第十七の手 替えられた薬草
朝の光が、カーテンの隙間から細く差し込んでいる。
いつもならテオが元気に抱きついてくる時間だけど、今日は違っていた。
「……ん」
ベッドの中で、小さく呻く声が聞こえて、私は胸騒ぎを覚えながら、そっと額に触れた。
熱が……しかもかなり高い。
目の前に表示される数値は真っ赤に染まっていて、点滅を繰り返している。
「テオ、テオ……?」
必死に呼びかけると、うっすらと目を開けてはくれたけど、いつもの輝きはない。
とろんとした目を私に向け、ただ手を弱々しく伸ばしてくる。
「母しゃま……」
かすれた声に胸を締めつけられ、その小さな手をそっと握り返した。
なんで……食事にも気を付けてたのに。
それとも風邪を引いたとか?
「とにかく冷やさないと。テオ、ちょっと待っててね」
そっと髪をなでてやると、目を閉じたまま私の手のひらに頬を押しつけた。
「マリネ! そこにいる!?」
「エリシア様、どうかなさいましたか?」
私の声に、乳母のマリネが慌てて部屋へ入り、その後ろから見習い料理人のニコラスも心配そうに顔をのぞかせた。
「あの、朝食のご用意が……」
「テオが熱を出したの、お医者様を呼んでくれる?」
「は、はい!」
ニコラスが慌てて駆けていくと、マリネはボウルに水を汲んで、タオルを数枚用意し始める。
彼女も、テオの顔色を見てすぐに気づいたらしい。
「奥様。季節の変わり目は体調を崩しやすいものですから……坊ちゃまも、少し疲れが出たのかもしれませんね」
私が動揺しないよう、穏やかな口調を崩さないあたりはさすがだ。
「……そうだといいんだけど」
熱を持ったおでこに、水で冷やしたタオルを当てると、テオはきゅっと目を閉じる。
ぐずることはなく、弱々しい小さな手が私の袖をぎゅっと掴んだ。
「母しゃま……いっちゃ、やだ」
「ここにいるから。ずっとそばにいるからね」
熱に浮かされながら、必死に縋ろうとする姿に胸が痛む。
手を握り返して、そっとベッドの端に腰掛け、トントンと背中を優しく叩いてやった。
眠るまで、何時間だって付き添うつもりだった。
やがて医師が到着し、処方された薬を飲むと、浅い呼吸を繰り返しながら、テオはまたまどろんでいった。
医師は季節の変わり目による風邪だろうと告げた。
寝息は静かだったけど、それすら頼りなく聞こえて、不安は拭えない……こんなに急に体調を崩すなんて。
もし原因が他にあるのなら、突き止めたい。
寝顔を見守りながら、私は静かに考えを巡らせる。
この前のスープといい、今のやり方じゃだめだ……防ぎきれない。
もっと踏み込まないと。
「……ねぇマリネ、テオに出された食事や薬って、記録されてたりしないよね?」
「それでしたら、書庫の奥にある、立ち入りを禁じられた区画に保管されております」
「え……もしかして、今までのを全部?」
「はい、そういう決まりでございますから」
ベッドの横には気遣わしげな顔をしたマリネが立ち、ニコラスは扉のそばでじっと私の指示を待っていた。
貴族という肩書きは、時には重いものだけど、今日ばかりは女神様に感謝したい。
いや……貴族だからこんな目にあっているのかも。
「奥様?」
マリネがテオを起こさないように、静かに声をかけてくる。
小さく頷いて、私は声を潜めた。
「……ふたりとも、少しだけ話せる?」
マリネとニコラスは、すぐに応じてくれた。
ふたりを、部屋の奥の小さな応接スペースに招き入れる。
「テオのことだけど」
迷わず切り出した。
「お医者様は風邪かもしれないって仰ったでしょ? でも、そうじゃない気がするの。何か、ほかに原因があるんじゃないかって」
考えすぎなのかもしれないけど、マリネは私の言葉に深く頷いてくれた。
「私も、坊ちゃまの様子が気がかりです。もし他に原因があるとすれば――」
「調べてみたいの」
彼女の言葉を遮って、声に力を込める。
「見落としていることがないか、一緒に調べてもらえない? 私だけじゃ不安で」
少しだけ目を見開いたマリネは、柔らかく微笑んだ。
「もちろんです、奥様。坊ちゃまのためなら、何だっていたしますよ」
ふと隣を見ると、ニコラスがギュッと拳を握っている。
「ねぇ、どうかした?」
「あの……俺、今朝の仕込みでちょっと気になることがあって」
彼はおずおずと口を開く。
「坊ちゃまの食事に使う薬草が、以前のものと違っていたんです。ほんの少しだけ、葉の形が違っていて」
「それ、詳しく聞かせてくれる?」
「はい、奥様と話したことでなんだか気になって。料理長に尋ねたら、同じ効き目のある薬草だと説明されたそうで……ただ、前のものより少し匂いがきつくて」
私は息を呑んだ。
……やっぱり何かあるんじゃないの?
「たしかに、数日前の朝食のスープは、少し香りが強うございましたね」
マリネも覚えていたようで、小さくうなずいている。
「それ、名前は分かる?」
「いや、そこまでは……申し訳ありません」
「ううん、いいの。ありがとう、教えてくれて」
マリネと軽く視線がぶつかり合うと、お互いの顔をじっと見つめ合う。
彼女は私の考えていることを、すでに理解しているようだった。
――記録を確かめられたら。
私は唇をぎゅっと噛み締めた。
◇
「奥様、こちらです」
マリネに促され、テオの眠る部屋をそっと後にして、屋敷の一角にある書庫へ向かった。
中はひんやりと静まりかえり、天井まで積み上げられた書物が、所狭しと並んでいる。
以前キアーナ様のノートを持って来てくれた青年が、隅に立っていた。
「……奥様」
彼は一瞬驚いた表情を見せたものの、すぐに一礼して視線を足元へ落とした。
銀髪がさらりと揺れ、前髪でよく見えない目元は、私との会話を避けているようにも思える。
「……お願いしたいことがあるの」
一歩近づくと、彼はようやく顔を上げた。
「どういったことでしょうか」
「テオに出された食事と、使われた薬草の記録を見せてほしいの」
しばらく沈黙が続いて、彼が息を吐き出したのが分かった。
「それはできません。旦那様のお許しがあれば別ですが——」
「テオが高熱を出して……いつもと違うの。食事にも気を付けてたのに」
深く頭を下げると、彼は驚いたように後ずさり、背中を本棚にぶつけた。
「キアーナ様のノートを持ってきてくれたでしょう? 私も記録しているけど、できることにも限界があるの」
「……いや、しかし」
「ノエル」
後ろからマリネの声がして振り返ると、彼女は困ったように眉尻を下げながらも、まっすぐに青年を見つめていた。
「坊ちゃまの体調に関わることなの。どうか、お願い」
私も祈るような気持ちで、ノエルと呼ばれた青年の返事を待った。
「……承知いたしました」
ぽつりと、短く返事が返ってくる。
顔を上げると、彼はため息をつきながら、腰に下げた小さな鍵束を取り出していた。
「管理記録は、鍵のかかった奥の棚に置いてあります。ただし持ち出しは禁止です。それから、他の使用人たちに見られないように……必ずこの場で見るとお約束ください」
「あ、ありがとう!」
思わず声が弾んで、ノエルは苦笑混じりの笑顔を一瞬だけ見せた。
もしかしたら彼も、これから力を貸してくれるかもしれない。
この屋敷で、見つけた3人目の協力者。
私の胸に、じんわりと小さな灯がともった。




