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第三話 遺された光

【登場人物】

ロベリア

白い髪と、青紫の瞳を持つ幼い少女。

ハイエルフの集落で母とともに暮らしていたが、ある夜、かけがえのない日常を失うこととなる。

やさしく無邪気な心を持ちながらも、その瞳には“精霊眼”と呼ばれる特別な力が宿っており、ときに他の者には見えないものを感じ取る。

母から託された青紫の宝石のブローチを胸に、喪失の中でなお前へ進もうとしている。


ロベリアの母

ロベリアと同じ白髪と、透き通る青い瞳を持つハイエルフの女性。

花や薬草を摘み、娘をやさしく育てる穏やかな母であり、ロベリアの秘密を知る数少ない存在でもある。

その言葉と想いは、今もなお娘の胸に深く残り続けている。


白銀の神獣

双子山に棲むと伝えられる、神秘的な白銀の狼。

人里から遠い場所に在り、ロベリアの母がかつてその姿を見たことがあるという存在。

気高く静かな気配を纏い、ロベリアにとっては喪失の果てで出会う、もうひとつのぬくもりでもある。


アズリス

白銀の神獣の傍らに寄り添っていた、小さな幼獣。

まだ幼く、か細いながらも確かな命の気配を宿している。

ロベリアが双子山で出会い、名を与えることになる存在であり、そのぬくもりは彼女の新たな日々に静かに寄り添っていく。


【用語・設定】

ハイエルフの集落

深い森と岩肌に守られるように存在する、小さな隠れ里。

寒さ厳しい土地にありながら、花や薬草を育て、外界と細々と交易しながら暮らしている。

ロベリアにとっては幼少期の世界のすべてであり、失われた故郷でもある。

精霊眼

ロベリアの一族に伝わる、青紫の瞳に宿る特別な力。

魔力、精霊、妖精、霊など、この世ならざるものの気配や存在を見通すことができるとされる。

幼い今はまだ不安定で、見えるものと見えないものに揺らぎがある。

青紫の宝石のブローチ

ロベリアの母が身につけていた、青紫色の宝石のブローチ。

精霊や妖精にまつわる力が宿ると伝えられており、高位の妖精あるいは精霊が神秘の力で作り出した古代の遺物、アーティファクト。

母からロベリアへ託された大切な形見でもある。

喪失のあとも、彼女の胸元で静かに存在し続ける。

双子山

ロベリアの故郷から見える、並び立つふたつの山。

古くから神獣が棲むと語られており、幼いロベリアにとっては母の言葉とともに記憶に残る場所でもある。

神獣

この地に古くから語り継がれる、神秘的な獣の総称。

人の手の届かぬ場所に在り、畏れと敬意をもって語られる存在である。

双子山に棲む白銀の狼も、そのひとつとされる。

神獣の魔石

魔力を内包した特別な石。

神秘的な力と魔力を宿したもの。

ロベリアが手にする白銀の魔石は、神獣にまつわる特別な遺物のひとつである。


狩人の物置小屋

集落の外れにある、狩人が使っていた古びた小屋。

広くも新しくもないが、雨風をしのぐことのできる小さな場所であり、ロベリアにとって新たな足場となっていく。

朝の光は、あまりにも静かだった。

双子山の麓に差し込む淡い陽射しは、夜の冷えをわずかに押しのけながら、白く澄んだ空気の中へ細く伸びている。草の先には露が残り、川のせせらぎだけが変わらず遠くで鳴っていた。

その静けさの中で、ロベリアは幼獣を抱えたまま、動かなくなった白銀の母神獣を見つめていた。

昨夜、自分を包んでくれたぬくもりは、もうそこにはない。

目の前に横たわる巨体は、変わらず美しかった。雪よりも白い毛並みも、澄みきった何かを宿しているような佇まいも、少しも損なわれてはいない。けれど、その内にあったものだけが、もう失われていた。

「……」

声は出なかった。

腕の中の幼獣が、小さく身じろぎする。

その確かなぬくもりだけが、目の前の死を現実としてロベリアへ押しつけてきた。

また、失ったのだと思った。

自分の母ではない。

けれど、この一夜、自分を守り、温め、ひとりではない場所を与えてくれた存在だった。

ロベリアは唇を噛み、白銀の亡骸から目を離せずにいた。

その時だった。

母神獣の身体が、淡く光を帯びはじめた。

ロベリアは息を呑む。

白銀の毛並みが朝の光を受けたのではない。

その内側から、やわらかな輝きがにじみ出ているのだ。

輪郭が、ゆっくりとほどけていく。

朽ちるのではなかった。

崩れるのでもない。

朝日に溶ける霧のように。

雪が風にほどけるように。

その巨体は無数の白い粒となって、静かに宙へ昇っていった。

ロベリアはただ呆然と、その光景を見つめることしかできなかった。

それは死というより、還るという光景だった。

冷たい山の風が吹き抜け、光の粒を遠くへ運んでいく。腕の中の幼獣もまた、小さな鼻をひくつかせながら、空へ消えていくその輝きを目で追っていた。

やがて、光は尽きる。

そこに残ったのは、ひとつの石だった。

白銀とも青白ともつかぬ、なめらかな魔石。

ロベリアの幼い手には少し大きく、けれど抱えられぬほどではない。周囲の土や草がそのかすかな光を受けて、冷たく白く照らされていた。

ロベリアは幼獣を片腕で抱え直し、そっと石へ近づく。

手を伸ばし、恐る恐る拾い上げた。

ひやりとした感触が掌へ伝わる。

けれど、それはただ冷たいだけの石ではなかった。内側のどこかで、ごく微かに何かが脈打っているような気がした。

その瞬間、石の奥に青紫の光がひとすじ、すっと走った。

ロベリアは目を見開く。

白銀の澄んだ輝きの中に揺れたその色は、自分の瞳の色に、どこか似ていた。胸元にしまわれた母のブローチを思わせる色でもあった。夜の花を閉じ込めたような、深く静かな青紫。

けれどそれは一瞬で消え、魔石はまた静かな光へ戻っていく。

何なのかはわからない。

どうしてそんな色が走ったのかもわからない。

それでも、これは母神獣が遺したものなのだと、説明されずとも理解できた。

ロベリアは壊れ物に触れるように、魔石を胸元へ抱いた。

それから、腕の中の幼獣へ視線を落とす。

白銀の産毛はやわらかく、まだ身体つきも頼りない。顔立ちには幼さが色濃く残っている。けれど、その瞳の奥にはただの獣にはない静かな光が宿っていた。

いつまでも、神獣の子とだけ呼ぶわけにはいかない。

そう思った。

この子がこの子として生きていくための、たったひとつの呼び名がいる。

ロベリアは、じっと幼獣を見つめた。

すると、白銀の毛並みの奥に、ごく淡い色の気配が見えた気がした。

光の加減ではない。雪の白さの底に沈む、深い泉のような色。青とも、青紫ともつかない、不思議な色だった。

先ほど、魔石の内に走った色と似ている。

ロベリアはそっと唇を開く。

「……アズリス」

呼びかける。

幼獣はぴくりと耳を動かした。

「あなたの名前。アズリス」

もう一度、静かに告げる。

すると幼獣は逃げるでも怯えるでもなく、まっすぐにロベリアを見つめ返した。

その瞬間、胸の奥で何かがかすかに触れ合った。

言葉ではない。

声でもない。

けれど、やわらかなぬくもりが、胸の奥へそっと流れ込んでくる。

安心。

幼い信頼。

寄りかかるような、かすかな甘え。

それがアズリスのものなのだと、ロベリアにはわかった。

「……つながったの?」

小さく呟く。

意味はわからない。

何が起きたのかもわからない。

ただ、この子が自分の与えた名を受け取り、自分を拒んでいないことだけは、はっきりとしていた。

アズリスは短く鳴き、ロベリアの指先へ鼻先を寄せる。

そのぬくもりに触れた途端、張りつめていた胸がほんの少しだけほどけた。

だが次の瞬間、脳裏に浮かんだのは母の顔だった。

村のみんなの姿だった。

焼け落ちた家々と、倒れたまま動かぬ人々の姿だった。

まだ、何も終わってはいない。

ロベリアはアズリスを抱き直し、胸元の魔石を握りしめた。

託された命と、遺された力。

そのどちらも受け取った今、自分がやらなければならないことはひとつしかなかった。

母たちを、葬る。

それだけは、自分の手でやらなければならないと思った。

     ◇

ロベリアは双子山の麓をあとにし、滅びた集落へ戻った。

焼けた木の匂いが、まだ残っている。

壊れた家々。

黒く焦げた地面。

静まり返った通り。

昨日までたしかに人が生きていた場所は、今や死の気配ばかりを宿していた。

そこに足を踏み入れた瞬間、ロベリアの呼吸は浅くなる。

怖かった。

見たくなかった。

けれど、目を逸らしてはいけないとわかっていた。

母の姿を見つけたとき、足が止まる。

喉の奥がきゅっと締まり、胸が痛んだ。今にも泣き崩れそうになるのを、ロベリアは唇を噛んで堪える。

「……ごめんなさい」

何に対しての謝罪なのか、自分でもわからなかった。

助けられなかったことか。

ひとりだけ生き残ったことか。

それとも、今さらこんな言葉しか出てこないことか。

返事はない。

それでもロベリアはしゃがみ込み、震える手で土を掘りはじめた。

小さな手には重労働だった。

土は固く、爪のあいだに泥が入り込み、手のひらはすぐ赤く擦りむける。腕は痛み、息は切れ、何度も途中で座り込みたくなった。

それでも、やめなかった。

村人ひとりひとりに、短く言葉をかける。

ありがとう。

ごめんなさい。

さようなら。

うまく整えられた祈りではない。

ただ、その人をその人として見送るための、幼いロベリアなりの言葉だった。

アズリスは離れたところへ行かなかった。

まだ小さな身体で、ロベリアのそばをうろつき、ときおりこちらを見上げている。何かを理解しているのかはわからない。けれど、ひとりにはしないとでも言うように、ずっと近くにいた。

母の番になると、やはり手は止まった。

頬に触れた指先に、もう温もりはない。

その事実があまりにも確かで、ロベリアの目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。声を上げることもできぬまま、ただ泣きながら、母を抱え、土の中へと見送る。

「おかあさま……」

それ以上の言葉は続かなかった。

すべてを埋め終える頃には、日もだいぶ傾いていた。

ロベリアはふらつく足で立ち上がり、集めてきた木と石で簡素な墓標を作る。母の墓には、花畑の丘でよく見た小さな花と、母がよく使っていた薬草を添えた。

墓の前に膝をつき、ロベリアはしばらく黙ったまま俯いていた。

悲しみは消えない。

胸の穴も、そのままだった。

明日になれば平気になるわけではない。

きっとこれからも、何度だって泣く。

それでも。

「……いってきます」

ようやく零れた言葉は、それだった。

さようならではなく、もう会えないと切り捨てる言葉でもない。見ていてほしい。忘れない。そんな願いをひとつに束ねたような、小さな声だった。

アズリスがその隣にちょこんと座り、ロベリアの袖へ鼻先を寄せる。

ロベリアは、その頭をそっと撫でた。

「……この子を、守ります」

誓いのように呟いた声は、小さかった。

けれど、それは確かに母へ向けた言葉でもあった。

     ◇

集落から少し離れた場所にある、狩人の男の物置小屋は、思っていたよりもずっと古びていた。

扉は軋み、壁には隙間風が通る。床も硬く、置かれている道具の多くは使えるのかどうかもわからない。けれど、雨風をしのげるだけでも今のロベリアには十分だった。

ここで生きるしかない。

その思いだけを支えに、ロベリアは小屋の中へ足を踏み入れる。

アズリスをそっと床に下ろすと、幼獣は周囲を警戒するように鼻を動かし、それからロベリアの足元へ戻ってきた。

ロベリアは胸元に抱えていた魔石を静かに置き、改めて小屋の中を見渡す。

狭い。

寒い。

暗い。

けれど、空の下よりはましだった。

今夜からここが、自分とアズリスの居場所になる。

そう思った瞬間、ようやくロベリアは、自分が本当にどこにも帰れなくなったのだと理解した。

胸の奥が、また静かに痛んだ。

それでも腕の中ではなく、今度は足元で、アズリスが小さく鳴いた。

ロベリアはしゃがみ込み、その白銀の頭を撫でる。

「……大丈夫」

それがアズリスに向けた言葉だったのか、自分に向けた言葉だったのかはわからなかった。

けれど、言葉にしなければ折れてしまいそうだった。

ロベリアは小屋の壁にもたれ、その傍らへアズリスを抱き寄せる。

幼い命のぬくもりが、冷えきった身体へじんわりと伝わってきた。

母はいない。

故郷ももうない。

けれど、自分はまだここにいる。

そして、この小さな命もまた生きている。

だったら、生きなければならない。

胸元には、母のブローチ。

傍らには、神獣の遺した魔石。

腕の中には、アズリスのぬくもり。

失われたものは戻らない。

それでも、遺されたものを抱えて進むしかないのだと、ロベリアは静かに目を閉じた。

その小さな決意の上に、少女と神獣の子の新しい日々は、ようやく始まろうとしていた。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

続きは次回更新をお待ちください。

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