選ぶ資格はない
グラディウスは、満足していた。
街の中央広場。
即席とは思えない演壇。
整然と並ぶ世界機関の職員。
そして——
自分に向けられる視線。
「落ち着いてください」
グラディウスは、片手を上げただけで場を制した。
声を張り上げる必要すらない。
人々は、**“決めてくれる存在”**に慣れ始めていた。
「皆さんの不安は、理解しています」
「だからこそ、私はここに立っている」
拍手が起きる。
遅れて、もう一度。
その光景を、少し離れた場所からレインは見ていた。
《非裁定》の仲間たちも、同じだ。
ミリアは腕を組み、
エルドは無言で立ち、
リュカは未来を見ないまま、現実だけを見ている。
「……あれが」
ミリアが小さく言う。
「“代理の選ぶ者”か」
「うん」
レインの声は、低い。
「でも……
本人は、その自覚がない」
演壇の上で、グラディウスは続ける。
「危険区域は、私の判断で指定します」
「退避の優先順位も、
すでに決めてあります」
「混乱は起こしません」
その言葉に、
また拍手。
「……言ってることは」
ミリアが苦々しく呟く。
「全部、“正しそう”なんだよね」
「正しい、というより」
リュカが、静かに補足する。
「楽なんだ」
選ばなくていい。
悩まなくていい。
誰かが決めてくれる。
「……グラディウス」
レインは、名前を口にする。
その瞬間。
歪みが、わずかに——
グラディウスの足元に集まった。
誰も気づかない。
本人すら、気づかない。
だがレインには、はっきりと見えた。
(……こいつ)
(“選んでる”つもりで)
(選ばされてる)
原初の飢餓は、
もう前に出てこない。
この男が、
勝手に“選ぶ役”を演じてくれるからだ。
グラディウスは、
胸を張って言い放つ。
「私は、恐れません」
「誰かが決断しなければ、
世界は守れない!」
その瞬間——
一歩、前に出る影があった。
レインだ。
静かに、
しかし迷いなく。
「……それは違う」
広場が、ざわつく。
グラディウスが、初めてレインを見る。
「君は……?」
「《非裁定》だ」
その名に、
一瞬だけ空気が張り詰める。
だがグラディウスは、笑った。
「なるほど」
「噂の、“選ばない人間”か」
余裕の笑み。
「君たちのやり方では、
もう世界は救えない」
「だから、私が——」
レインは、遮る。
「違う」
一言。
「お前は、
選んでいい側じゃない」
グラディウスの眉が、わずかに動いた。
初めての、違和感。
だがまだ——
殴られていない。
「選んでいい側じゃない、だと?」
グラディウスは、はっきりと嘲笑した。
「君は、自分が何を言っているか分かっているのか?」
演壇の上。
群衆の視線を背に受け、彼は一段高い位置に立つ。
それだけで、
自分が“上”にいると錯覚できた。
「私はな、数字を見ている」
「被害は減った。混乱もない」
「人々は救われている」
グラディウスは、腕を広げる。
「それとも何か?」
「君たちは、
もっと多くの死者が出る方が正しいと?」
ざわめきが起こる。
民衆の多くは、
彼の言葉に頷いていた。
分かりやすい。
安心できる。
責任を引き受けてくれる。
「……ほら見ろ」
グラディウスは、勝ち誇ったように言う。
「人は、選ぶ者を必要としている」
「君たちの“選ばない”思想は、
ただの自己満足だ」
その瞬間。
広場の端で、
一人の老婆が倒れた。
「……っ?」
どよめき。
医療班が駆け寄る。
だがレインの目には、
はっきりと見えていた。
歪みが、
グラディウスの足元から伸びている。
「……来たな」
レインが、低く言う。
「何か言ったか?」
グラディウスは、苛立ちを隠さず問い返す。
「……いや」
レインは、静かに首を振った。
「お前が、
何も気づいてないだけだ」
グラディウスは、鼻で笑う。
「恐怖を煽るのはやめたまえ」
「私の判断は、
すでに世界機関も支持している」
そのとき。
通信員が、慌てて駆け込んできた。
「グラディウス様!」
「先ほど指定した危険区域で……
再発です!」
一瞬、空気が止まる。
「……何?」
「指定通り退避は完了しています!」
「ですが……
“選別後”の区域で、同時多発的に……」
グラディウスの顔色が、初めて変わった。
「……あり得ない」
「私の判断に、
間違いがあるはずがない!」
声が、少しだけ荒れる。
「再計算しろ!」
「優先順位を組み直せ!」
「切る範囲を——」
その瞬間。
歪みが、
はっきりとグラディウスを中心に収束した。
群衆の何人かが、
息苦しそうに胸を押さえる。
「……な、何だこれは……」
グラディウスが、足元を見る。
初めて、
自分の周囲だけ空気が重いことに気づく。
(……え?)
(おかしい……)
(私は、正しい……)
その思考を——
誰かが、なぞるように撫でた。
原初の飢餓。
直接ではない。
だが確かに、
「判断」を餌にしている。
レインは、一歩踏み出した。
「……分かったか?」
「お前は、選んでるんじゃない」
「“選ばされてる”」
グラディウスは、叫ぶ。
「黙れ!」
「私は! 世界のために——」
「違う」
レインの声は、静かだった。
「お前は、
自分が上に立つ快感を選んだだけだ」
その言葉が、
決定的に突き刺さる。
歪みが、
さらに濃くなる。
群衆が、ざわつく。
「……何か、おかしくないか?」
「息が……」
「さっきから……」
グラディウスは、後ずさる。
「ち、違う……」
「これは、想定外で……」
そのとき。
ミリアが、剣の柄に手をかけた。
エルドが、一歩前に出た。
リュカが、静かに言う。
「……ここから先は」
「“完全に越える”」
グラディウスは、気づいた。
自分が——
舞台の中央に立たされていることに。
殴られる準備は、
もう整っていた。
歪みは、もはや隠れていなかった。
広場の中央。
グラディウスの足元から、
黒い影のような“圧”が立ち上る。
「……な、なんだ……これは……」
声が震える。
さっきまで壇上で、
世界を救う顔をしていた男は、
一歩も動けずに立ち尽くしていた。
群衆が、気づき始める。
「……息が、苦しい……」
「ここだけ……空気が重い……」
「さっき倒れた人と、同じ……?」
ざわめきが、不安へと変わる。
「ち、違う!」
グラディウスが叫ぶ。
「私は!
世界機関の認可を受けた調整官だ!」
「私は、正しい判断を——」
その言葉を、
一歩の足音が遮った。
レインだ。
ゆっくりと、
だが迷いなく、
歪みの中心へ踏み込む。
《非裁定》。
選ばない。
退かない。
裁かない。
ただ、立つ。
その瞬間。
歪みが——
止まった。
完全ではない。
だが、
“広がらなくなった”。
「……な……」
グラディウスの口が、開いたまま固まる。
「……どうして……」
レインは、静かに答える。
「簡単だ」
「お前は、“選ぶ者”じゃないからだ」
一歩、近づく。
「お前は、
誰かの上に立ったつもりで、
責任から降りていた」
「決めた後、
自分は安全な場所にいた」
「それを——
世界のためだと、
言い換えていただけだ」
グラディウスは、必死に首を振る。
「ち、違う……!」
「私は、
被害を減らした……!」
「数字が——」
「数字は、
“選ばれなかった側”を
映さない」
レインの声は、
最後まで低いままだ。
「お前は、
飢えに餌をやった」
「しかも、
自分が正義だと思いながらな」
その瞬間。
歪みが、
グラディウスの背後に——
“形”を持ちかけた。
何かが、
彼を“持ち上げよう”とする。
選ぶ者。
代行者。
正しさの象徴。
原初の飢餓が、
最後に与える報酬。
「……やめろ……!」
グラディウスが、叫ぶ。
「私は……!」
だが。
ミリアが、一歩前に出た。
「もう、遅い」
剣は、振らない。
エルドが、盾を突き立てる。
逃げ場を、消す。
リュカが、淡々と言う。
「未来、
一本に固定された」
「……終わりだ」
レインは、
グラディウスの正面に立つ。
「殴る理由は、一つでいい」
「お前は——
選ばせた」
拳が、
振り抜かれる。
派手な技はない。
光も、爆発もない。
ただの——
一発。
だがそれは、
判断でも、裁定でもなく。
「資格の剥奪」だった。
グラディウスの身体が、
宙を舞い、
演壇の下へ転がる。
歪みが、
音もなく霧散する。
原初の飢餓は、
一瞬だけ——
満たされ損ねた。
群衆は、
声を失っていた。
レインは、背を向ける。
「……世界を救うのは」
「“選ぶ人間”じゃない」
《非裁定》は、
静かに、その場を去った。
残されたのは。
壇上から落ちた男と、
**二度と戻らない“安心感”**だけだった。




