親善模擬戦(※ただし因縁はくだらない)
その視線の先にいるのは、
聖規の光を纏う女――セシリア=ノクティス。
「規範を守ることは、悪ではありません」
穏やかな口調。
しかし、その穏やかさが逆に“譲らない”ことを示していた。
「問題が起きた時、“正しい制度”が人を救う。私はそう信じています」
「へぇ」
イリスは、わざとらしく眉を上げる。
「じゃあ、私が“規範違反”であなたの視界を眩ませても、許容範囲ってこと?」
セシリアの瞳が、わずかに細くなる。
「挑発は規範違反です」
「ほらね。すぐ規範」
「あなたは、何でも“軽く”扱いますね」
「軽く扱わないと、世界が重すぎて潰れちゃうから」
――その会話の温度だけが、じわりと上がる。
周囲の英雄たちが、まだ笑っている間に。
いっぽう中央では、ヴァルハルトが大剣を肩から降ろし、地面に軽く当てて鳴らした。
金属音が、闘技場の空気を一段引き締める。
「さぁ、グラディウス。今日は“軽微”で済むんだよな?」
「当然だ」
グラディウスは迷いなく答える。
「模擬戦だ。規定以上の力は使わない」
「規定って言葉、便利だよなぁ」
ヴァルハルトは笑いながら、剣先をわずかに持ち上げる。
「じゃあ俺も、“規定通り”に恨み言を言うわ」
「恨み言は規定にない」
「追加しろよ」
「却下する」
その瞬間、観客席の笑いが大きくなる。
立会人が頭を抱えた。
「だから! 親善だって言ってんだろ!」
叫びは、もう儀式みたいなものだ。
帝国側の陣に、もう一つの冷たい“整然”があった。
黒衣を纏った男――ユリウス=クラウゼン。法の代行者。
視線だけで人を仕分けするような鋭さがある。
その前に、王国側の召喚士――ノイン=フェルツが、やれやれと肩を落とす。
「……君さ、さっきから“視線”が裁判所なんだよ」
「観察だ」
ユリウスは淡々と言った。
「戦闘前に、対象の危険度を分類している」
「分類って……」
ノインは小さく笑う。
「やめてくれない? 俺、書類仕事が嫌いで召喚士やってるのに」
「理解できない。嫌なら改善すればいい」
「改善できない種類の嫌いってあるんだよ」
ノインの後ろで、ライザが片手をひらひら振る。
「おいノイン、そいつ“分類好き”だから無理だ。たぶん寝る前も“合格/不合格”で羊数えてる」
ユリウスが、初めて眉を動かした。
「不合理だ」
「だろ? だから“分類”やめろって」
「だが、分類しないと世界が崩れる」
言い切るユリウスの声に、別の声が重なる。
「崩れない」
帝国側の中央から、一歩前に出た男がいた。
帝国英雄の象徴――レオニス=アウグスト。
制度を背負う英雄。顔は穏やかだが、立っているだけで“場の温度”が変わる。
「世界は、誰かが“背負う”から保つ。分類は手段であって目的ではない」
ユリウスは、僅かに顎を引く。
従っているのではない。整列しているだけだ。
対して王国側の英雄たちは、空気が変わったのを敏感に嗅ぎ取った。
ライザが肩を回し、口元に笑いを残したまま目だけを細くする。
「……あー、来た来た。親善の皮を剥いだら一番ヤバいのが出てくるパターン」
「親善だって言ってるでしょ」
ノインが言うが、声はもう半分本気ではない。
ヴァルハルトは逆に嬉しそうだった。
「いいねぇ。皇帝の盾が来るなら、串焼き事件も“軽微”じゃなくなる」
「だからその話を続けるな!」
立会人が叫ぶ。
だが、止まらない。
セシリアはイリスの挑発を受け流すように、両手を胸前で合わせた。
淡い光が指先に集まり、輪郭だけの“光輪”を作る。
「規範は人を縛るためではなく、守るためにある」
「理想論だね」
イリスは、杖を軽く鳴らす。
光に対して、同じ光で返すのではない。
彼女の光はもっと“遊び”がある。眩しさと角度で相手の視界を奪う、いたずらみたいな術式。
「守るなら、眩しさに耐えてみなよ。ほら、“聖規”って眩しいんでしょ?」
セシリアの光輪が僅かに強くなる。
「あなたの揶揄は、他者を損ないます」
「損なってない。笑ってるだけ」
「笑いで済む損害もあります」
――その言葉が、イリスの癇に触れた。
「へぇ。じゃあ聞くけど」
イリスは一歩踏み出す。
「“串焼き事件”の時、あなたはどこにいたの? 規範の光で助けてあげた?」
観客席が再びざわつく。
ヴァルハルトが「おっ」と声を漏らした。
「なんだイリス、お前も串焼き事件に関係あんのか?」
「私は関係ない。……ただ」
イリスはセシリアを見据える。
「帝国英雄って、被害を“数値化できない”で切り捨てる癖があるでしょ」
セシリアは、ほんの一瞬だけ黙った。
その沈黙が、闘技場に“薄い緊張”を落とす。
グラディウスが、ヴァルハルトに向けて言う。
「開始前だ。挑発は不要」
「挑発じゃない。確認だ」
ヴァルハルトは大剣の柄を握り直す。
「俺は今日、確認しに来た。“帝国は俺を串焼きにしたまま忘れてるのか”をな」
「忘れていない。記録がある」
「記録じゃなくて“心”で覚えろよ!」
「数値化できない」
またそれだ、と観客席から笑いが漏れる。
だが笑いは、どこか乾いていた。
立会人が、深呼吸して手を上げる。
「……よし! じゃあ、第一組!
王国:ヴァルハルト=レオン!
帝国:グラディウス=フェルツ!
同時に第二組!
王国:イリス=アークライト!
帝国:セシリア=ノクティス!
――開始!」
合図の瞬間、空気が“動いた”。
ヴァルハルトが踏み込む。
大剣の重量が地面を割る勢いで前に出る。
「まずは軽微に――ドカンといくぞ!」
「矛盾している」
グラディウスは低い構えのまま、ほんの半歩だけずらす。
それだけで、ヴァルハルトの剣先が空を切る。
空気が裂ける音。
観客席の笑いが消える。
ヴァルハルトの口元だけが笑っていた。
「……おいおい、避け方が“規定通り”すぎるだろ」
「最適解だ」
「最適解って言葉、嫌いだなぁ!」
二撃目。三撃目。
派手で、重い。なのに、当たらない。
その横で、イリスの光が舞う。
眩い粒子が弧を描き、セシリアの視界を狙う。
「聖規の人、見えてる? まぶしい?」
「見えています」
セシリアの光輪が回転し、イリスの光を“正面から”受け止めた。
眩しさが相殺される。
だがその相殺の仕方が、あまりに正確で冷たい。
「……ほんとに、そういうとこよね」
イリスの声が、さっきより低い。
セシリアの声もまた、さっきより低い。
「あなたの光は、人を遊ばせます。
私の光は、人を正します」
「正す、ね」
イリスが笑う。
でもその笑いは、冗談の笑いじゃない。
「じゃあ、正してみなよ。――“私のやり方”を」
次の瞬間、イリスの光が“線”になる。
ただ眩しいだけじゃない。
結界の隙間、地面の反射、観客席の光――あらゆる光源を拾って、セシリアの正面に“眩惑の壁”を作った。
観客席から、息を呑む音。
セシリアの光輪が、一段強くなる。
「規範違反です」
「違反上等。模擬戦でしょ?」
「模擬戦は、模擬であるべきです」
「……その言い方」
イリスは、ほんの少しだけ歯を見せた。
「まるで、私が“模擬じゃない”みたいじゃん」
セシリアが、初めて一歩踏み込む。
その踏み込みは静かだ。
だが静かすぎて、逆に怖い。
「あなたが模擬を逸脱するなら――」
光輪が、増える。二重、三重。
聖規の輪が空間を区切り、イリスの光を“規定の幅”に押し戻していく。
ヴァルハルトとグラディウスの剣戟が鳴る。
イリスとセシリアの光がせめぎ合う。
闘技場は確かに安全に作られている。結界も、医療班も、記録官もいる。
――でも。
この場にいる八人の英雄は、全員が知っている。
「安全」って言葉は、
強い奴らが本気を出さないことを前提にしてる。
そして今、ほんの僅かに――
その前提が、揺れた。
観客席の端。
ノインが小さく息を吐く。
「……レオニスが、動くかもしれない」
ライザが、笑ってない目で呟く。
「動いたら、こっちも動く。
そういう空気だな」
帝国側の中央で、レオニスが静かに手袋を直す。
視線は闘技場の中心――ヴァルハルトとグラディウスの間にある“間合い”に落ちていた。
そして誰にも聞こえないくらい小さく、言った。
「……“軽微”で済ませるには、熱が上がりすぎた」
その言葉が合図みたいに、
ヴァルハルトの剣が一瞬だけ“本気の軌道”を描く。
グラディウスの瞳が、初めて鋭くなる。
「――規定を上げる」
「やっと来た!」
ヴァルハルトが笑う。
結界が、かすかに鳴った。
立会人の顔が青くなる。
「お、おい! 規定ってなんだ規定って!
親善! 親善だからな!?」
誰も返事をしない。
闘技場の熱が、確実に一段上がったところで――
次の“組み合わせ”を待っている二人が、互いに目を合わせる。
王国の召喚士、ノイン。
帝国の法の代行者、ユリウス。
そして、ライザが肩を回す。
レオニスが一歩、前に出る。
模擬戦のはずなのに。
くだらない因縁のはずなのに。
――英雄同士が向き合うと、
それだけで“本気”が混ざってしまう。




