模擬戦という名の確認
――場面は変わる。
王都北側、公式演習闘技場。
円形に整えられた地面。
簡易結界。
医療班と記録官が所定位置に並ぶ。
すべてが「安全」を前提に組まれていた。
「えー、再確認する!」
王国側の立会人が、やや砕けた声で叫ぶ。
「本件は親善模擬戦!
勝敗は参考記録!
死者・重傷者は即中止!」
形式的な宣言。
だが、誰も気を抜いてはいなかった。
王国側の陣。
大剣を肩に担ぐ男――ヴァルハルト=レオンが、欠伸混じりに言う。
「……で?」
視線は、向かいの帝国英雄に向いている。
「お前が、
俺の“串焼き事件”の相手でいいんだな?」
観客席が、ざわつく。
「またその話か……」
同じ王国英雄のライザ=クロウデルが、呆れた声を出す。
「三年前だぞ」
「三年前“だから”だろ」
ヴァルハルトは笑う。
「忘れてないってのが、
英雄の器ってもんだ」
対する帝国側。
前に立つのは、戦術完成型の英雄――
グラディウス=フェルツ。
剣はすでに抜かれているが、構えは低い。
「その件は、
当時の行動記録に“軽微な衝突”として残っている」
「記録に残すな」
ヴァルハルトが即座に返す。
「しかも“軽微”って何だ」
「被害がなかった」
「被害は俺の心だ」
「数値化できない」
淡々とした返答。
観客席から、笑いが漏れる。
「……ほら」
王国側の魔導士――イリス=アークライトが、帝国側を見て肩をすくめる。
「帝国英雄って、
ほんとそういうとこよね」
その視線の先にいるのは、
聖規の光を纏う女――セシリア=ノクティス。
「規範を守ることは、悪ではありません」
穏やかな口調。
「問題が起きないようにするのは、
正義の一形態です」
「そういう言い方」
イリスが、少しだけ目を細める。
「人が嫌われる原因だって、
知ってる?」
セシリアは一瞬だけ言葉に詰まり、
それでも微笑んだ。
「……理解はしています」
「理解してるなら、
改善しなさいよ」
軽口。
だが、空気は少しずつ変わり始めていた。
開始の合図が鳴る。
「――模擬戦、開始!」
最初の一歩は、互いに様子見だった。
ヴァルハルトの大剣が、
あえて半拍遅れて振り下ろされる。
重い。
だが、殺気は抑えられている。
グラディウスは、最短距離で受けた。
剣がぶつかり、
乾いた音が響く。
「おっ」
ヴァルハルトが目を細める。
「思ったより、柔らかいな」
「力を抑えている」
「へえ」
二合、三合。
まだ“模擬”の範疇だ。
観客席の空気も、どこか余裕がある。
だが――
「……おい」
ライザが、低く呟いた。
「グラディウス、だっけ」
「何だ」
「さっきから、
俺たちの“動き”を見てるな」
グラディウスの視線が、一瞬だけ動く。
「当然だ」
「評価してる?」
「最適化している」
その言葉に、
王国側英雄たちの笑みが、僅かに消えた。
「……模擬戦だぞ?」
ヴァルハルトが言う。
「勝ちに来てないよな?」
「勝敗は参考記録だ」
グラディウスは答える。
「だが――」
剣を構え直す。
「無駄な動きは、排除する」
次の一撃。
それは、
明らかに“模擬”の速度ではなかった。
風が割れる。
ヴァルハルトが、反射的に大剣を振り上げる。
「――っ!」
衝撃。
足元の地面に、細かな亀裂が走る。
観客席が、一瞬静まり返った。
「……あれ?」
立会人が、戸惑った声を出す。
「今の、
ちょっと――」
遅れて、
帝国側の英雄――ユリウス=クラウゼンが、低く言う。
「接触速度、規定値超過」
「……え?」
「模擬戦の域を、
越え始めている」
セシリアが、ぎゅっと杖を握る。
イリスも、魔力の流れを整えた。
笑いは、もうない。
ヴァルハルトが、歯を見せて笑った。
「……なるほど」
「やっぱりだ」
「帝国英雄ってのは――」
大剣を構え直す。
「加減をやめると、顔が出る」
グラディウスは、表情を変えない。
だが、剣の位置が、確実に変わった。
模擬戦。
その看板は、
すでに音もなく剥がれ落ちていた。
剣の衝突音が、闘技場の空気を裂いていた。
だが、それとは別に。
もう一つの“戦い”が、静かに始まっていた。
「……危険です」
帝国英雄、セシリア=ノクティスが、前に出る。
杖を構えるが、攻撃の姿勢ではない。
視線の先にいるのは、
王国英雄、イリス=アークライト。
「光量が過剰です。
観客席への影響が出ています」
その声は穏やかで、責める色はない。
純粋な――配慮だった。
「……抑えてるわ」
イリスは即答する。
「これ以上落としたら、
向こう側が見えなくなる」
指先に集う光が、わずかに揺れる。
「怪我人が出てからでは遅いの」
セシリアは一歩踏み込む。
「正しい行動を取れば、
誰も傷つかずに済む」
その瞬間だった。
――淡い光の輪が、セシリアの足元から広がる。
《聖規光輪》。
結界のようでいて、結界ではない。
それは行動を“正しい方向”へ補正する光。
観客席で、誰かが自然と席を立つ。
無意識に、より安全な場所へ移動していた。
「……?」
イリスが、眉をひそめる。
自分の補助魔法が、
“勝手に”最適化されている。
「……あなた」
声が、少しだけ低くなる。
「今、何をしたの?」
「何も」
セシリアは、はっきり言った。
「“正しい選択”が、
自然に行われただけです」
「自然……?」
イリスは、光の流れを読む。
魔法式が、書き換えられている。
自分の意思とは関係なく。
「それ、
人に選ばせてないわよね」
一瞬、セシリアの呼吸が止まった。
「……選ばせています」
「嘘」
イリスは、はっきり言った。
「あなたの光は、
“迷う余地”を消してる」
観客席のざわめきが、大きくなる。
「だって、迷いは危険です」
セシリアは、譲らない。
「正しい道があるなら、
そこへ導くのが救済でしょう?」
「導く、じゃない」
イリスが、杖を強く握る。
「押してるの」
光が、二人の間でぶつかる。
柔らかなはずの光が、
互いを拒むように軋んだ。
「……模擬戦だぞ!」
立会人の声が飛ぶ。
だが、二人は聞いていない。
「あなたの正義は、
綺麗すぎる」
イリスが言う。
「傷つく前提を、
最初から消してる」
「それの、何が悪いのですか?」
セシリアの声も、わずかに震え始めていた。
「人は、選択を誤る。
なら――」
「誤る自由も、
生きてる証拠よ」
その言葉が、
決定的に空気を変えた。
《聖規光輪》が、強く輝く。
同時に、イリスの光も出力を上げた。
「……止めろ!」
誰かが叫ぶ。
だが、もう遅い。
善意と善意が、
正義と正義が、
真正面から噛み合ってしまった。
模擬戦という言葉は、
完全に意味を失っていた。
そして、闘技場の端で。
《非裁定(ひさいてい/ノーリトリート)》は、
誰も止めず、誰も裁かず、
ただ――その光景を見ていた。
レインは、思う。
(これだ)
(選ばせる正義が、
こうやって人を追い詰める)
剣の音。
光の衝突。
観客の悲鳴。
すべてが重なり始めた。
この模擬戦は、
もう“練習”では終わらない。
最初に限界へ近づいたのは、光だった。
セシリア=ノクティスの《聖規光輪》は、
もはや“周囲を安全に導く”範囲を越えていた。
観客席の人々が、
自分の意思とは無関係に、整然と後退していく。
悲鳴はない。
混乱もない。
ただ――
選ばされている。
「……っ」
イリス=アークライトが、歯を噛みしめる。
「それ、もう救済じゃない」
光を重ねる。
本来なら、調和するはずの属性。
だが、今は違う。
「救えない選択を、
最初から排除しているだけ!」
「排除しなければ、犠牲が出ます!」
セシリアの声も、強くなっていた。
「正しさを示すのが、英雄の役目です!」
「違う!」
イリスが叫ぶ。
「迷いながらでも、
選ばせ続けるのが英雄よ!」
二つの光が、真正面から衝突する。
衝撃波が走り、
闘技場の結界が悲鳴を上げた。
――同時刻。
別の円の中心。
ヴァルハルト=レオンの大剣が、
地面を叩き割る。
「ははっ!」
笑っている。
だが、その目は、もう冗談じゃない。
「お前、
俺の動き“読む”のやめろ!」
グラディウス=フェルツは、無言で剣を構える。
彼の足元に、
見えない線が走っていた。
《戦域最適化》。
戦場を、最も効率的な配置へ再構築する能力。
「読みではない」
グラディウスが言う。
「最短だ」
次の瞬間。
ヴァルハルトの踏み込みが、
“わずかに”遅れる。
本人の意思ではない。
「……ちっ!」
それに気づいた瞬間、
ヴァルハルトの笑みが消えた。
「なるほどな」
大剣を握り直す。
「これが帝国の英雄か」
「自由を、
削るのが得意らしい」
「自由は、無駄を生む」
グラディウスは、淡々と答える。
「無駄は、死に繋がる」
「だから切る?」
ヴァルハルトが、低く唸る。
「俺はな」
剣を振り上げる。
「無駄の中で、生き残ってきた!」
衝突。
今度は、明確に殺気が混じっていた。
――さらに。
闘技場の外縁。
空間が、歪んだ。
「……出るぞ」
王国英雄、ノインが呟く。
召喚陣が展開される。
だが――
「停止」
冷たい声。
帝国英雄、ユリウス=クラウゼンが、指を上げた。
「未承認高位存在の召喚を確認」
「模擬戦だろ!?」
ノインが叫ぶ。
「想定内だ!」
「法令第七条」
ユリウスは、感情を一切挟まない。
「模擬戦であっても、
違法行為は違法だ」
光が落ちる。
召喚陣が、強制的に解体された。
「……は?」
ノインが、愕然とする。
「おい、待て!」
「待たない」
ユリウスは告げる。
「止めるのが、
私の役割だ」
――止める正義。
それが、
一番容赦がなかった。
そして。
場の外側。
誰も戦っていない場所。
《非裁定(ひさいてい/ノーリトリート)》は、
そのすべてを見ていた。
ミリアが、震える声で言う。
「……全部、正しい」
「だから止まらない」
リュカが、苦く言う。
「どの判断も、
間違ってない」
エルドが、拳を握る。
「……なのに」
「壊れていく」
レインは、視線を逸らさなかった。
《完全模写理解(かんぜんもしやりかい/フル・アナライズ・コピー)》は、
使っていない。
だが、見えてしまう。
選ばせる正義。
最適化する正義。
止める正義。
それぞれが、
自分の役割を完璧に果たしている。
だからこそ。
「……模擬戦じゃない」
誰かが、呟いた。
立会人だ。
声が、震えている。
「これは……」
言葉が続かない。
その時。
高台の方から、
重い気配が落ちてきた。
王と、皇帝。
二人の視線が、
同時に闘技場を捉える。
もはや、
“練習”とは呼べない光景を。
レインは、静かに思う。
(ほら)
(誰も裁定できない)
(だから――
ここまで来た)
剣も、光も、法も。
止まらない。
この戦場は、
制度が壊れる音を立て始めていた。




