつりそうな頬を必死に引き上げた。
「……いえ、殿下のおかげで、すっかり良くなりました。本当に、感謝の言葉もございません」
「ふふ、当然のことをしたまでだよ。さあ、着いたようだ」
馬車は速度を落とし、重厚な鉄門をくぐって、大きな屋敷の前で停止する。
御者が扉を開けると、そこは深夜だというのにたくさんの明かりが灯る、私の――いいえ、エリシアの実家である侯爵家だった。
「お、お戻りになられました! エリシアお嬢様です!」
出迎えた初老の執事は、オズワルドにエスコートされ、馬車から降りた私の姿を見た瞬間、驚愕した表情を浮かべ息を呑んだ。
ゆらゆらと揺れているランタンの灯りに合わせ、私たちの影も揺れる。
「で、殿下!? それに、お嬢様……そのお姿はどうなされたのですか!?」
「ええ、ちょっとね。お父様はまだ起きていらっしゃるかしら?」
「執務室で、お嬢様のお帰りをお待ちになっています。誰か、すぐに旦那様と奥様にお知らせするんだ!」
使用人が慌てて夜の屋敷の奥へ、ドタドタと大きな足音を響かせながら走って行く。
普段は冷静沈着なはずの執事が、自分の上着を脱いで私に掛けてくれた。
「さあ、外は冷えますので。殿下も、奥へご案内いたします」
「ああ、ありがとう」
静まり返っていた侯爵家は、すぐにハチの巣をつついたような大騒ぎになった。
奥の階段から、侯爵であるエリシアの父コンラートと、手ぐしで髪を整える母のナタリアが、階段を転げ落ちそうな勢いで駆け下りてくる。
「……殿下、ようこそお越しくださいました。エリシア、一体何があったのだ?」
「お父様、お母様……アレクシス殿下との婚約は破棄となりました」
「……は?」
「申し訳ありません、お父様。ふふふ」
呆然と立ち尽くすコンラートと、王弟の前だからか、ちょっと嬉しそうな表情を必死に隠そうとしているナタリア。
やっぱり母親として、あのアホの胡散臭さに気付いてたのかもしれないわね。
「叔父として、私からも説明させてもらおう」
「は、はあ……では、こちらへどうぞ」
「エリシア、貴女は着替えていらっしゃい」
「分かりました。殿下、失礼いたします」
……ふぅ、やっと人心地ついた。
破れたドレスを脱ぎ捨て、動きやすいシンプルな部屋着に着替えた私は、鏡に映る自分を見て小さく息を吐く。
鏡の中のエリシアは、婚約破棄を突きつけられた悲劇のヒロインというよりは、ひと仕事終えた後のような、妙にすっきりした顔をしていた。
まあ、中身はアラサーの日本人だし、あのアホ王子の顔を拝まなくて済むと思うと、むしろ祝杯をあげたいくらいよ。
「エリシアお嬢様、旦那様方が一階の応接室でお待ちです。オズワルド様も、まだ残ってくださってるんですよ」
「え……そうなの? まだ、いらっしゃるのね」
髪を整えてくれた侍女が、嬉しそうに告げた。
王弟殿下の端正な顔立ちと物腰の柔らかさなら、夢中になる女性が多いのも分かる。
棚の上に置かれた時計の針は、もう深夜をとっくに回っている。
いくら私を送り届けてくれたとはいえ、独身の王弟殿下が、ここまで長居するのって大丈夫なのかな。
また噂がひとつ増えそうだけど……本当に厄介ね。
「できました、お嬢様」
「ありがとう」
私は侯爵家の屋敷の長い廊下を歩き、応接室の扉を開けた。
「エリシア……顔色は良くなったようだな。詳しい話は殿下から伺ったよ」
部屋に足を踏み入れると、ソファに腰掛けたコンラートが、まだ少し困惑の残る顔で私を見る。
その隣では、ナタリアが穏やかな笑みを浮かべ、私の無事を確認して胸をなでおろしていた。
「お騒がせしました。もう大丈夫です」
一礼すると、上座に座るオズワルドが、ふわりと極上の微笑みを浮かべて立ち上がった。
「それは良かった。ドレスが破れていたときは心配したけど、大きな怪我はないようで安心したよ」
「お気遣い、ありがとうございます」
……この人、帰らないのかな?
コンラートが、恐縮したようにオズワルドに声をかける。
「殿下……このような夜更けまで、娘のためにお引き止めしてしまい、誠に申し訳ございません。あとは家族で話し合いますので、どうぞお休みに……」
「侯爵。私がまだここに残っているのには、理由があるんだよ」
オズワルドは細い指先で自身の顎をなぞり、目を細めた。
「あの甥のことだ……陛下に叱責される前に、今夜中にでも『口封じ』か『言い訳』のために、接触を図ってくるはずだ」
「な、なんですと……!?」
コンラートは驚き、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
同時にコンコン、と応接室の扉が遠慮がちに叩かれ、執事が青ざめた顔を覗かせる。
「だ、旦那様……アレクシス殿下の使者だと名乗る者が、門前に……。『殿下がお話を望まれている。誤解があるため、エリシアお嬢様を今すぐこちらへ戻すように』との伝言でございます」
彼の言う通り、本当に来た……。
しかも自分は来ないで人を寄越すとか、どこまで小物なの、あのアホは。
呆れ果てる私の目の前で、オズワルドは「やはりな」と、すべてを予期していたような冷徹な笑みを浮かべた。




