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第六話 遠い世界の入口

第六話前書き


【登場人物】

ロベリア

白い髪と、青紫の瞳を持つ幼い少女。

母を失い、今は集落の外れにある小さな物置小屋で、神獣の幼獣アズリスとともに暮らしている。

青紫の瞳には“精霊眼”と呼ばれる特別な力が宿っており、他の者には見えない気配や偏りを感じ取ることがある。

喪失を抱えながらも、自分の力と世界の広さを知ろうとしはじめている。


アズリス

白銀の神獣のもとに遺された、小さな幼獣。

まだ幼く頼りないながらも、静かな気配と確かなぬくもりを宿している。

ロベリアに名を与えられ、その傍らで日々を共にする存在。

ときおり感情や気配がロベリアへ伝わり、不思議な繋がりを見せはじめている。


セヴラン

森の中でロベリアが出会った、黒いローブを纏う死霊術師。

杖と人の頭蓋骨のような物を携えた異質な男であり、死の気配や魔の残滓を辿る術を持つ。

ぶっきらぼうで感情の見えにくい人物だが、ロベリアに森で生きる知恵や、自らの力を知るための手がかりを与える。


【用語・設定】

精霊眼

ロベリアの一族に伝わる、青紫の瞳に宿る特別な力。

魔力、精霊、妖精、霊など、この世ならざるものの気配や存在を見通すことができるとされる。

幼い今はまだ不安定だが、森の中の違和感や、見えないものの残り香のような気配を拾うことがある。


青紫の宝石のブローチ

ロベリアの母が遺した、青紫色の宝石のブローチ。

精霊や妖精にまつわる力が宿ると伝えられており、高位の妖精あるいは精霊が神秘の力で作り出した古代の遺物、アーティファクト。

母の形見であると同時に、アズリスや魔石とのあいだに不思議な共鳴を見せる存在でもある。


神獣の魔石

白銀の神獣が遺した、魔力を内包する特別な石。

静かな白銀の輝きの内に青紫の光を宿し、アズリスやブローチとどこか近しい気配を持つ。

ロベリアにとっては、神獣から遺されたもうひとつの大切な存在である。


死霊術師

死や、その痕跡にまつわる術を扱う者。

死の気配や残滓、想いの残響のようなものに触れ、読み取る術を持つとされる。

外の世界では“ネクロマンサー”とも呼ばれ、セヴランもそのひとりである。


魔力

この世界に満ち、人や獣、妖精/精霊、遺物にも宿る力。

扱い方や現れ方には個人差があり、ロベリアの中にも“冷たい質”を帯びた力が眠っている。

ロベリアが自分の内にあるその力を意識しはじめる。


狩人の物置小屋

集落の外れにある、古びた小さな小屋。

雨風をしのげるだけの質素な場所だが、ロベリアとアズリスが身を寄せ、生きるための暮らしをつないでいる。

森の中の小さな拠点であると同時に、新たな学びの場にもなりつつある。


外の世界

双子山と森の外側に広がる、ロベリアの知らない広い世界。

人の国、街、術、信仰、さまざまな種族や生き方が存在し、エルフの里とは異なる常識で動いている。

ロベリアにとっては、まだ遠く未知の場所でありながら、少しずつ意識せずにはいられなくなっていく世界でもある。

黒衣の男と出会ってから、森の空気は少し変わった。

同じ道を歩いているはずなのに、以前よりも木々の影が深く見える時がある。

川の流れを汲む時も、火を起こす時も、ロベリアの胸のどこかには常にあの男の言葉が残っていた。

――死の気配を辿ってきた。

――私は死霊術師だ。

――外ではネクロマンサーと呼ぶ者もいる。

――おまえは何も知らぬままではいられまい。

知らない言葉ばかりだった。

知らないはずなのに、忘れられない。

ロベリアは火打石を打ちながら、何度目かの火花を散らす。

小さな火が乾いた草へ移り、やがて細い炎になる。以前より少しだけ手際はよくなった。けれど、慣れてきたというだけで、暮らしの厳しさが減ったわけではない。

アズリスはそのそばで丸くなり、火を見つめている。

時おり顔を上げて、小屋の外を気にするように耳を動かした。

「……また来ると思う?」

問いかけると、アズリスは短く鳴いた。

それが答えだったのか、ただ声を返しただけなのかはわからない。

けれどロベリアもまた、同じことを考えていた。

怖い。

できれば会いたくない。

なのに、もしもう二度と会わなければ、自分は何か大事なものを知らないまま取り残される気もしていた。

     ◇

再びセヴランが姿を見せたのは、その二日後の夕方だった。

小屋の近くの木立の向こうに、黒い影が静かに立っているのを、最初に見つけたのはアズリスだった。唸り声を上げるより先に耳を立て、ロベリアの服の裾へ身を寄せる。

ロベリアが振り向くと、セヴランは前と同じように距離を取ったままこちらを見ていた。

左手には相変わらず頭蓋骨。

黒いローブは風に揺れ、杖の先が地面へ軽く触れている。

「……来たんだね」

警戒を隠せないまま言うと、セヴランはわずかに顎を引いた。

「まだ残っているものを見ていた」

短い返答だった。

死の残滓か、瘴気か、あるいは神獣の気配か。ロベリアにはわからない。

セヴランの視線が、小屋の前に積んだ薪と、細い煙の上がる焚き火へ向く。

「火は前よりましになったな」

思いがけない言葉に、ロベリアは目を瞬く。

褒められた、のだろうか。

いや、ただ事実を述べただけかもしれない。

「……教えられたとおりにしただけ」

「素直だな」

その言い方が、からかいでも優しさでもないのがかえって妙だった。

沈黙が落ちる。

ロベリアは迷った。ここで黙れば、また男は去るかもしれない。けれど、聞きたいことは胸の中にいくつも溜まっていた。

先に口を開いたのは、自分だった。

「ネクロマンサーって……外の人は、みんなそう言うの?」

セヴランの目がわずかに細くなる。

質問がそこから来るとは思わなかったのかもしれない。

「みんなではない。死霊術師という呼び方もある。だが外では、まとめてそう呼ばれることが多い」

「外……」

その言葉を、ロベリアは小さく繰り返す。

山の外。

森の外。

村の外。

自分の知らない場所には、自分の知らない呼び名や術や生き方がある。

その当たり前のことが、今さらながら胸へ重く落ちた。

セヴランは続ける。

「この山の外には、人の国がいくつもある。エルフの里だけで世界ができているわけではない。術の系統も、信仰も、死の扱いも違う」

ロベリアは黙って聞いた。

難しいことの全てを理解できるわけではない。

けれど、自分の知る世界がほんのひとかけらでしかないのだと、その口調は否応なく伝えてきた。

「死霊術って……死んだ人を生き返らせるの」

気づけば、いちばん深いところに刺さっていた問いが唇から零れていた。

言ってから、自分で息を止める。

セヴランはロベリアをまっすぐ見た。

その目には嘲りも、同情もなかった。

「完全には無理だ」

答えは短かった。

「死は死だ。失われたものは戻らん。だが、残るものはある。想い、痕跡、声、念、未練……そうしたものに触れ、読み、時に借りる。それが死霊術だ」

ロベリアの指先がかすかに震える。

戻らない。

それは残酷なくらい、はっきりした否定だった。

けれどその続きの言葉に、胸が強く引かれた。

残るものはある。

声。

念。

未練。

それは、もう二度と届かないと思っていたものの、ほんの端だけでも残っているかもしれないという響きだった。

「……聞けるの」

自分でも驚くほど小さな声だった。

「死んだひとの、声を」

セヴランはすぐには答えなかった。

少し考えるように沈黙してから、低く言う。

「誰にでもではない。何でも聞けるわけでもない。聞こえるのは、残り方の強いものだけだ」

そこまで言って、セヴランはふとロベリアの目を見つめた。

「だが、おまえのその目なら、相性は悪くない」

ロベリアははっとする。

「……わたしの、目」

「生きたものだけを見ている目ではない。流れや気配の偏りを拾っている。おそらくは精霊に近いものを見る目だ」

精霊。

その言葉もまた、胸の奥へ深く沈んだ。

母から聞いたことはある。けれどそれは昔話や祈りに近いもので、自分自身に結びつけて考えたことはなかった。

セヴランは淡々と続ける。

「死霊術は、見えぬものを扱う術だ。おまえが本当にそういう目を持つなら、見るだけで終わらぬ可能性はある」

見るだけで終わらない。

その意味を、ロベリアはすぐには言葉にできなかった。

けれど、ただ感じるだけだった森のざわめきや、アズリスから流れ込む気配のようなものが、いつかもっとはっきりした形になるのかもしれないと思うと、胸が熱を帯びた。

怖いのに、知りたい。

その矛盾はもう隠しきれなかった。

「……教えて」

ぽつりと、言葉が落ちた。

セヴランは眉ひとつ動かさない。

「何をだ」

「魔力のこと。わたしのこと。……その、目のことも」

ロベリアは唇を噛む。

全部を言うのは怖かった。けれど、ここで黙ればまた何も知らないままだ。

「わたし、知りたい。何もわからないのは……いや」

最後の言葉はほとんど掠れていた。

セヴランは少しのあいだロベリアを見つめ、それから焚き火の向こうへ視線を落とした。

「知りたいだけでは足りん。扱いを誤れば、おまえの年では簡単に壊れる」

「それでも」

ロベリアはアズリスを抱く腕へ力を込めた。

青い瞳が見上げてくる。そこに、不安と寄り添う気配がかすかに流れ込んできた。

「それでも、知りたい」

風が吹き、焚き火の炎が小さく揺れた。

やがてセヴランは杖を地へつき、静かに言う。

「……なら、まずは自分の魔力を知れ」

     ◇

それからセヴランは、毎日ではないが、ときおり小屋の近くへ現れるようになった。

最初のうちは、ロベリアもアズリスも完全には警戒を解かなかった。

けれどセヴランは必要以上に踏み込まず、無理に小屋へ入ろうともせず、ただ森の様子を見ながら、短い助言や問いを残していく。

「目を閉じろ」

「息を整えろ」

「寒さを感じる場所ではなく、自分の内側を探れ」

「流れているものを探すな。溜まっているものを知れ」

言葉はいつも足りないくらい短い。

けれどロベリアは、その少ない言葉を何度も反芻した。

ある日、セヴランはロベリアを小屋の裏手の開けた場所へ立たせた。

朝の空気は冴え、石の上に落ちた露が白く光っている。

「手を出せ」

ロベリアが言われた通りにすると、セヴランはその掌を見て言った。

「おまえの中には偏りがある。水ではない。風でも土でもない。もっと鋭く、留まり、形を持つ冷たさだ」

ロベリアは黙って聞く。

言われたことは難しい。けれど、妙に腑に落ちる響きだった。

「無理に外へ出そうとするな。まず感じろ」

目を閉じる。

自分の内側へ意識を沈める。

最初は何もわからなかった。

けれど静かに呼吸を重ねるうち、胸の奥のどこかに、澄んだ冷たさがある気がした。山の朝とも、川の水とも違う、もっと静かで透明な冷えだった。

「……ある」

「どこだ」

「胸の、奥……ちがう、もっと手のほうへ……」

言葉にしようとすると逃げる。

けれど確かにある。

その冷たさを、そっと掌へ集めるつもりで意識した瞬間だった。

ぱき、とかすかな音がした。

ロベリアが目を開けると、足元の薄い水溜まりの縁が白く曇っていた。

ほんのわずか、霜が張っている。

ロベリアは息を呑む。

「これ……」

セヴランは頷きもしなかった。

ただそれを見下ろし、静かに告げる。

「氷のへんりんだ。まだ術にもならん。ただ漏れただけだ」

そう言われても、ロベリアには十分すぎるほど衝撃だった。

自分の中のものが、外へ現れた。

目に見える形で。

怖さと同じくらい、強い高鳴りが胸を打つ。

セヴランはその様子を見て、低く言う。

「喜ぶのは早い。制御できぬ力は刃物と変わらん」

「……でも」

「だが、無いわけではないことはわかった」

その一言だけで、ロベリアは黙った。

否定ではなく、事実として認められたのだとわかったからだ。

その日から、ロベリアは少しずつ魔力を感じる練習をするようになった。

火を見つめながら。川辺で水を汲みながら。眠る前の静かな時間に。自分の内側の冷たさは、いつも同じ場所にあるわけではなかったが、意識を向ければ確かに応えるようになっていった。

     ◇

教えは魔力だけではなかった。

セヴランは外の世界のことを、ほんの少しずつ話した。

人の国。

街。

貨幣。

旅人。

傭兵。

教会。

魔術師。

エルフ以外の種族。

ロベリアにとっては、どれも遠い話だった。

けれど、聞くたびに自分のいた世界の小ささがわかる。

「外では、子どもがひとりで森に住んでいれば、たいてい保護されるか、攫われるか、どちらかだ」

「さらわれる……」

「珍しいものを連れていればなおさらだ」

セヴランの視線がアズリスへ落ちる。

アズリスは不満そうに尾を揺らし、ロベリアの足へ身体を寄せた。

「だから、隠すことも知れ」

「守るために隠せ」

そう言われ、ロベリアはアズリスを見下ろす。

この子を守るには、ただ抱きしめるだけでは足りない。

外へ出るなら、知らなければならないことが多すぎる。

その現実は厳しかったが、同時にロベリアの中で小さな決意も育てた。

     ◇

死霊術への興味は、消えなかった。

むしろ、日ごとに静かに深まっていった。

ある夕方、森の縁で焚き火を見つめながら、ロベリアは思い切って尋ねた。

「死霊術って……見るだけじゃないの」

セヴランが薪を火へくべる手を止める。

「何を聞きたい」

「わたし、森で時々感じるの。いなくなったもののあとみたいな……ことばじゃないけど、残ってる感じ」

それはうまく説明できるものではなかった。

けれどセヴランは否定しない。

「残滓だな」

「それを……聞けたり、するの」

セヴランは炎の向こうからロベリアを見た。

「術と資質が噛み合えばな」

「わたしにも、できる?」

しばらく沈黙があった。

アズリスがロベリアの膝で丸くなる。そこから伝わるぬくもりに支えられながら、ロベリアは返答を待った。

「今すぐは無理だ」

やがてセヴランは言った。

「だが、おまえの目は拾う。拾いすぎる目は、声にも近い」

ロベリアはその言葉を静かに受け止める。

声に近い。

胸が苦しくなるほど、惹かれた。

母の声を聞きたい、とまではまだ言えなかった。言葉にしてしまえば壊れそうで、怖かった。

それでも、失われたものの向こうに少しでも触れられるかもしれない術があるのなら、自分は知りたいのだと、もうはっきりわかっていた。

     ◇

アズリスにも変化が現れはじめたのは、その頃だった。

最初は、ロベリアの見間違いかと思った。

母の形見である青紫の宝石のブローチを外して、火のそばで布を繕っていた時のことだ。アズリスがそのブローチの前でじっと座り、青い瞳で見つめていた。

「どうしたの?」

声をかけても動かない。

次の瞬間、ブローチの宝石がかすかに青紫の光を帯びた。

ロベリアが息を呑んだ、その時だった。

アズリスの身体が淡く光に溶ける。

白銀の輪郭が揺らぎ、まるで水面へ沈むように、そのまま宝石の中へ吸い込まれた。

「……え」

ロベリアは凍りついた。

目の前から、アズリスが消えた。

ブローチだけが、かすかな光を宿している。

「アズリス……?」

震える声で呼ぶと、宝石の奥で小さな光が揺れた。

次の瞬間、今度はそこから白銀の影がふわりと押し出されるように現れ、ぽすんと膝の上へ落ちてきた。

アズリスだった。

何事もなかったように、短く鳴く。

だが胸へ流れ込んできた気配は、どこか得意げで、少し甘えていた。

ロベリアはしばらく言葉を失い、それから慌てて抱きしめた。

「びっくり、した……」

アズリスは嫌がることなく腕の中へ収まり、喉の奥で小さく鳴いた。

その夜、セヴランにそのことを伝えると、彼は珍しくはっきりと興味を示した。

「行き来したのか」

「見たの。ブローチの中に、入って……また出てきて……」

セヴランは青紫の宝石をじっと見つめる。

「媒介として機能しはじめたか」

「ばいかい……?」

「器と器をつなぐためのものだ。おそらくその石は、ただの装身具ではない」

ロベリアはブローチを見下ろした。

母の形見。大切なもの。けれど、その本当の意味など考えたこともなかった。

「その子の気配と石の気配は、もともと近かった。繋がりが深まれば、そういうことも起きる」

セヴランの言葉に、ロベリアは胸の奥がざわつくのを感じた。

母は何を知っていたのだろう。

このブローチには、どんな意味があったのだろう。

そしてアズリスは、どこまで変わっていくのだろう。

知らないことは増えるばかりだった。

けれど今のロベリアには、それを恐れるだけではなく、知りたいと思う力が少しずつ育っていた。

     ◇

セヴランが小屋の中へ入ることは最後までほとんどなかったが、その存在はいつしか暮らしの一部になっていた。

薪の選び方。

保存できる草や根。

瘴気の避け方。

気配の読むコツ。

夜に焚き火を大きくしすぎない理由。

ロベリアは教わり、見て、真似をした。

セヴランは必要以上に褒めず、甘やかさず、ただできることとできないことを淡々と分けた。

その距離感が、かえって心地よく感じられる時もあった。

アズリスも完全には懐かないまでも、以前ほど強く唸らなくなった。

セヴランが近くにいても、ロベリアが落ち着いている時は警戒を少し緩める。

晴れた朝に衣類を洗い、火で乾かし、毛皮にくるまって待つ時間もあった。

そのそばでセヴランが何か古い文字を紙へ記していることもあれば、頭蓋骨へ低く何かを語りかけていることもあった。

最初は恐ろしかったその光景も、今ではただ不気味なだけではなかった。

死霊術師という存在が、少しずつ“理解できない隣人”へ変わりつつあった。

けれど、それで終わる関係ではないことも、ロベリアは薄々感じていた。

     ◇

別れは、思っていたより早く訪れた。

ある朝、空気がいつもより高く澄んでいた。

森の気配は静かで、あの重たい死の残滓も、前よりずっと薄くなっているようにロベリアには感じられた。

セヴランは小屋の前に立ち、いつものように感情の薄い声で言った。

「ここを離れる」

ロベリアは薪を抱えたまま動きを止めた。

「……もう?」

思ったより早く口から出たその言葉に、自分でも少し驚いた。

引き止めたいと思っていたのかもしれない。

セヴランは頷く。

「見ていたものはおおむね確かめた。長居する理由はない」

そう言われれば、その通りだった。

もともと彼はこの森の住人ではない。通りすがりの、異邦の死霊術師だ。

けれど胸のどこかが、急に冷えたようになった。

ロベリアは少しうつむく。

聞きたいことはまだたくさんある。自分の力のこと、精霊眼のこと、死霊術のこと、アズリスのこと、ブローチのこと、外の世界のこと。

だが、全部を引き留める理由にはできない。

沈黙のあと、セヴランが言った。

「おまえも、いずれここを出ることになる」

ロベリアは顔を上げる。

「ここに留まり続ければ、知ることは増えん。守れるものにも限りがある」

その言葉は厳しかった。

だが否定できなかった。

この森は今の自分を生かしてくれた。

アズリスと出会い、小さなぬくもりを守る場所にもなった。

けれど、ここにいるだけでは何も知らないままだ。

「……外へ行けば、わかるの」

「少なくとも、問う相手は増える」

セヴランらしい答えだった。

優しい保証ではなく、ただ現実を示すだけの言葉。

ロベリアはアズリスを見下ろす。

白銀の幼獣は青い瞳で見返し、静かな気配を返してくる。不安と、それでも一緒にいるという感覚。

「わたし、行けるかな」

呟くと、セヴランはしばらくロベリアを見ていた。

「行くかどうかを決めるのはおまえだ」

それから、ほんのわずかに声を低める。

「だが、もう立ち止まる顔はしていない」

その一言が、胸の奥へ静かに落ちた。

かつて自分は、死ぬにはまだ早い顔をしていると言われた。

今は、立ち止まる顔ではないと言われる。

それがどういう意味なのか、ロベリアには全部はわからない。

けれど、少しだけ前へ押してくれる言葉だった。

セヴランは懐から小さな包みを取り出し、ロベリアへ差し出した。

中には乾燥させた保存食と、簡単な印の描かれた古びた紙片が入っている。

「危険な場所を避ける目印だ。絶対ではないが、何もないよりはましだ」

ロベリアはそっと受け取った。

「……ありがとう」

その言葉を口にするのは、少しだけ難しかった。

相手がセヴランだからというより、自分が誰かに感謝を向けられるほど前を向けていることが、まだ不思議だったからだ。

セヴランは返事の代わりに杖を鳴らし、身を翻す。

「もしまた会うことがあれば、その時は今より多く問え」

ロベリアは目を見開いた。

それは再会の約束ではない。

けれど、完全な別れでもなかった。

黒衣の背が木々のあいだへ遠ざかっていく。

頭蓋骨が揺れ、やがて森の色へ溶けて見えなくなった。

ロベリアはその背を、最後まで見送った。

寂しさはあった。

けれどそれだけではない。

胸の中には、火種のようなものが残っている。

知りたいという気持ち。

外を見たいという気持ち。

失ったものを抱えたままでも、歩いていきたいという気持ち。

腕の中のアズリスが小さく鳴いた。

ロベリアは母の形見のブローチへ触れ、それから胸元の魔石をそっと握る。

森の中で始まった小さな暮らしは、終わるわけではない。

けれど、ここが永遠の隠れ家ではないことを、今はもう知っている。

自分の知らない世界がある。

知らなければならないことがある。

その先へ進む時が、きっと来る。

ロベリアは小屋の前に立ち、双子山の向こうへ続く空を見上げた。

高く、遠く、まだ何も知らない世界がそこに広がっていた。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

続きは次回更新をお待ちください。

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