英雄が英雄である理由
結界音が、三度目に鳴った。
今度は、警告ではない。
悲鳴だった。
「――結界、第四耐久域に到達!」
記録官の声が、裏返る。
「これ以上は……!」
言葉の続きを、誰も待たなかった。
ヴァルハルト=レオンが、息を吐く。
深く、重く。
「……なあ、グラディウス」
「何だ」
「正直に言え」
大剣を、地面に突き立てる。
「お前、楽しいだろ」
一瞬。
グラディウス=フェルツの剣先が、僅かに下がった。
「……否定はしない」
その答えに、ヴァルハルトが笑った。
「だろうな」
「最適化の先にあるのは――」
グラディウスが続ける。
「“完全な勝利”だ」
「違う」
ヴァルハルトは、剣を引き抜く。
「“完全な排除”だ」
踏み込む。
今度は、読みを拒む速度。
《戦域最適化》の“外”から叩き潰す。
「――っ!」
グラディウスの足が、初めて乱れた。
結界に、亀裂が走る。
同時に。
「……っ、下がって!」
イリス=アークライトが、叫ぶ。
彼女の光は、すでに“魔法”の域を越えていた。
感情が、術式を押し上げている。
「もう、これ以上は――」
「下がりません」
セシリア=ノクティスの声は、震えていた。
だが、引かない。
《聖規光輪ホーリー・オーダー》が、さらに拡張される。
「私は!」
セシリアが叫ぶ。
「正しくあろうとしただけです!」
「分かってる!」
イリスが、歯を食いしばる。
「だから腹が立つの!」
二つの光が、激突する。
白が白を拒み、
正義が正義を否定する。
その衝撃が、
闘技場全体を揺らした。
「全域危険!」
医療班が後退する。
「観客退避、間に合わない!」
その時だった。
「――十分だ」
低く、だが圧倒的な声。
闘技場の中心に、
一人の男が立っていた。
レオニス=アウグスト。
帝国英雄の象徴。
剣は抜いていない。
だが、その存在だけで、空気が縫い止められる。
「模擬戦は終わりだ」
「終われない!」
ヴァルハルトが、即座に吠える。
「まだ――!」
「終わりだ」
レオニスの声が、重なる。
それだけで。
ヴァルハルトの身体が、止まった。
力ではない。
圧でもない。
**“背負ってきたものの重さ”**が、違った。
「……くそ」
ヴァルハルトは、剣を下ろす。
「やっぱ、王国の英雄は」
笑う。
「一番、面倒なとこで止めに来るな」
「帝国の英雄も同じだ」
レオニスは、視線を巡らせる。
グラディウス。
セシリア。
ユリウス。
誰もが、息を荒げている。
「君たちは、正しかった」
レオニスは言う。
「だが――」
一拍。
「“正しいまま、進みすぎた”」
セシリアの肩が、震えた。
「……それは」
「罪ではない」
レオニスは、静かに告げる。
「だが、英雄の仕事は」
視線が、王国側へ移る。
「正義を通すことではない」
ライザ=クロウデルが、腕を組む。
「じゃあ、何だ?」
「正義が衝突した時に」
レオニスは、答えた。
「世界を壊さずに立ち止まることだ」
沈黙。
重い。
その言葉が、
ここにいる全員に刺さっていた。
そして。
場の外。
《非裁定(ひさいてい/ノーリトリート)》。
誰も剣を抜かず、
誰も光を放たず、
誰も命令しない者たち。
レインは、静かに思う。
(……英雄は)
(正義を振るう存在じゃない)
(正義が壊れる瞬間を――)
(見届ける存在だ)
王と皇帝が、高台で視線を交わす。
もう、逃げられない。
制度でも、規定でも、
模擬戦という言葉でも。
この場で起きた“事実”から。
闘技場に、静寂が戻る。
だがそれは、
解決の静けさではない。
決断を迫る静けさだった。
静寂は、長く続かなかった。
英雄たちは、互いを見て――
ほぼ同時に、ため息を吐いた。
「……はぁ……」
「……っ、肺が痛い……」
「……もう一戦やれって言われたら、断る……」
ヴァルハルト=レオンが、大剣を地面に突き刺したまま座り込む。
「くそ……模擬戦で息切れとか……」
グラディウス=フェルツも、剣を下ろして膝に手をつく。
《戦域最適化》は解除されていた。
集中が、完全に切れている。
「……最短を積み重ねすぎた」
小さく、独り言。
セシリア=ノクティスは、杖を支えに立っていた。
《聖規光輪ホーリー・オーダー》は、光を失い、消えている。
「……正しさも……疲れるのですね……」
イリス=アークライトは、地面に座り込んで笑った。
「でしょ……だから言ったのに……」
ユリウス=クラウゼンは、眼鏡を外して額を押さえる。
「……規定外の事象が……多すぎる……」
ノインは、召喚陣の残滓を見つめて肩を落とした。
「……結局、一体も呼べなかった……」
誰も勝っていない。
誰も負けていない。
そして――
全員、限界だった。
その時。
空気が、歪んだ。
「――フフフ……」
不快に粘つく声。
闘技場の中央、
黒い靄が人の形を取り始める。
「ようやくだ……」
声は、酔っていた。
「正義がぶつかり……英雄が疲弊し……」
姿が、はっきりする。
「今こそ――私が表に――」
「うるさい」
一斉。
本当に、一斉だった。
ヴァルハルトの大剣が、反射で飛ぶ。
グラディウスの剣が、最短距離で突き出される。
セシリアの光が、条件反射で収束する。
イリスの魔法が、八つ当たり気味に炸裂する。
ユリウスの拘束光が、法令第七条を無視して放たれる。
ノインの召喚が、今さら成功する。
そして――
《非裁定(ひさいてい/ノーリトリート)》。
レインは、能力を使わない。
ただ、石を拾って投げた。
ミリアも投げた。
エルドは盾ごと突っ込んだ。
リュカは「記録上邪魔だから」と言って魔導具を起動した。
――ドン。
音も、悲鳴もなかった。
黒幕だった“何か”は、
存在を主張する前に、消えた。
…………
…………
数秒後。
「……今の、何?」
立会人が、震える声で聞いた。
ヴァルハルトが、地面に寝転がったまま答える。
「知らん」
「出てきたから」
イリスが続ける。
「黙らせただけ」
セシリアが、小さく頷く。
「……不適切なタイミングでした」
グラディウスが、真顔で付け足す。
「最短で排除した」
ユリウスが言う。
「正当防衛と判断する」
ノインが叫ぶ。
「今さら来るなよ!!」
沈黙。
次の瞬間――
誰かが、吹き出した。
「……はは」
ミリアだった。
「……ごめん」
笑いが、止まらない。
「緊張してたのに……」
エルドが、肩を揺らす。
「……英雄って」
「案外、短気だな」
リュカが、記録を閉じながら言った。
「でも――」
顔を上げる。
「今のは、全会一致だ」
レインは、空を見上げる。
(裁定も)
(正義も)
(黒幕も)
全部、後回し。
今はただ。
「……疲れたね」
その一言で。
闘技場に、
**本当の意味での“終わり”**が訪れた。




