第四十八話 愛という名の凶器
アンチクトンには留守番と監視役のためタケミカヅチを残し、百合、飛鳥、水村、ケトが指定された公園へ向かう。
公園まで速足で10分程度だが、その間も惜しく、百合の力を使って移動した。そのため、先ほど電話から5分も経たず到着。
広い公園だ、もっと具体的な集合場所を聞いておけばよかったと飛鳥は後悔する。気が動転して失念していた。
百合が手分けをして探そうと言いかけた時、不自然な恰好で固まる人間2人に目が留まった。彼女らは両手にペットボトル飲料を持ち、身体と視線が別方向を向いている。その表情には焦りと不安が浮かび、どこからどう見ても誰かを探している挙動だった。ペットボトルの数からして、4人中2人が消えてしまったのだろう。
――嫌な予感がする。
全身の皮膚と胃の辺りがざわざわと騒めき、不快だ。百合は水村に合図した。ある程度距離を取ってから百合が力を解除すると、動き出した風景に溶け込むように水村が彼女達へ近づいていく。警察手帳片手に、だ。
「どうかしましたか?誰かお探しですか?」
呼んでいない警察官に突然話しかけられたにもかかわらず、ちょうど良かったとばかりに彼女らは状況を訴えてきた。「さっきまで一緒にいたはずの連れが消えてしまった」「そこに荷物が置かれたままなのに」「携帯に電話しても繋がらない」「麻耶ちゃんの携帯は鞄の中」と、矢継ぎ早に証言する。
消えたのは高木麻耶という女性と、もう一人。
「塩田憩さんです。弁護士の先生で」
やられた、と百合は思った。これも憩の作戦だ、やっぱり何か企んでいる。アンチクトンから自分達を引き離すことが目的だろうか。
水村が現場保存のためと嘯いて彼女らを現場から引き離したところで、憩らが座っていたとされるベンチを観察してみると証言通りに荷物が残されたままだった。財布などの貴重品や仕事関係の書類もある。あの憩が仕事関係のものを往来に放置していくなんて可笑しいと、飛鳥は首を捻った。
ベンチや荷物、周囲を犬のようにクンクン嗅ぎ回っていたケトが、ぽつりとこんな事を呟いた。珍しく真剣な声音だ。
「移動した形跡がないな。本当に、ここから突然消えたのかもしれない」
「どういうことだ」
「僕の嗅覚は優秀なんだよ。犬なんか負けやしない。憩の匂いが移動した様子がない。ここから突然消えてる。まるで煙や氷みたいに、ね」
「ど、どういうことですか?」
「さあ、僕にも詳しくは分からない。もしや、神隠しとか?」
「彼女らの失踪に、神が関わっていると言いたいのか?」
小さな頭がこくりと頷くのを見て、百合と飛鳥は揃って天を仰いだ。佐藤やオモイカネ以外に、憩に力を貸している神がいるとでも言うのか。
これは計画された失踪劇であると彼らが結論付けるとほぼ同時、ケトが百合達の背後を見て一瞬固まり、そして「佐藤くん、帰ってきたの?」と言うので、吃驚仰天して飛び退いて振り向くと、確かにそこには肩で息をする佐藤が立っている。
佐藤の方から「憩さんは?」と尋ねてきた。彼の全身から強い焦燥感が伝わってくる。どうやら、この失踪に佐藤は関係ないようだ。
「消えた。一般人も巻き込んで、な。神がかりのようだが、心当たりはないのか」
「ありません。なぜそんなことに・・・」
佐藤は嘘を吐いていない、百合達と同様この状況に困惑している。
「佐藤、お前どこへ行っていたんだ。なぜ逃げた?なぜここへ来た?」
「・・・最初は憩さんの職場へ。いないと分かり、携帯に連絡したらここを教えられました」
「会ってどうするつもりだった?彼女を神にでもするつもりか?」
この場合の黙秘は肯定だろう。
一度は逃走したくせに、目の前にいる佐藤は逃げも隠れもしないといった風にしっかり百合の瞳を見つめてくる。正々堂々としているその様に、腹が立つ。
さらに追撃するため百合が口を開くが、制するように頭上から囁きが降ってきた。 「あとは僕が明らかにしよう」 と。慌てて声のする頭上を仰ぎ見る。
空中に、玉虫色に輝く穴が開き、そこから人の顔が2つ、こちらを覗いている。いや、人ではない、神だ。カオスと、美しい青年の姿をしたもう1柱。その神は百合や飛鳥に目もくれず、佐藤だけをじっと捉えている。
「カオス、お願い」
モシュネは、佐藤の瞳を食い入るようにじっと見つめた後、「カオス、お願い」と呟き、次の瞬間、 紫黒色の渦が周囲を包み、佐藤の視界を奪う。奪ったのは視界だけでなく、四肢の自由もだ。続けて百合、飛鳥、ケトも渦に身体をからめ取られ、カオスの力の中へ飲み込まれていく。自分達をどこかへ連れていきたいようだ。仲間も連れてきたようだし、さしずめ人気のないアンチクトンへ戻りたいのだろう。
百合達はカオスの力に抗うことも出来たが、大都会の公園で成人女性2人が失踪した件の対処は水村に任せ、大人しく身を委ねることにした。
もしや、憩もこうやってカオスに誘拐されたのではと百合は期待したが、「さてさて、イコイはどこへ行ってしまったんだろうか」と独り言を言うので違うようだ。落胆する。じゃあ、一体誰が憩を――。
憩の失踪については詳細不明で不穏であるが、とりあえず佐藤が確保できれば彼女を神にする計画は阻める。失せ物探しが得意な神にでも憩捜索は依頼しよう。
百合はこの先の見通しを付けながら、ゆっくり息を吸い、ゆっくり吐き出し、瞼を伏せる。 再び瞳を開けると、そこは予想通りアンチクトンで、佐藤探しに出ていたメンバーが戻ってきていた。しかし、肝心の佐藤の姿がない。
「彼は私が責任を持って隔離する。当事者がいては話しにくいだろうから。それと、イコイ探しはどうする?知り合いの失せ人探しのプロを呼ぶことも出来るが」
「こちらにもいるが、万全を期すためお願いできますか。あと、鳥類から情報を集める者がいるので、公園内の聞き取りを頼みます。海、トトリに連絡を」
晴れない顔つきではあったが、海は力強く頷き、高く舞い上がって消えていった。彼女は今現在、最も『譲渡』に近い神であるが、飛鳥は海を信じたいと思った。自分の肉体よりも見ず知らずの人間を優先してしまう心優しき神が、愛する息子を無限に続く螺旋へ引きずり込むような真似はしないはずだ、と。同時に、飛鳥はかつての父を思い浮かべ、複雑な心境になる。父はなぜ、自分を神にしたのか、と。
「憩さんと一緒に高木麻耶という女性も失踪したそうだ」
百合のその報告に即反応する者がいた。オモイカネだ。席を立ち、驚愕している。
先ほどまでの知る側としての余裕と悲哀は消え去り、この時点で、彼女もまた百合達同様、憩に踊らされる側になった。
想像力を掻きたてられたのか、ケトがまた意地の悪い推理をする。
「高木麻耶って、オモイカネが刑務所に入るきっかけになった女性だよね。もしや、憩が彼女を人質に取った、とか?」
否定したいが、皆一様に口を噤む。だからと言って肯定する材料も足りていない。
ひとりの人間に振り回され続けてやる日本に住まう神々を誠実であると評価する一方、すでに佐藤の瞳から情報を得ているモシュネは、いまいち事態の深刻さを認識していない彼らをもどかしく思う。
「ねえ、君たち、随分と暢気だね。危ないとこだったのに。いや、ずっと危なかった」
言いながら首筋に流れた汗を手のひらで拭い、脱力するようにカウンター席に座るモシュネ。いつも飄々としている彼らしくない、余裕のない切羽詰まった様子だ。 さらに、誰に対して話すわけでもなく、「なるほど、それで千三つか」「よくこの時代まで持ったものだ」「いやしかし、どうしてそのタイミングで涙を」と、ぶつぶつ呟く。どうやら思考を整理するため思い付いたままを口にしているようだ。その様に、リオネル、バッカス、マイアは顔を見合わせる。こんな彼を見たことがない、モシュネはどうしてしまったのか、と。
考えを纏める時間を与えるためか、カオスが百合達に向かい話しかける。
「タジカラオという神と親しい者はいないのか?」
「あそこにいるオモイカネはタジカラオの親に当たる。ここにいる中では他に親しい者はいないはずだ」
百合の言う通り、タジカラオと特別親しい者はこの場にいない。まだ高天の原にいた頃の彼はひどく無口で不愛想、いつも大きな虫の垂れ衣のような笠を被って姿を隠す変わり者だった。アマテラスやオモイカネ、フトダマといった限られた者のみと交流し、話しかけても距離を取られ素っ気なくされるため彼の印象は決して良くなかった。非情で、怖いイメージを持たれていた。その悪印象が改善されたのは、なんと言ってもあの天岩戸の件だ。
百合が窓辺に座るオモイカネに目線を送ると、カオスはそちらへゆっくり近づいていき、俯く彼女の前に立った。
カオスは優しく微笑んでいるが、どこか怒っていて、なぜか悲しんでいる。小さい彼女はいつもそう。
今日も感情が入り混じった笑みをたたえ、単刀直入に問うた。
「あなたは、本当にタジカラオの産みの親か?」
確認のための質問。それなのに、オモイカネは視線を落としたまま黙っている。5秒経ち、10秒経ち、それでも彼女は口を結んでいる。嫌な静寂の中、立派な柱時計の振り子が揺れるコツコツという音だけが響き、次第に空気は張り詰め、緊張が高まっていく。
ボーン。
振り子時計が、夕方5時を告げる。




