正しい答え
世界機関の会議室は、久しぶりに“機能していた”。
情報は揃っている。
被害は拡大している。
各勢力の報告も、出尽くしている。
そして何より——
時間が、ない。
「……これ以上、現場任せは限界です」
世界機関上席評議官が、静かに口を開いた。
「宝珠由来ではない被害は、すでに二十件を超えた」
「《非裁定》は“立つ”ことで進行を遅らせているが、
完全阻止には至っていない」
視線が、自然とレインへ向く。
責める目ではない。
期待でもない。
ただの、確認。
「蒼衡(そうこう/アズール・バランス)は、
封鎖と隔離によって被害拡大を抑制している」
「犠牲は出たが、
再発は防いでいる」
数字が、提示される。
合理的。
冷静。
正しい。
「英雄による広域対応は、
人的コストが高すぎる」
「よって——」
評議官は、言葉を区切った。
「世界機関として、統一対応指針を出す」
会議室が、静まり返る。
レインは、嫌な予感を覚えた。
「対応方針案、読み上げます」
紙が、広げられる。
「異常発生地域を“危険区域”に指定」
「住民は、即時退避」
「退避拒否者は、
生命保護を最優先とした上で——
強制移送」
ミリアが、息を呑む。
「……それって」
「切る、という表現は使いません」
評議官は、淡々と続ける。
「これは裁定ではない」
「最適解です」
その言葉が、
会議室の空気を凍らせた。
「被害を最小に抑えるための、
統計的に正しい判断」
「世界を守るために、
選ばざるを得ない」
レインは、はっきりと口を開いた。
「……それは」
「“答えを出す”ということです」
評議官は、視線を逸らさない。
「ええ」
「そして、それが
世界機関の役目です」
沈黙。
誰もが理解していた。
これは、
感情論ではない。
恐怖でも、怒りでもない。
善意による決断だ。
「……本当に、それで終わると思ってますか」
レインの声は、低かった。
「一箇所を封じれば、
別の場所で起きる」
「切れば、
次はもっと“静か”に広がる」
評議官は、少しだけ表情を曇らせる。
「それでも——
何もしないよりは、ましです」
その一言で、
全てが決まった。
「世界機関は、
本日をもってこの指針を採択する」
木槌が、鳴る。
軽い音だった。
だがそれは——
世界が“正しい答え”を出した音だった。
ミリアが、震える声で言う。
「……それって」
「守るために、
決めるってことだよね」
レインは、答えなかった。
答えられなかった。
《非裁定》の思想が、
初めて“制度”に否定された瞬間だった。
そして誰もまだ知らない。
この正しい答えこそが、
最も早く“飢え”を育てる選択だということを。
指針は、速やかに実行された。
世界機関は迷わなかった。
迷わないために存在する組織だからだ。
「異常区域、指定完了」
「住民退避、開始」
通達は整然としていて、
言葉遣いは丁寧で、
どこにも“悪意”はなかった。
だからこそ、
現場は静かだった。
「……なんで、出ていかなきゃならないんだ?」
宝珠未流通の村。
これまで《非裁定》が立ってきた場所。
「危険区域に指定されました」
世界機関の職員は、
感情を抑えた声で説明する。
「生命保護のためです」
「しばらく別の場所で、
安全が確認されるまで——」
「……俺たちは、何もしてない」
村人の言葉は、
怒りでも抗議でもなかった。
ただの、困惑。
「はい」
職員は、頷く。
「分かっています」
「だからこそ、
今のうちに退避していただく必要があります」
理屈は、通っている。
守るため。
被害を防ぐため。
次を生まないため。
「……拒否したら?」
職員は、少しだけ間を置いた。
「強制移送となります」
声は、変わらない。
「それもまた、
生命保護の一環です」
その瞬間。
空気が、
ほんのわずかに重くなった。
誰も、まだ倒れていない。
誰も、まだ削られていない。
だが。
「……来てる」
村の端で、
ミリアが小さく呟く。
レインも、感じていた。
(……早い)
前回よりも、
明らかに反応が速い。
「……撤退、急いでください!」
世界機関の職員が、
村人を促す。
混乱は、起きていない。
泣き叫ぶ者も、
抵抗する者もいない。
ただ、
**“納得できないまま従う人間”**が増えていく。
その背後で。
歪みが、
静かに濃くなっていく。
「……違う」
レインが、思わず呟いた。
「これは……
守ってるつもりで、
選んでる」
エルドが、低く言う。
「……基準が、
人間側に固定された」
《存在係留》を張っても、
歪みは止まらない。
むしろ。
選ばれなかった側に、
より強く絡みついていく。
「……っ!」
退避列の後方で、
一人の男が、膝を折った。
「……まただ!」
職員が、即座に駆け寄る。
「医療班!」
だが、
それは宝珠の反動でも、
魔族の攻撃でもない。
「……理由が、消えてる」
リュカの声が、硬い。
「“拒否した側”じゃない」
「指示に従った人間だ」
その事実が、
誰の顔色も変えさせた。
「……どうして」
ミリアの声が、震える。
「ちゃんと、
言われた通りにしたのに……」
レインは、歯を噛みしめる。
(……飢えが、濃くなってる)
善意で選ばれた退避。
正しいとされた答え。
それが——
“欲望の否定”として作用している。
「……これ、
止まらない」
レインが、はっきりと言った。
「むしろ——
加速する」
遠くで、
鐘が鳴った。
別の区域。
同じ指針。
同じ“正しさ”が、
同時に実行されている。
世界は、
一斉に“答えを出し始めて”いた。
そしてその答えは、
確実に——
飢えを育てていた。
破綻は、想像よりも早かった。
異常区域指定は拡大され、
退避指示は各地で同時進行した。
だが、
数字が追いつかなくなる。
「……再発、確認」
世界機関の通信室で、
報告が重なる。
「移送完了区域で、
同様の症状を確認」
「え……?」
「退避後、
安全が確認されたはずの集落です」
報告官の声が、わずかに揺れた。
「……場所は?」
「指針に従って、
最優先で保護した区域です」
沈黙。
誰もが、
“おかしい”と理解した。
「……想定と、違う」
評議官が、低く呟く。
「封鎖すれば、
止まるはずだった」
「選別すれば、
被害は減るはずだった」
だが現実は。
「……広がっている」
それも、
より静かに。
一方、現場。
レインは、
倒れた人々を前に立ち尽くしていた。
《非裁定》が
間に入っても、
歪みは完全には止まらない。
だが。
「……違う」
レインは、はっきりと理解した。
「これは、
“現象”じゃない」
「……意思、だ」
ミリアが、息を呑む。
「……世界機関の指針に、
反応してる?」
「うん」
レインは、頷いた。
「“選ばれた”って感覚そのものを、
喰ってる」
守るために選んだ。
正しいと決めた。
その行為自体が、
飢えの栄養になっている。
「……止めないと」
ミリアの声は、震えていた。
「このままだと、
全部……」
レインは、歯を噛みしめる。
止めるべき相手は、
魔族でも、宝珠でもない。
——世界機関。
それに気づいた瞬間、
胸が重くなる。
「……言うよ」
レインは、静かに言った。
「世界機関に、
この指針は間違ってるって」
「……聞いてもらえる?」
ミリアの問いに、
レインは首を振った。
「たぶん、無理だ」
「正しいから」
その一言が、
あまりにも重かった。
遠くで、
再び鐘が鳴る。
別の区域。
同じ指針。
同じ“善意”。
世界は、
自分で自分を削り始めていた。
《非裁定》は、
初めて明確に理解する。
——この戦いは、
敵と戦う話じゃない。
正しさと戦う話だ。
夜。
世界機関本部の灯りは、
まだ消えない。
修正案。
追加措置。
さらなる最適化。
“正しい答え”を、
より正しくするために。
そのすべてが、
飢えを育てていることに、
まだ誰も気づいていなかった。




