立っても、止まらない
異変の報告は、同時に三件届いた。
宝珠未流通。
魔族反応なし。
既存の被害例と、完全に一致。
違ったのは——
発生の速さだった。
「……早い」
リュカの《戦域把握》が、
現地到着前から“減少”を示している。
「前回の村より、
削られる速度が段違いだ」
《非裁定》が辿り着いたのは、
街道沿いの小集落だった。
人の往来があり、
完全な寒村ではない。
それなのに。
「……静かすぎる」
ミリアが、低く呟く。
前と同じだ。
争いの跡はない。
破壊も、混乱もない。
だが今回は——
倒れている人間の数が、明らかに多い。
「……十人以上」
エルドが、周囲を見渡す。
《存在係留》を展開した瞬間、
嫌な感触が返ってきた。
「……薄い」
「“ここに在る”という感覚が、
押し負けている」
その瞬間。
集落の奥で、
また一人、崩れ落ちた。
「……っ!」
ミリアが走る。
だが、
倒れたのは“今まで立っていた人”だった。
立つ理由を、
奪われた。
「……来てる」
レインが、即座に判断する。
「前回より、
はっきりと“こちらを無視してる”」
歪みが、
空間のあちこちに生まれ始める。
一つじゃない。
前回のように“通路”を作るでもない。
村全体が、同時に削られている。
「……立つ」
レインが、前に出る。
エルドも、ミリアも、
即座に位置を取る。
《存在係留》
最大。
だが——
止まらない。
歪みは、
彼らを避けることなく、
横を通り抜けていく。
「……っ、効いてない!?」
ミリアの声が、震える。
「違う!」
レインが叫ぶ。
「効いてる部分もある!」
「でも——
全体を止めきれない!」
立っている。
確かに、立っている。
それなのに。
「……数が、多すぎる」
リュカが、歯を食いしばる。
「一点じゃない……
これは、もう——」
言葉が、続かなかった。
村の端で、
また一人、膝を折る。
守っているはずの場所で。
立っているはずの目の前で。
止まらない。
それが、
初めてはっきりと突きつけられた瞬間だった。
レインは、唇を噛む。
(……立つだけじゃ、足りない)
その考えが浮かんだこと自体が、
彼にとっては異変だった。
《非裁定》の前提が、
静かに揺らぎ始める。
この敵は——
待ってくれない。
歪みは、増え続けていた。
前後左右、上空、地面。
一定の方向も、中心もない。
「……分散してる」
リュカの声が、焦りを帯びる。
《戦域把握》は、
すでに限界近くまで回っていた。
「一箇所に立っても、
他が削られる!」
エルドが、盾を深く突き立てる。
《存在係留》
限界出力。
だが、その“基準点”の外側で、
人が倒れていく。
「……レイン!」
ミリアが叫ぶ。
「このままじゃ——
全員、守れない!」
事実だった。
立てば止まる。
それは、一点での話だ。
だが今回は、
削りが“面”で来ている。
「……分かってる」
レインの声は、震えていなかった。
だが、
唇は強く噛みしめられている。
「……選べば、止まる」
誰もが、それを理解していた。
誰かを基点にすれば。
守る範囲を限定すれば。
「……一部を、切り捨てれば」
ミリアが、言葉を続けられずに黙る。
それは、
蒼衡のやり方だ。
合理的で、
正しくて、
犠牲が最小。
だが。
「……それは、できない」
レインが、はっきりと言った。
「誰かを選んだ瞬間、
この敵と同じになる」
歪みが、
さらに一つ、広がる。
その先で、
子どもが、膝を折った。
「……っ!」
ミリアが駆け出そうとするが、
レインが腕を掴む。
「行くな!」
「行ったら、
今ここが崩れる!」
一瞬の躊躇。
その間に、
別の場所で——
また一人、倒れた。
「……くそっ!」
ミリアが、歯を食いしばる。
「じゃあ、どうすんの!?」
レインは、答えられなかった。
答えが、ない。
立つだけでは、足りない。
だが、
選ぶことはできない。
「……リュカ」
「はい」
「全体、把握できる?」
リュカは、首を振る。
「無理だ」
「もう、
“戦場”として認識できない」
それは、
敗北宣言に近かった。
「……エルド」
「……持たない」
短い答え。
《存在係留》は、
確かに効いている。
だが、
“漏れている”。
「……撤退?」
ミリアの声が、かすれる。
撤退すれば、
村は削り尽くされる。
残れば、
自分たちが削られる。
「……まだ」
レインは、前に出た。
「まだ、
立てる」
歪みの中心に、
自分から入る。
「……レイン!?」
「俺が、
基準点になる」
《存在係留》
ではない。
《非裁定》
そのものを、
一点に集中させる。
歪みが、
一瞬、こちらを“見る”。
「……っ!」
重圧が、
一気に押し寄せる。
呼吸が、
重くなる。
思考が、
遅れる。
それでも——
止まる。
完全ではない。
だが、
削りの速度が、落ちた。
「……効いてる!」
ミリアが叫ぶ。
「……違う」
レインは、苦笑した。
「……引きつけてるだけだ」
自分を、
餌にして。
その瞬間。
遠くで、
また一人、倒れた。
歪みは、
完全には止まっていない。
「……レイン」
ミリアの声が、震える。
「これ……
全部、守れない……」
レインは、答えなかった。
答えられなかった。
ただ、
立ち続けた。
歪みが、完全に消えることはなかった。
だが、
それ以上、加速もしなかった。
レインが“基準点”として立ち続けたことで、
削りは、確実に鈍化していた。
代償として。
「……レイン」
ミリアが、そっと声をかける。
返事が、ない。
レインは立っている。
だが、目の焦点が合っていなかった。
「……やばい」
リュカが、歯を食いしばる。
「思考が、
引きずられてる」
エルドが、即座に前に出る。
「……ここまでだ」
《存在係留》を、
レインの背後に重ねる。
それで、ようやく。
歪みが、ゆっくりと引いていった。
完全撤退。
撃退ではない。
“飢え”が、
満足したわけでもない。
ただ——
これ以上は、割に合わないと判断した。
静寂が、戻る。
村は、まだ立っている。
だが。
倒れた人間の数は、
前の村より、明らかに多かった。
「……七人」
リュカが、低く報告する。
「生存は……
三人」
言葉が、落ちる。
助かった者もいる。
守れた範囲もある。
それでも。
「……守った、とは言えないね」
ミリアの声が、かすれる。
レインは、ようやく膝をついた。
「……うん」
「初めて……
立っても、足りなかった」
その言葉は、
敗北宣言ではなかった。
だが、
限界の自覚だった。
エルドが、静かに言う。
「……これ以上、
同じやり方は通じない」
「うん」
レインは、頷いた。
「でも……
切るのも、違う」
その一言に、
誰も反論しなかった。
その頃。
別の地域から、
蒼衡の報告が入る。
――異常区域を、封鎖。
――住民を、強制退避。
――再発、なし。
――犠牲、発生。
数字だけ見れば、
合理的だった。
「……切ったんだ」
ミリアが、呟く。
「……止まった、んだね」
レインは、報告書を閉じる。
「……でも」
「同じ数だけ、
別の場所で、始まる」
確信だった。
立っても止まらない。
切っても終わらない。
世界は、
答えを迫る段階に入っていた。
夜。
レインは、独りで空を見上げる。
体が、重い。
頭が、鈍い。
それでも、
立たなければならない。
(……立つだけじゃ、足りない)
(でも、
選ぶわけにもいかない)
その矛盾を、
初めてはっきりと抱えた。
遠くで、鐘が鳴る。
また、どこかで。
同じ異変が、始まっている。
《非裁定》は、
次の現場へ向かう。
今度は、
立つ理由そのものを問われながら。




