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第十二話 白札

 共同地下墓地の噂が広がってから数日、ロベリアは地味な依頼を黙々とこなしていた。

 朝は薬草を採り、昼は荷を運び、夕方には水路の確認へ向かう。ときには店の裏手の片付け、倉庫の仕分け、城壁近くの見回り補助まで引き受けた。どれも派手さのない仕事ばかりだ。魔物を倒したと語れるものでもなければ、人目を引く功績になるわけでもない。

 それでも、そうした依頼をひとつずつ終えて戻るたび、ギルド職員の目は少しずつ変わっていった。

 最初は「保証人付きの仮登録を見る目」だった。

 次に「墓地で妙な報告を持ち帰った子どもを見る目」になった。

 そして今は、「実際に依頼を投げ出さず、決められたことをきちんと終える者を見る目」に近づきつつある。

 冒険者たちの視線も同じだった。

 露骨に笑う者は減った。

 代わりに、横目で様子を窺う者や、報告のため受付に立つ姿を黙って見ている者が増えた。

 相変わらず仮登録の子どもとして軽んじる者もいる。けれど以前のように、ただの迷子や飾り物としては見られなくなっていた。

 白い旅装にも、もう数日の街の埃が馴染みはじめている。

 新品の時ほど浮かない。だが、ありふれた装備にも見えなかった。

 整っている。

 商会に見立てられたものだと、見ればわかる。

 そのことがまた、ロベリアを少しだけ特別に見せていた。

「……最近よく見るな、あの白いの」 「薬草だの水路だの、地味なのばっかりだが」 「地味なのを投げずにやる方が珍しいさ、仮登録ならなおさらな」 「墓地の件だけの一発じゃなかったってことか」

 聞こえてくる声に、ロベリアは顔を上げない。

 けれど耳は、もう以前ほど拒まなかった。

     ◇

 その日も依頼報告を終えようと受付へ向かった時だった。

 書類を受け取った女性職員が内容を確認し、頷いたあと、いつもとは少し違う調子で言った。

「ロベリアさん、少しお時間をいただけますか」

「……はい」

「正式登録についてです」

 その一言に、周囲の空気がほんのわずかに動いた。

 ロベリア自身も、少しだけ目を瞬かせる。

 正式登録。

 それは仮登録の外へ出るということだ。

 職員は奥の空いた机へ案内し、簡潔に説明を始めた。

「これまでの依頼実績と報告内容を確認した結果、正式登録の審査へ進める段階に来ています」

「……すぐ、なれるの」

「いいえ。白札級からは街外依頼が増えますし、魔物との遭遇や戦闘も日常になります。そのため、仮登録から正式登録へ移る際には試験があります」

 ロベリアは黙って聞く。

「試験では、基礎体力、危険への反応、指示理解、最低限の戦闘対応を確認します。強いかどうかだけを見るものではありません」

 なるほど、とロベリアは思った。

 共同墓地の地下のような場所を思えば、それは当然なのかもしれない。

 力があっても、指示を聞かず、危険を見誤るなら死ぬ。ひとりで死ぬだけならまだしも、他人まで巻き込む。

「受ける」

 答えはすぐに出た。

 職員は頷く。

「では明日、朝に来てください。試験は訓練場で行います」

「……はい」

「合格すれば正式登録となり、白札級のギルドカードが発行されます」

 白札。

 正式な冒険者の最初の札。

 その響きはまだ軽い。けれどロベリアにとっては、街の中で与えられる初めての明確な位置でもあった。

     ◇

 翌朝。

 ギルドへ向かう道は、いつもより少しだけ足が重かった。

 怖いというほどではない。だが、見られることはわかっていた。

 扉を開けた瞬間、案の定いくつもの視線がこちらへ集まる。

「来たな」 「今日だったか、仮登録の試験」 「墓地の白いのだろ」 「本登録まで行くのかよ、早えな」 「いや、墓地の件があるからだろ。普通の仮登録じゃねえ」

 朝のギルドには、いつもの喧騒に別の熱が混ざっていた。

 共同地下墓地の噂はまだ続いている。そこへ、白い旅装の仮登録が本登録試験を受けるという小さな見物が重なって、空気が少し浮いているのだ。

 別の卓からは、また聖女一行の話も聞こえる。

「王都の連中、もう着いたらしいぞ」 「本当に聖女まで来たのか」 「聖女の護衛で教会の聖騎士も一緒だとよ」 「そこまで大事になってんのか……」

 その言葉に、ギルドの空気が少し沈む。

 共同地下墓地の異変が、もう街の中だけで処理できる話ではないことを、誰もがわかり始めていた。

 ロベリアは受付へ進む。

「おはようございます。試験ですね」

「……うん」

「こちらへ」

 案内された先は、ギルド裏手の簡易訓練場だった。木柵で囲われた地面は踏み固められ、隅には木剣や盾、標的が並んでいる。広くはないが、基礎を見るには十分らしい。

 立会いは受付職員の他に、教官役らしい中年の冒険者が一人いた。腕の太い、無駄口の少なそうな男だ。彼はロベリアを見てから、旅装を一瞥し、短く頷いた。

「白札試験だ。難しいことはしない」

 声は低く、事務的だった。

「見るのは、体の動き、指示への反応、危険を前に固まらないか、それだけだ。格好よく勝つ必要はない」

「……わかった」

 試験は本当に基礎的なものだった。

 走る。止まる。障害を越える。決められた位置まで下がる。合図に反応して避ける。木製の標的へ正確に打ち込む。模擬用の相手に対して、無理に押し込まず距離を取る判断を見せる。

 ロベリアは派手なことをしなかった。

 氷の力も使わない。

 ただ、森で生き延びる中で染みついた身体の使い方と、共同墓地で危険へ反応した時の感覚を、そのまま出した。

 足場を見る。

 間合いを見る。

 踏み込みすぎない。

 逃げるべき位置を確かめる。

 必要な時だけ、素早く動く。

 それを見ていた教官役の男の眉が、途中でわずかに動いた。

 見物に来ていた何人かの冒険者たちも、小声で何かを言い交わしている。

「……速いな」 「無駄が少ねえ」 「力押しじゃないな」 「森育ちか何かか?」 「墓地の話、少しは本当だったのかもな」

 ロベリアは聞こえても振り向かない。

 最後に、教官役の男が軽く木剣を構えた。

「一度だけ、こっちへ来い」

 打ち込んでこい、という意味だと理解する。

 ロベリアは一歩踏み込んだ。次の瞬間、木剣が返ってくる。速い。だが、読めないほどではない。

 逸らす。

 下がる。

 もう一度だけ間合いを測る。

 無理だと思ったところで踏み込まない。

「……よし」

 短くそう言って、男は剣を下ろした。

 試験はそれで終わった。

     ◇

 ギルドの中へ戻ると、再び多くの視線が集まる。

 試験は短かった。

 だが、短いからこそ見ていた者にはわかるものがある。

「終わったのか」 「どうだった」 「泣かずに済んだか」 「馬鹿、あれ見てたろ。泣くどころじゃねえよ」

 笑い混じりの声もある。だが最初の頃のような軽さではない。

 白い旅装の子どもを、ただ面白がるだけでは済まなくなっている。

 受付の前に立つと、女性職員は書類を確認し、あらためてロベリアへ向き直った。

「正式登録試験、合格です」

 その一言は、思ったよりも静かに胸へ落ちた。

「これにより、仮登録から正式登録へ移行します」

 差し出されたのは、新しいギルドカードだった。

 仮登録証よりも厚みがあり、端には白札級を示す意匠が刻まれている。

 白。

 最初の正式な色。

「白札級です。これより、受けられる依頼の範囲が広がります。ただし危険依頼すべてが自由になるわけではありません。引き続き実績は必要です」

 ロベリアはそれを受け取った。

 軽い。

 けれど、仮登録証よりもずっと重く感じた。

「……ありがとう」

「おめでとうございます」

 その言葉を聞いた瞬間、周囲の空気がまた少し変わる。

「白札か」 「本当に通ったな」 「子どもでも正式まで行くのか」 「墓地の件が盛りじゃなかったってことだろ」 「いや、それでも早い」 「早いが……ま、まったく無しでもねえ、か」

 値踏み、驚き、半信半疑、わずかな納得。

 視線の色はばらばらだった。

 だが、もう“仮登録の子ども”だけではない。

 “白札の子ども”という、別の違和感へ変わっていく。

 その時だった。

 掲示板の方で、ざわりと人の波が動いた。

「張り出されたぞ!」 「地下墓地だ!」 「緊急依頼、来た!」

 ロベリアは反射的にそちらを見る。

 職員が新しい依頼票を掲示板へ貼り出している。周囲に人が集まり、声が重なり合う。

 共同地下墓地探索 緊急依頼。

 胸の奥が冷える。

 ついに、形になった。

 噂ではなく、正式な依頼として。

 そこへ続く見えない階段が、また一段、はっきりした気がした。

     ◇

 ギルドを出る頃には、街はもう暗くなりはじめていた。

 白札のカードはポーチの中にある。

 共同地下墓地の緊急依頼も、もう掲示板に張り出された。

 今日ひとつ進み、同時にもっと大きなものが目の前へ現れた気がした。

 宿へ向かう石畳の道を、ロベリアは静かに歩く。

 夜気は冷たい。

 街灯の乏しい通りには、家々の隙間に濃い影が落ちていた。

 その時、視界の端で黒い何かが動いた。

 ひとりの人影。

 黒いローブをまとい、表通りから外れた薄暗い路地へ、音もなく入っていく。

 ロベリアの足が止まる。

 ただの旅人かもしれない。

 ただの通行人かもしれない。

 それでも、胸のどこかが静かにざわついた。

 見覚えがあるような。

 気のせいで済ませてはいけないような。

 そんな違和感だった。

 白い息が、夜の中へ淡く溶ける。

 ロベリアは路地の暗がりを見つめたまま、そっと胸元のブローチへ触れた。

 その奥で、アズリスの気配が小さく揺れた気がした。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

続きは次回更新をお待ちください。

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