第八話 ラドルの街
【登場人物】
ロベリア
白い髪と、青紫の瞳を持つ幼い少女。
故郷と母を失い、森での小さな暮らしを経て、今は外の世界で生きるための一歩を踏み出している。
青紫の瞳には“精霊眼”と呼ばれる特別な力が宿っており、他の者には見えない気配や魔力の偏りを感じ取ることがある。
また、自らの内に眠る冷たい質の魔力に、少しずつ触れはじめている。
アズリス
白銀の神獣のもとに遺された、小さな幼獣。
ロベリアに名を与えられ、その傍らで日々を共にしてきた存在。
今は人目を避けるため、青紫の宝石のブローチの中に身を隠していることも多い。
エドガル・フェイン
ラドルを拠点に周辺の村や街を行き来する商人。
実務的で頭の回転が速く、商人らしい計算高さを持ちながらも、礼を失わない大人の男。
ロベリアを街まで伴い、外の世界の仕組みへ触れるきっかけを与える。
ミレナ
エドガルの商会に関わる女性。
落ち着いた目で物事を見定め、必要なことを手際よく整える現実的な人物。
街で生きるための装いや見え方についても、ロベリアに助言を与える。
セヴラン
森の中でロベリアが出会った、黒いローブを纏う死霊術師。
すでに別れてはいるが、その教えや言葉は今もロベリアの中に残っている。
珍しいものを隠すこと、知らないままでは生きられないことを教えた存在でもある。
【用語・設定】
精霊眼
ロベリアの一族に伝わる、青紫の瞳に宿る特別な力。
魔力、精霊、妖精、霊など、この世ならざるものの気配や存在を見通すことができるとされる。
幼い今はまだ不安定だが、危険や違和感の兆しを捉えることがある。
青紫の宝石のブローチ
ロベリアの母が遺した、青紫色の宝石のブローチ。
精霊や妖精にまつわる力が宿ると伝えられており、高位の妖精あるいは精霊が神秘の力で作り出した古代の遺物、アーティファクト。
今ではアズリスがその内へ身を隠せるなど、不思議な器としての性質も見せている。
ラドル
ロベリアがたどり着いた初めての人の街。
高い石壁に守られ、商人や冒険者たちが行き交う、森の外の現実が息づく場所。
ロベリアにとっては、未知の世界と新たな生き方へ繋がる最初の足場となる。
冒険者ギルド
魔物討伐、護衛、採集、運搬など、さまざまな依頼を仲介する組織。
魔石や素材の買取も行い、登録すれば身分証として機能する証が与えられる。
身寄りのない者にとっては、稼ぎと立場を得るための現実的な道のひとつでもある。
仮登録
正式な冒険者登録の前段階となる暫定的な登録。
受けられる依頼には制限があるが、街の中で活動するための足がかりとなる。
信用や後ろ盾の少ない者にとっては、実績を積むための最初の立場でもある。
保証人
街やギルドにおいて、その者の行動や身元に一定の責任を負う立場の人。
保証を受ける者は、個人の信用ではなく、まず保証人の信用のもとで見られることになる。
ロベリアにとっては、外の世界の厳しさと仕組みを示す存在でもある。
内部拡張の簡易ポーチ
見た目以上の荷物を収められる簡易的な収納具。
旅や日常の持ち運びを助ける道具であり、街で生きる者にとっては実用性の高い品のひとつ。
外の世界
双子山と森の外側に広がる、ロベリアの知らない広い世界。
人の国、街、制度、信用、肩書き、さまざまな仕組みがあり、ただ生きるだけでは立っていけない現実がある。
ロベリアは今、その只中へ足を踏み入れようとしている。
石壁が見えた時、ロベリアは思わず足を止めた。
森の中では決して見ることのなかった、高く積み上げられた灰色の壁。門の上には見張り台があり、槍を持った男たちが立っている。人の出入りに合わせて荷車が軋み、馬が鼻を鳴らし、門前では短いやり取りが絶えず交わされていた。
ラドルの街。
セヴランが語った“外の世界”のひとつが、いま目の前にあった。
ロベリアはフードの奥からその光景を見上げる。森の空気とは違う、乾いた土と人の匂いが流れてくる。胸の奥が少しだけざわついた。ここには多くの人がいて、多くの目がある。森でならただ通り過ぎたものも、この場所では見られるのだと思うと、足先に小さな緊張が集まった。
胸元の青紫のブローチへ、そっと指を触れる。
その奥にはアズリスがいる。
小さなぬくもりは感じるが、外へ出さない。
珍しいものは隠せ。守りたければなおさらだ。
セヴランの言葉を思い出し、ロベリアは指先を離した。
「緊張なさるな、ロベリア殿」
隣で、エドガルが温和な声を出した。恰幅の良い身体を揺らしながら、それでも門番たちへの視線は抜かりがない。
「初めて街に入る者は、だいたい皆そんな顔をします」
「……顔、出てる?」
「ええ、少々」
口髭の奥で笑われ、ロベリアは少しだけ視線を伏せた。
双子山を下り、森を抜け、ロベリアは道中で困っていた商人の隊商を助けた。その縁で、エドガル・フェインという商人に街まで伴われている。荷を襲った魔物を退けたこと、子どもひとりでは街で生きにくいこと、そしてロベリア自身にも行くあてがなかったことが重なって、今こうして門前に立っていた。
門番のひとりが近づいてくる。鎖帷子の擦れる音に、ロベリアの肩がかすかに強ばった。
「エドガル殿。今日は随分と早い戻りですな」
「ええ、少々予定が変わりまして」
エドガルは自然な調子で応じる。
「それと、この子を連れております。私の保証で中へ入れたい」
門番の視線がロベリアへ向く。鋭く、まず年齢を見る目だった。次に、フード、白いローブ、細い身体、そして口を閉ざした様子までを一息に測る。
「身元は」
「森側で行き倒れかけていたのを拾いましてな。事情は複雑そうですが、こちらで面倒を見ます」
「……子どもだな」
「ええ。しかし足手まといではありません。むしろ助けられた側はこちらです」
門番は眉をひそめた。冗談と受け取るにはエドガルの声が真面目すぎたのだろう。
「名前は」
「……ロベリア」
「姓は」
少し、言葉に詰まる。
村にいた頃、姓を必要とすることはほとんどなかった。ここでは違うのだと、いまさらのように思い知る。
「……ない」
門番の目が細くなる。疑っている、というよりは、扱いを決めかねている目だった。
エドガルが間を埋めるように口を挟む。
「仮登録前提で構いません。保証は私が持ちます」
その一言で、門番の態度が少し変わった。ロベリア個人ではなく、エドガルの信用に話が移ったのだとわかる。
「保証人付きなら手続きは可能だ。だが、問題を起こせば責任はそちらにも及ぶ」
「承知しておりますとも」
門が開かれる。
その瞬間、ラドルの街の音が一気に流れ込んできた。
石畳を行く荷車の音。店先の呼び声。鍛冶場の金属音。人の足音。人の匂い。焼いたパンの匂い。干した革の匂い。森にはなかった多種多様な気配が渦のように絡まり合い、ロベリアは一瞬だけ目を見開いた。
「……これが、街」
「ええ。ラドルの街です」
エドガルは満足そうに頷いた。
「まずは宿と、ギルドですな」
◇
街の中を歩くあいだ、ロベリアはできるだけ視線を上げないようにした。
けれど、人の多さはいやでも伝わってくる。通り過ぎるたびにちらりと向けられる目。子どもひとりにしては妙に静かで、白いローブを深く被っているとなれば、多少は目立つのだろう。
露骨に見返してくる者もいれば、すぐ興味をなくす者もいる。店先の女が気の毒そうに目を細めたかと思えば、荷担ぎの男は「どこから拾ってきたんだ」と小さく笑った。
ロベリアは黙って歩く。
見られている。
だがまだ、知られてはいない。
それだけで十分だった。
まず案内された宿は、表通りから少し外れた中ほどの宿だった。高級ではないが、荒れてもいない。子どもひとりを預けるにはちょうど良い場所を、エドガルなりに選んだのだろう。
「しばらくはここを拠点にするといいでしょう。先払いで数日は押さえてあります」
「……いいの」
「投資ですな」
こともなげに言われ、ロベリアはそれ以上返せなかった。恩なのか、打算なのか、その両方なのかはまだよくわからない。けれど少なくとも、今の自分には必要な手だった。
荷を置いたあと、次に向かったのは冒険者ギルドだった。
石と木を組み合わせた大きな建物。扉を開けた瞬間、酒と革と紙の匂いが混ざった空気が広がる。内部には長机、掲示板、受付の窓口、そして装備姿の男女。森の中では見たことのない種類の緊張と粗さが、同じ場所に同居していた。
視線が集まる。
子どもだから。
白いローブだから。
商人に連れられているから。
それだけで十分、場には異物だった。
「……随分と可愛らしい新人候補だな」 「迷子じゃないのか」 「エドガルの旦那、今度は拾い物か?」
笑い混じりの声が飛ぶ。悪意ばかりではない。だが値踏みの色ははっきりある。
エドガルは気にした様子もなく受付へ進んだ。
「新規登録をお願いしたい。保証人付きの仮登録で」
受付の女性は、ロベリアを一目見て、次にエドガルを見る。その視線の順番で、この場でもやはりエドガルの信用が先に立つのだとわかった。
「年齢は」
「……十二」
「身元証は」
「ない」
「保護者は」
ロベリアは答えに詰まる。エドガルが静かに口を挟んだ。
「現時点では私が保証人を引き受けます。正式な後見ではなく、街内活動に対する保証です」
受付は頷き、書類を引き寄せた。
「では仮登録になります。正式階級の外側です。受けられる依頼は限られます」
「……階級?」
ロベリアが小さく問い返すと、受付は事務的だが丁寧な調子で説明した。
「このギルドでは、冒険者は信用と実績に応じて区分されます。仮登録の上に、白札級、灰札級、青札級、銅札級、銀札級、金札級、そして白金です」
聞き慣れない言葉が並ぶ。
「札の色は、強さだけではありません。依頼達成、生還率、規律、報告の正確さ、周囲への危険の少なさ。そういったものも含めて判断されます」
セヴランが言っていた。力があっても、知らなければ生き残れないと。
街の中では、その“知らなければならないこと”が制度の形を取っているのかもしれなかった。
受付は続ける。
「仮登録では、単独での高危険依頼、遠距離護衛、本格的な討伐任務は受けられません。街内雑務、低危険採取、見回り補助、確認依頼などが中心です」
「それで充分でしょう」
エドガルが言う。
「最初から高いところへ登らせるつもりはありません」
その言い方に、近くで聞いていた冒険者が鼻を鳴らした。
「当たり前だ。仮登録なんざ、せいぜい雑用だろ」 「その歳で外に出りゃ、すぐ泣いて帰るさ」
ロベリアは反応しない。反応したところで、何かが変わるわけでもない。
受付は視線だけで私語を制し、書類を差し出した。
「名前を書けますか」
ロベリアは少し迷ってから、ゆっくりと自分の名を記した。文字を書く手元を、受付が一瞬だけ見た。読み書きができる、それだけでも評価のひとつになるのだろう。
「保証人署名を」
エドガルがさらさらと署名する。
「これで街内活動と簡易依頼受注が可能です。仮登録証は紛失しないように。問題行動があれば停止されます」
差し出された小さな札は、簡素な作りだった。正式な白札ではなく、仮登録を示す暫定の証票。軽い。だが、これがあるだけで自分は“街の外の何者でもない子ども”から、少しだけ位置を得るのだと思うと、不思議な重みがあった。
「……ありがとう」
思わずこぼした声に、受付はほんの少しだけ表情を和らげた。
「礼は、きちんと帰ってくることで返してください」
◇
登録後、エドガルはロベリアを商会へ連れて行った。
ラドルの中でも手広くやっているらしい建物で、商品棚と帳場が整然と並んでいる。そこへ奥から現れたのが、ミレナだった。
「この子ですか」
「ええ。少々、整えてやってください」
ミレナはロベリアを頭の先から足元まで一目で見た。値踏みというより、作業前の確認に近い視線だった。
「……ひどくはありませんが、手は入れた方がいいですね」
そのまま別室へ通される。
湯。布。清潔な衣服。髪を整える手。森の小屋で自分なりに保ってきた清潔さとは違う、人の手による“整えられる”という感覚に、ロベリアは少し落ち着かない。
だが、汚れが落ち、身体が軽くなると、胸のこわばりが少し解けるのも確かだった。
「温かいの、嫌いではないでしょう」
ミレナが当然のように言う。
「……うん」
「なら結構です」
着せられたのは仮の衣服だった。派手ではないが、街の中で浮きすぎないもの。続いて腰に回すポーチが渡される。
「こちらは内部拡張の簡易品です」
「……これが」
「ええ。見た目ほどは入りませんが、ないよりずっといいでしょう」
さらに採寸が始まる。肩幅、袖丈、足の長さ。ロベリアは言われるままに動いた。
「正式な旅装は数日ください」
ミレナが告げる。
「あなたの場合、ただ着られればいいわけではありません。顔を隠しやすく、動きやすく、なおかつ侮られすぎない形が必要です」
ロベリアは目を瞬いた。
「侮られ……」
「仮登録の子どもは、見た目でも軽く扱われます。弱そうに見えるのと、害がなさそうに見えるのは別です」
その言葉は、ギルドで向けられた視線を思い出させた。
子ども。
見習い。
保証人付き。
半人前未満。
制度がそうなら、人の目もまたそれに沿うのだろう。
「今のうちに覚えておくといい」
帳場に戻ったあと、エドガルが言った。
「仮登録は、ロベリア殿個人への信用ではありません。私の信用の傘の下に入ったということです」
その言葉は柔らかいが、意味は厳しかった。
「ゆえに、無理をすれば止められる。問題を起こせば切られる。逆に、実績を積めば“あの保証人付きの子”から、“あの子自身”へ見られ方が変わっていく」
「……階級って、そういうものなの」
「ええ。強さだけではなく、誰がその者の言葉を信じるか、まで含めてですな」
ロベリアは胸元のブローチへそっと触れる。
自分の知らない仕組みばかりだ。
だが、知らないままではいられない。
宿へ戻る道すがら、ラドルの空は夕色に染まりはじめていた。街のざわめきはまだ続いている。森の静けさとは違うこの場所で、自分がどこまで生きていけるのか、まだわからない。
それでも、今日はひとつ、確かなものが増えた。
仮登録証。
宿。
着替え。
そして、人の世界の中で自分がどんな目で見られるのかという、少し痛い現実。
ロベリアはフードを軽く引き寄せ、石畳を静かに歩いた。
胸元の奥では、アズリスの気配がかすかに寄り添っていた。
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