第十三の手 噂の中の私
なにやってんの、この人……。
慌てて馬車の扉を開けて外をのぞいた私の顔が、よほど間抜けに見えたのか、レオニスは一瞬眉間にシワを寄せる。
彼は荒い息を吐いて落ち着かない馬を、慣れた手つきで落ち着かせた。
「ひとりで帰るつもりか」
「そう言ったでしょう? あなたはゆっくりすればいいって」
「……君は」
なに……なんで黙ってるの?
お互いのことに干渉しない契約だし、それぞれ楽しめばいいじゃない。
「……もういい、屋敷に帰るぞ」
「えっ!? あなたは会場に戻らないんですか?」
「馬車を出せ」
「か、かしこまりました」
レオニスが私を無視して合図を送ると、御者は慌てて馬車を出発させた。
「旦那様は、馬車に乗らないんですか?」
「コイツを借りてきたからな」
馬を置いていくわけにもいかないのか、レオニスは馬に跨がったまま、馬車の横をゆっくりと進んでいく。
「……お帰りなさいませ」
私たちを出迎えたウォルターは、眉ひとつ動かさなかったけど、言いたいことはなんとなく分かる。
「その馬どうした!?」
「なんで別々?」
って顔に出さないあたり、できた執事だと思う。
レオニスが馬を降りて使用人に指示を出している間に、私もさっさと馬車を降りた。
「テオは? もう寝てしまった?」
「はい。おふたりがご不在でしたので寂しそうにされてはおりましたが、マリネが上手く寝かしつけたようです」
「そう、良かった。先に着替えを済ませるわね」
あの子は、夜の食事のあとも特に体調を崩すこともなく、今は自分の部屋でぐっすり眠っているらしい。
「君は」
着替えのために急いで部屋へ向かおうとした私の背中を、レオニスの低い声が追いかけてきた。
「え……なんですか?」
「……なぜ責めなかった」
なんのこと……?
レオニスの言いたいことが理解できなくて、思わず彼の顔をじっと見つめてしまう。
「なにか、気に障ることでもありました?」
「その……普通は怒るものじゃないのか。高価なドレスを汚されたんだ」
「ああ……たしかに気にはなりますけど、彼女の顔色が悪かったでしょう? どちらか選べと言うなら、私は人を優先するというだけです」
そう答えると、レオニスは何も言わなくなった。
また黙る……この人は、本当に会話が下手だ。
「それとも、私が怒鳴り散らすと思っていたんですか?」
「……そうは言っていない」
「顔に出ています」
本当にそう思っていたのか、レオニスの眉がわずかに動いて、彼はきまずそうに視線をそらした。
「旦那様の想像している噂の中の私は、見栄と虚勢で生きていて、ドレスを汚されたら侍女のひとりくらい泣かせるのでしょうね」
「……エリシア」
私の名前を彼が呼んだのは、これが二度目だ……しかも今日だけで二度も。
「残念ながら私はそこまで暇じゃありません。お話は以上ですか?」
レオニスは反論せず、ただじっと私を見ていた。
傷ついたような顔しないでよ……これは、あなたが始めたことでしょう?
静かに側で控えているウォルターは、目を閉じる。
結婚式で、レオニスが私に投げかけたひどい言葉を、一番近くで聞いていたのは彼だ。
「……テオが心配なので、先に失礼します。お疲れ様でした」
夜会の勢いのまま、それだけ言い残して、まずは着替えるために自室へと向かう。
彼が私を見るその視線が、今までとは少し違うように見えたのは、気のせいだと思うことにした。
「奥様、お疲れでしたでしょう?」
「夜会なんて久しぶりだから、少し人に酔ったみたい。でも早めに退散できて良かった」
メイドに手伝ってもらって着替えを終えると、ようやく肩の力が抜けた気がした。
あの侍女にもお礼を言いたいぐらい。
エリシアも人混みが苦手だったみたいだし、そのへんは私と似てるのかな。
「もうお休みになられますか?」
「いいえ、テオの様子が気になるから、部屋へ行ってみるわ」
隣にある夫婦の寝室には、まだ誰の気配も感じられない。
深夜近くのはずだけど、今夜レオニスはここには来ないのかも。
「今日は少し冷えますから……」
着替えを手伝ってくれたメイドが気を利かせて、薄手のガウンをそっと肩に掛けてくれた。
「ありがとう、あなたもゆっくり休んで。お疲れ様」
寒さを断ち切るように、首元までしっかり身を包むと、私はテオの部屋へと急いだ。
「寒っ……テオが風邪ひいてなかったらいいけど」
普段履きの柔らかな靴は底が薄く、ヒタヒタと音も立てずに、磨かれた廊下の冷たさを伝えてくる。
私はたどり着いた部屋の扉を小さくノックして、ゆっくりと押し開けた。
椅子に座っていた乳母のマリネが立ち上がろうとしたのを手で制して、人差し指を口に当てて微笑むと彼女も笑みを返してくれる。
「よくお休みになってますよ」
「そう、良かった。咳も出てないみたいね……」
ヒソヒソと小声で確認し合っていると、テオが寝返りをうち、シーツがこすれる音がした。
「私が交代するから、マリネはもう休んで」
「はい、ではお休みなさいませ」
彼女が部屋を出て行くのを確認したあと、テオが休んでいるベッドに私も身体を横たえた。
「こうやって見ると、旦那様に鼻の形が似てる」
指で軽く突くと、テオは眉をしかめて片手で頬を掻いた。
その仕草がレオニスに似ていて、思わず笑みがこぼれる。
「お休み、テオ」
寝室へ戻ることもなく、私はいつの間にか意識を手放していた。
翌朝、いつものように起きた私は、テオの手を引いて食堂へ向かっていた。
「さあ、朝食を食べようね」
ただ、いつも空席のはずのそこには、仏頂面のレオニスがすでに座っていて、手に持った書類に目を通していた。
「……おはようございます」
機嫌が悪そうに見えるけど……どうしたんだろ?
「奥様、坊ちゃま、おはようございます」
返ってきたのは使用人たちの声だけで、肝心のレオニスはちらっとこちらを見ると、すぐにまた書類とにらめっこを始める。
ウォルターの相変わらず和やかな笑顔が、何かを物語っている気がしないでもない。
「……昨夜、どうして戻らなかった?」
「はい?」
テオがもぐもぐと口を動かしている間に、自分も朝食を一口食べようとした、その時だった。
「なぜ、寝室に戻ってこなかったのかと聞いているんだ」
「え……ああ、テオの部屋で寝ましたから」
私の答えに、レオニスはむっとしたように眉を寄せた。
こっちは忙しいんだってば……。
この子に朝食を食べさせてるのが見えないのかな。
「そうではない。君の寝室は別にあるだろう?」
「ああ、そうですね」
「今夜からは元に戻すように。いいな?」
「承知しました」
お互い干渉しないはずだったけど……まあ、機嫌は直ったみたいだし、いいか。
ようやく朝食に手をつけたレオニスは、私の返事に満足した様子だった。
目の前の食事をあっという間に平らげ、颯爽と食堂を後にする。
「ウォルター、私とテオが寝るベッドだけど、もう少し余裕があるものに変えられない? 寝返りを打つと、この子を押し潰してしまいそうで怖くって」
「は……ベッドでございますか?」
「ええ、旦那様が使っているものと、交換してもらうわけにもいかないでしょう?」
「それはそうですが……」
ふと周囲に目をやると、控えていた使用人やメイドたちは目を丸くしたり、小声でささやき合ったりしている。
あれ……私、なにか変なこと言った?
でも、レオニスがいま使っているベッドが一番大きい。
夫婦で使用するために置いてあるんだから、当然なんだろうけど。
「じゃあお願いね。テオは少し硬めの方が好きみたいよ」
珍しく返事をしない執事に違和感を覚えつつ、私はフォークにのせたスクランブルエッグを口へ放り込んだ。




