第十四の手 妻は戻った、テオと共に
レオニスSide
エリシアたちと久しぶりに食卓を囲んだあと、俺は北砦へ向かった。
朝から続いた作戦会議がようやく終わると、隣にいたカイルがにやついた顔を向けてくる。
「旦那、今朝はご機嫌ですね」
「……お前の気のせいだ」
「またまたぁ、長年連れ添った俺には、すぐに分かりますって。それに、さっきの作戦会議でも、どこか上の空だったでしょう?」
「……誤解されるようなことを、大声で言うんじゃない」
コイツは軽薄そうに見えて、意外と周囲の空気の変化に敏感だ。
ヘラヘラ笑っているその裏で何を考えているのか……長年付き合ってきた俺でも読めないときがある。
「承知しました」
そう答えた彼女は、今朝は珍しく素直だった。
「旦那、顔がにやけてますよ?」
カイルは笑いながら俺の顔を覗き込んでくる。
「なに馬鹿なことを言ってるんだ、そんなことあるわけないだろ」
「はいはい、そうですか」
軽く睨み付けると、カイルは苦笑しながら、慌てて後ずさりした。
……いや、本当に違うよな?
俺は彼に気付かれないように、こっそり口元を手で確かめた。
「なぁ、こないだの魔物討伐の話、聞いたぞ? あれ、絶対大げさに言ってるだろ」
昼を過ぎて、部隊の面々は簡素な食事をとりながら、くだらない雑談で盛り上がっていた。
「いやいや、本当に3匹まとめて一撃だったって!」
「嘘つけ、片足怪我してるって言ってたじゃねぇかよ」
正面の暖炉の薪が、音を立てて崩れ落ちるたびに、ワハハハと笑い声が広がる。
俺はその輪から少し離れたソファに腰掛け、黙って窓の外を眺めていた。
カイルに指摘されてからというもの、今朝のエリシアの返事が妙に頭から離れなかった。
「……レオニスの旦那」
ひょこっと近づいてきたのは、おっとりした青年ルディだった。
彼の後ろからもうひとり、快活な笑顔を浮かべたカイルの姿も見える。
「たまには、俺達と一緒に食べませんか?」
ふたりが俺の両隣に腰を下ろすと、自然と眉間にしわが寄った。
俺はそのまま何も言わずに、用意されていた昼食へ視線を移した。
「そういや、旦那……」
「何だ?」
「奥様とは、あれからどうなんですか? 滅多に屋敷には帰らないんですから、これからは手紙でも出したらいいんじゃないですかね」
ぱちり、と暖炉の火が弾ける音が、やたらと大きい。
さっきまで騒いでいた周囲の部下たちは、一斉に静かになった。
「……お、ついにきたな」
「動いたのはやっぱりカイルか」
「……誰が最初にいくのか、賭けてたんだろ?」
彼らがコソコソと囁きあっている内容が、こっちまで筒抜けだ。
アイツら……もう少し気を使えないのか?
俺はそれでも言葉を飲み込み、ただ手元を見つめ続けた。
「だって旦那、この前、奥様と坊ちゃまの様子がおかしいって言ってたじゃないですか」
「そうですよ、いい意味で」
ルディも口を動かしながら、会話に割り込んでくる。
「たしかに、屋敷の雰囲気は良くなってはいたが……」
カイルがニヤニヤしながら、肘で俺を小突いた。
「……べ、別にたいしたことじゃない。少し思っていたのと違っただけだ」
「旦那が奥様のことを気にするの、初めてですね」
ルディの言葉に、ぐうの音も出ない。
「そういえば、昨夜の夜会の話はもう噂になってます。あの奥様が、侍女を責めずに助けたとか」
「……もう広まっているのか!?」
「旦那が馬で追いかけたって話も一緒に」
「それは誤解だ」
ルディはいつも痛いとこを突いてくる。
誰だ、そんなことまで言いふらしているのは。
だが、エリシアが夜会で嫌味を言われても堂々と切り返したのは事実だ。
ドレスを汚した侍女を責めず、介抱を優先したことも。
俺が聞いていた噂と、目の前で見た彼女の姿は、あまりにも違っている。
では、俺が知っているつもりだったエリシアは、一体なんだったんだ。
「旦那、一度奥様とよく話し合ってみたらどうです?」
「……今さら、何を話せと言うんだ」
ルディは困ったように眉を下げたが、それ以上は何も言わなかった。
その日の仕事を終えて屋敷へ戻った頃には、すでに夜も更けていた。
静かに一礼したウォルターから、エリシアは寝室にいると聞いた。
遅くなってしまったが……彼女はもう眠ってしまっただろうか。
エリシアが戻っていると信じて、俺は寝室へ向かう足を自然と速めた。
「……はい、どうぞ」
扉の前で息を整え、軽くノックすると、彼女の声が耳に届いた。
俺はこんなに慎重なヤツだったか?
静かに扉を開けると、昨夜より大きくなったベッドにはテオが眠っていて、エリシアはペンで何かを一心不乱に書き込んでいた。
「……これは、どういうことだ?」
「お帰りなさいませ。窮屈なので、ウォルターにお願いして、ベッドは少し大きくしてもらいました。お気に召しませんでしたか?」
「そうではない」
そこには確かにエリシアがいた。
ただし、テオも当然のように一緒にいる。
「……なぜテオがいる?」
「なぜって、元に戻せって仰ったでしょう?」
「それは——」
「しっ! 大きな声を出すとテオが起きてしまいますから」
今さら眠っている小さな子を追い出せとは言えないし、エリシアもすでに寝る支度をして欠伸を噛み殺している。
結局俺は、自分のベッドに入るしかなかった。
「おやすみなさい」
彼女の声が響くと、すぐにふたつの寝息が、静けさに包まれた部屋に溶け込んでいった。
そっと顔を向けると、眠っているテオの向こうに、エリシアの穏やかな寝顔が見える。
昨夜、俺を責めたときの鋭い表情とはまるで違う。
わずかに開いた唇から規則正しい息が漏れ、頬にかかった髪が呼吸に合わせて揺れている。
エリシアは、俺の言葉どおり寝室へ戻ってきた。
何も間違ってはいない。
それなのに、なぜこんなにも納得できないのだろう。
間にいるテオが寝返りを打ち、小さな手をエリシアの胸元へ伸ばす。
彼女は目を覚ますことなく、その手を包み込むように握った。
いつもの光景なんだろうか。
テオも、エリシアも、あまりにも自然だった。
そこに自分だけが入り込めずにいるような気がして、俺は眉を寄せた。
結局、その夜はなかなか寝付けなかった。
翌朝、俺はほとんど眠らないまま、北の砦へ向かった。
報告を聞き漏らしたつもりはないし、指示もいつも通り出したつもりだ。
だが、身体に残った眠気までは隠しきれなかったらしい。
作戦会議が終わり、部屋に側近たちだけが残ると、カイルが俺の顔を覗き込んできた。
「……旦那、眠そうですね」
「ああ、悪い」
「奥様と何かあったんですか?」
「いや、何もない。本当にありえないくらいにな」
俺の答えに、カイルは納得できないと言わんばかりに眉をひそめた。
「じゃあ何が問題なんです?」
「テオがだな……」
このまま全て、話してしまうか……?
「坊ちゃんが?」
「……テオも同じ部屋で寝ている」
「ゲホッ! ゴホゴホ」
「おいおい、大丈夫かルディ」
飲みかけの水でむせて咳き込むルディの背中を、その場に残っていた部下がそっとさすった。
「えっ、坊ちゃんは毎晩一緒なんですか?」
「……ああ、そうだ」
カイルたちに囲まれ問い詰められて、気づけば俺はこれまでの経緯を全部話してしまっていた。
「なぜ俺はテオが一緒だったことに落胆したのか、それが分からん」
部下たちは一瞬沈黙したかと思うと、笑いをこらえている。
「なんだ、何がそんなにおかしいんだ」
自分だけが状況を理解できていないのが悔しくて、半ば八つ当たり気味に睨みつけると、カイルがにやつく口元を押さえながら、口を開く。
「いやいや、旦那。奥様は、言われた通り寝室へ戻られたじゃないですか」
「それは……そうだが」
たしかに彼の言う通りだ。
「俺、また奥様にお会いしたくなっちゃいましたよ」
「お前、この前会ったばかりだろ」
「今夜の食事、俺たちもご一緒していいですか?」
「なぜそうなる」
「まあまあ、いいじゃないですか」
カイルに押し切られて屋敷へ向かう馬車には、ちゃっかりルディも一緒に乗り込んでいた。




