第十八の手 違和感の正体
書庫の奥へ――埃をかぶった棚が連なっている。
びっしりと並ぶ帳簿や管理記録を前に、私は唇を引き結んだ。
「このあたりに、坊ちゃまの食事や薬草の記録が置いてあります」
書庫係の青年ノエルが、無愛想ながらも私たち3人をきっちり案内してくれる。
跡継ぎの体調を管理するため、代々記録する決まりになっているらしい。
「ありがとう……あの、できればあなたも手伝ってもらえない?」
ノエルは少しだけ驚いたような顔をしたけど、無言で小さくうなずいてくれた。
マリネは彼の様子をチラリと確認すると、手に取った古い帳簿を慎重に開き始める。
ニコラスも、懸命にページをめくっていた。
落ち着いて、できることから……確実に少しずつ。
私は心の中で何度も自分に言い聞かせながら、記録を読み進めた。
──数十分後。
「奥様、こちらをご覧になってください」
マリネが差し出した帳簿に、私は目を落とした。
「……これは?」
「ニコラスの言う通り、坊ちゃまに出されている薬草が変えられています」
彼女の指す先には、薬草の名前がいくつも記されている。
確かにそれ以前の記録と比べると、一部だけ違うものが使われていた。
「こっちの薬草の本には、載ってないみたい」
マリネとふたりで本をのぞきこむ。
「……俺が見たのは、本当にこれなんでしょうか。すみません、知識がなくて」
ニコラスは申し訳なさそうに、口ごもった。
単なる在庫の都合で、似た薬効の物に変えられることもあるかもしれない。
だけど今、テオの体調は悪化している……無関係だとは言い切れない。
「あなたが気付いてくれたんでしょ、ありがとう。でもこれって、もっと詳しく調べられないかしら?」
「古い薬草の資料でしたら、別室に保管されてはいますが……それに載っているとは限りませんよ。しかも、そちらも許可が必要です」
私が問いかけると、ノエルは静かに答えた。
「じゃあ、執事のウォルターでいいのかしら?」
「どうでしょうか……今は旦那様が不在ですから。もしかしたら許可が出るかもしれませんね」
私は迷わずうなずいた。
「わかったわ、どうにかして許可を取ってくる。それと……彼は味方になってくれると思う?」
「奥様、ウォルターでしたら問題ないと思います。彼は無口ですが、昔から坊ちゃまのことで心を痛めておりましたから」
マリネの言葉は私の背中を押す、テオの、あの小さな手を守るために。
◇
ウォルターのいる執務室の扉の前に立ち、私は乱れた息を整えた。
途中ですれ違った使用人たちは、何事かと眺めていたけどそんなことも気にならなかった。
……大丈夫、ウォルターならきっと力になってくれるはずよ。
何の確証もなかったけど、そう信じるしかない。
それに、彼の普段の行動が、私にそう感じさせていた。
控えめにノックすると、すぐに「どうぞ」と低い声が返ってくる。
重厚な扉を開き、私は部屋の中へと足を踏み入れた。
執務机の側に立っていたウォルターは、難しい顔で書類とにらめっこをしていたけど、私を見るとほんの少しだけ目を細める。
「これは奥様。どうかなさいましたか?」
「……あなたにお願いがあるの」
私は真っ直ぐに彼の目を見つめた。
テオの体調が悪化していることは、きっと彼はもう知っている。
ただ、あの子に出されている薬草が変更され、ニコラスが感じたような違和感は気がついていないだろう。
「薬草の古い資料を閲覧したいの」
ここまでの経緯を手短に、けれど包み隠さず話した。
ウォルターは黙って聞き終えると、ゆっくりとこちらに向き直る。
「奥様。貴重な書物の閲覧には、旦那様の許可が必要でございます」
「じゃあ彼が不在の間、この屋敷の指示を出しているのは?」
「……私でございますが」
「それなら、今ここで許可を出せるのもウォルター、あなたでしょう?」
「日常業務を代行しているだけで、旦那様の権限すべてを預かっているわけでは……」
私の屁理屈にも、彼は引き下がらなかった。
当然でしょうね……問題が起きれば、その責任は全部ウォルターが取ることになるんだから。
「旦那様が戻るまで待って、テオに何かあった場合、規則だから仕方がなかったと説明するの?」
「それは……」
もうちょっと押したらいける!
「彼が帰って来たら、私が直接説明するから。それならいいでしょ?」
「……承知いたしました。ですが、閲覧のみでございますよ? 書庫からの持ち出しは、決してお許しできません」
彼は困ったように眉尻を下げて、執務机の引き出しから別室の鍵を取り出して手渡してくれた。
「ありがとう、ウォルター。執事があなたで良かったわ」
こんな私を信じてくれる、あの噂も知ってるのに。
そう言って急いで部屋を出ようとする私に、彼はほんのわずかに微笑んだ気がした。
「お待たせ。預かって来たわよ」
鍵を手に書庫へ戻ると、ニコラスはほっと胸を撫で下ろす。
「よく許可がもらえましたね!?」
無理だと思っていたのか、ノエルは目を見開き、私の手にある鍵を凝視した。
◇
別室は、普段使用人も立ち入らない、小さな資料庫だった。
私たちは連れ立って、鍵の開いた扉を静かにくぐる。
埃っぽい匂いが鼻をかすめ、棚には薬草や薬品について書かれた、古びた資料がずらりと並んでいた。
「たしかこのあたりだと思うんですが……」
ノエルが、首をかしげながら棚を探り始めた。
「俺、こっちも見てみます!」
ニコラスは、張り切って手近な資料に飛びつく。
マリネと私は顔を見合わせ、自然と笑みを浮かべた。
今までふたりだけで心細かったけど、こうして一緒に調べてくれる仲間を見つけた。
「奥様、これを見てください」
数十分後、ノエルが静かに差し出してきたのは、薬草に関するかなり古い書物だった。
「ここに書かれてるのって、最近使用され始めた薬草ですよね? 注意書きが書いてあるんですよ」
本を受け取ってページをめくると、そこにはこう記されていた。
——体力のない幼児・病弱者への使用には、その量に注意すること。
「これ……」
目の奥が一気にカッと熱くなる。
あの薬草が、薬や料理に大量に使われていたかもしれないってこと?
「症状は、高熱・嘔吐・意識の混濁など、か……」
「奥様……」
「ニコラス。薬草の使用量について、お医者様から指示が出ていたか分かる?」
「ええと……料理長に手渡されるのは、いつも同じ量が入った小瓶だったと思います」
「じゃあ誰かが、料理が完成した後に、こっそり足したかもしれないってことね」
胸の奥で静かに怒りが芽生える。
必ず……見つけ出してやるから。
私は書物に跡が残るほど、両手で強く握りしめた。
「お、奥様、ダメですよ。本が……」
隣でノエルが青い顔をして慌てていたけど、今はそっちの心配をしている場合じゃない。
「……たしか、他にも変えられていた薬草があったわよね? もう少し調べてみましょう」
みんなが静かにうなずくと、別室の資料庫には紙の擦れる音だけが響く。
私たちは、書庫とここを行き来しながら、薬草に関する資料を一心に読み込んでいた。
誰かが、意図的にテオを弱らせようとしているのかも。
ページをめくる指先に、自然と力がこもる。
「あれ……これって」
隣で一心不乱にページをめくっていたニコラスが、小声でなにか呟いているのに気付いた。
「どうかした?」
顔を上げて問いかけると、彼はひとつの薬草を指さして説明を始めた。
「これなんですけど、見た目がまったく同じものが厨房にもあります。『しずく草』ってご存知ですよね?」
「ええ、聞いたことがあるわ。でもこれ、名前が違うわね?」
私は首をかしげながら、ニコラスの手元の資料をのぞきこんだ。
「はい。ここに載っているのは、貴族向けの高級品って書いてあります」
「そんなに似てるの?」
「この絵の通りだとしたら、普通の人は区別がつかないかもしれないですね」
そばに寄ってきたノエルも、無言で資料を指し示す。
そこには、薬草の見分け方について簡単に記されていた。
——外見は酷似するが、濃厚な香りが特徴。
「この前の朝食のスープ……あれも匂いがキツかったわね」
見た目がそこまで似ているのなら、こっそりすり替えることもできるだろう。
「それで、どんな効果があるの?」
「奥様……これ、喉が腫れたり、呼吸がしにくくなることもあるって書いてありますよ」
え……それって、アナフィラキシーショックの症状なんじゃないの?
「マリネ、ちょっと聞きたいことがあるの」
テオは以前にも、症状が出たことがあるんじゃないのか。
そう考えて、私は目の前で人の良さそうな笑顔を浮かべる彼女を見つめた。
「奥様、どうなさいましたか?」
私はそっと資料を閉じる。
「……今までテオに、ここに書いてある症状が出たことがある?」
問いかけると、マリネはしばらく考え込んだ。
やがて思い出したのか、ほんの少し眉を寄せる。
「……半年ほど前ですが、坊ちゃまが、食後に原因不明の蕁麻疹を出されたことがありました」
「蕁麻疹……?」
「当時は、単なる体調不良と診断されました。ですが――」
彼女は言葉を一度切って、私をまっすぐに見つめる。
「今から思えば、あれは何者かの意図が絡んでいたのかもしれません」




