第四十七話 小郡環 43年 4回
突如アンチクトンの店内に現れた玉虫色の空間から雪崩れ込む神々。飛鳥を筆頭に、ケト、リオネル、マイア、バッカス、コアトル、フレイの突然の登場に、百合達は戸惑いつつも受け入れた。 本音を言えばこの展開は避けたかったが仕方ない。身内の恥を晒しても海外に住まう神の知見を乞わなければ、この事態は収拾が付かない。もう体裁を取り繕う暇もないところまで来ているようだ。
百合が自己紹介をしようとするが、互いの名を名乗り合う間さえ惜しいといった様子で飛鳥が先に切り出した。
「さっ佐藤さんは!?」
「逃げましたよ」
「えっ!」
オモイカネがさらりと言ってのけるが、この場合は「逃がしましたよ」の方が正しいだろうと日本に住まう神一同は思った。百合と山田から睨まれるが、彼女は肩を竦めて涼しい顔。
一方、飛鳥とリオネルは顔を青くさせて今にも倒れそうになっている。じわっと汗を額に滲ませて。
「わたしは一度フランスへ戻り、モシュネを連れてくる。それまでに彼らへ譲渡についての説明をし、それからサトウの確保の保護に向かってくれ」
そう指示を出し、カオスは玉虫色の空間へ身を投じ、消えていった。
残された海外に住まう神々は顔を見合わせ、誰が語り手になり、佐藤を確保するのか、目線のみで相談し合っている。いや、互いに面倒な役割を押し付け合っている。出来れば皆、前者の役割がやりたいのだ。
数十秒押し付け合った結果、リオネル・バッカス・マイア・珊瑚・海が手分けして佐藤探しに外へ。状況説明は捜索中に行うこととし、彼らはアンチクトンを出て行った。
「おい、スサノオ、状況を説明してくれ。いつから彼らと仲良くなっていたんだ。それに、佐藤を捕まえておけというのはどういう意味だ」
「スサノオじゃないよ」
苦悶の表情で沈黙する飛鳥に代わって、ケトが答えた。ひょいっとカウンターに飛び乗り、一同の注目を集め終えると、改めて宣言する。「彼はスサノオじゃない」と。
「飛鳥君は、人間だよ」
「は?」
「ああ、黙っていた彼を責めないであげてくれ。君たちを思ってのことだから。知られたら、きっと君たちの誰かはそうした」
「待て、何の話だ」
「人間を神にする方法の話さ。それがアマテラスとスサノオの隠し事。そして、彼はスサノオによって神にされた元人間だよ。スサノオの息子らしい」
突き付けられた真実に、オモイカネは眉一つ動かさなかった。ああ、やはり彼女は知っていた側だったのだ。
この場で知らぬ側となってしまった百合、水村、山田であるが、恥じ入る必要などない。神であっても全知ではないし、全能でもない。最初に人間を神にしてしまった者も、神にされた人間も、そうなると分かって実行したわけではなく、偶発的にそうなってしまっただけ。そこに作為はまるでなかったのだ。
大昔、人間を愛してしまった神がいた。愛する人間の女性との間に子供ができた。けれど子の誕生と共に愛する人は死に、産まれた子はひどく病弱だった。愛する者を再び失う恐怖に負けたその神は、我が子に宿った上で自決することにした。それは一種の心中だった。後に起きる悲劇の連鎖と悪意の成長を、その神が知るはずもなく。
アマテラスとスサノオの隠し事を知らされた百合は事態をすっかり理解した。飛鳥から感じていた若干の違和感、佐藤の逃避の訳、塩田憩の目的。それらは全て、繋がっている。
――憩は神になろうとしている!
人間を神にする術をオモイカネが知っていたのなら、タジカラオもおそらく承知しているだろう。
危機的すぎる状況をようやく理解し、山田が動転して叫んだ。
「まさか!では、佐藤は塩田憩を神にしようとしていると言うのか!?」
その疑問に、コアトルが冷静に答える。
「それしかないな。じゃなきゃ逃げないだろう。僕らのほとんどは譲渡について知っている。君らは僕らと関わり持ってこなかったし知らなくても仕方ないが、イコイの方はいつバレるかヒヤヒヤしてたんじゃないか?どの道、時間の問題だった。とりあえず、どちらかを確保すれば防げることだ。――で、なんだこのケーキ、変なの」
言いながら、コアトルはカウンターに置かれた木皿の上のケーキを覗き見る。ガラスドームを引き上げ、「ミルクレープです。おひとついかがですか?」と、なぜかタケミカヅチが給仕を始める。 知らなかった事実を聞かされ、驚きはしたものの、すっかりいつもの調子のタケミカヅチに戻っている。ここから先は彼女の専門外の話だ。コアトル、フレイにケーキを配りながら、自身はあくまで傍観者の立ち位置を決め込む。
対して、傍観者でいるわけにはいかない百合は、オモイカネに向き直り問い質した。
「オモイカネ、あなたはその事実をアマテラスから聞いていたんだな。佐藤も人間を神にする方法を知っている。そして、それが憩さんの目的であることも」
「ええ、そうですね。ただ、憩さんの目的については私達の憶測でしかありません、彼女から直接聞いたわけではないので。けれどまあ、状況的にそれ以外ないでしょうね」
「なぜ放置している?一大事だろうが」
怒気を孕む百合の声は唸りに近く、なかなか迫力があった。それでもオモイカネは顔色を変えず、こう言ってのけた。
「別に良いじゃないですか」
あまりに投げやりな台詞、気だるげな物言いに、日本に住まう神々の挙動は思わず止まる。あまりにも、オモイカネらしくないから。
「憩さんが神になってなにか困りますか?彼女はもうとっくに普通の人間ではない。500年という歳月を生き抜いてきた経験は神になっても生かされるでしょうし、上手くやれますよ。神より神らしい神になれる」
「本気で言っているのか」
「はい」
さすがの百合も怒髪天になって反論しようとする。が、先に当事者の飛鳥から思わぬ擁護が入る。
「・・・そうですね、憩さんなら、俺と違っていい神になれると思います。てか、ずっと神様のようなものだったんじゃないですかね、人間にとって。たぶん、あの人のことだから誰かを助けたり守ったりしてきたんでしょう。だから今も憩さんを慕う人間達がいて、力を貸そうとする。オモイカネの言う通り、憩さんは神に向いている」
さらにケトまでもが「神の決断を否定することはたとえ神であっても許されない。だから僕は佐藤君の決断を止める気ないよ」と賛同するものだから、百合はますます眉根を寄せ、美しい顔を般若に変える。
彼らの意見に賛同できないのは山田も同じで、舌打ちしながら心中を吐露した。
「チッ。・・・そもそも、神になってどうするんだ。確かにタジカラオの神格は高く、力も強い。しかし傷を癒したり、なにか産み育む能力はない。自分を貶めた神と同列になりたいと言うことか?それが復讐になるのか?」
憩の目的が神になることであったとして、それが復讐とどう結びつくのか。人間を妻に持ち、長く地球に留まっていても、神である彼は人間の心情を真に理解することなど出来ないのだ。
と、ここで、やや場違いな台詞が飛ぶ。過去の憩と親交があった故に、水村は憩が心優しいと知っている。知っているからこその疑念だった。 いや、願いに近いだろうか。
「あ、あのー、やっぱり憩ちゃんの目的は我々への復讐ではなく、別の事・・・なんて可能性はないですか?神になろうとしているのは、目的を果たすための手段とか」
願望がたっぷり含まれたそれに、皆が鼻で笑った。中でも一番、オモイカネが大きな反応を見せた。 未だ能天気な願望を抱く水村に苛立ったのかもしれない。
その願望を打ち砕くため、オモイカネはとある真実を語り始めた。
「私とタジカラオは、緊急時は式神を飛ばすと取り決めてありました。実際、式が飛んできたのは500年前と6年前の二度きりでしたが。6年前、式神が持ってきた手紙にはこう書かれてありました」
≪――それと、もう一つお伝えしたいことがあります。
五百年前に出会った彼女は私に環と名乗りました。「突然この時代へ飛ばされてしまった」「きっとこの現象には意味がある」「自分に出来る事を全うする」「そうすればいつかきっと未来へ戻れる」彼女はいつも前向きに懸命に日々を生きていました。その気持ちは嘘偽りないものでした。 この点を前提に、話をさせてください。おそらく神の涙を呑む直前だろうと思いますが、憩さんは私にメッセージを送ってきました。
『小郡環』『43年』『4回』
書かれていたのは、この三つだけ。その時、私は『小郡環』はともかくとして、『43年』『4回』の意味がまるで分かりませんでした。けれどこれは彼女からの最後のメッセージです、私は意味を理解するために動き出しました。
『小郡環』はすぐに検討が付きました。あの赤ん坊は小郡という名字の家に貰われたのだ、と。さっそく小郡環という名を持つ女性を調べ、病院経営を生業とする小郡家にたどり着きました。そこで、憩さんの伯母から、彼女がどんな生活を送っていたかを知ったのです。
彼女の身に起こったことを聞かされ、私は非常に驚きました。なぜなら、環さんは自身は「家族円満で幸せな子供時代だった」と語り、その言葉に嘘はなかったからです。けれど現実は違った、彼女は決して幸福ではなかった。我々が彼女の苦しみを少しでも和らげようとして行った全てが、悉く裏目に出たのです。これもイザナギの呪いの効力だったのでしょうか。
そして、差し出された環さんの写真を見て、私は全てを悟りました。写真の中の環さんと、私が最初に会った環さんの顔が、まるで違っていたのです。そこでようやく『43年』『4回』の意味が分かりました。私と出会った環さんは、過去へ飛ばされてすでに四十三年が経過し、四回死に、四回生まれた後だったのだ、と。
彼女の心は、当の昔に壊れていたのでしょう。残酷な現実から逃避し、理想の「家族円満で幸せな子供時代」を真実と思い込むくらいには――≫
環は、どんな過酷な環境に置かれても前向きに生きていける人間などではない。勝手に生贄にされただけの、どこにでもいる普通の人間だった。自分はつい最近飛ばされてきた未来人、使命を終えれば本来の居場所へ戻れるのだと自己暗示を掛け、発狂しそうになる現実から逃避していただけ。当時の憩は、もう十分に壊れていたのだ。
オモイカネの語りは、一旦そこで中断した。どうしたのかと、耳だけ傾けていたコアトルやフレイも視線をそちらへ送る。オモイカネはその先を言いあぐね、小さく口を開閉している。みるみる瞳に涙がせり上がり、彼女が言葉を発すると共に零れ落ちた。
「我々は仲間の死を『欠けた』という感覚で理解するが、それは曖昧で、伝わる速度には大きな差がある。トキハカシが死んだ正確な日時は私にも分からない。全員に伝わるまでに43年かかったとしても不思議はない。なぜなら、我々にとって43年という歳月は瞬きの間に等しいのですから。けれど人間にとって43年は、誤差じゃない」
その歳月は、どこにでもいる心優しい女の子の心を壊すには余りあって、神を欺き、復讐を決意させるにもまた十分である。
「彼女に我々を赦す選択肢などなく、彼女が我々の死を望むなら従うしかない。しかし安心してください。彼女はきっと、あの件に関わっていない神を巻き込む復讐はしないでしょうから」
「あの件に関わっていない神を巻き込む復讐はしない」の部分で、『迷』『不明』の文字が彼女の皮膚からふわふわと舞い散る。オモイカネ自身、憩の復讐相手が八百万の神全体を指すのか分からない、というのが本音なのだろう。
誰もが口を閉ざして物思いに耽る中、飛鳥の鼻を啜る音が響いた。服の裾で目と鼻を拭い、呼吸を整えてからスマホを取り出す。
「憩さんに連絡します。話をしなきゃ」
「話してどうなるのかって感じだけど、まあ、君からの連絡が一番効果的だと思うよ」
神経を逆なでするようなことばかり言うケトだが、内心は憩に深く同情し、どうにかその心を癒してやる方法は無いかずっと頭を悩ませてきた。塩田家で生活しながら、憩の日常を眺めながら、考えて考えて、けれども手立ては見つからないまま今日が来た。
救う術がないならいっそ、憩の全てを詳らかにし、早く楽にしてやりたい。今度こそちゃんと終わらせあげたい。罷り間違って神になんてなってしまったら、今度こそ終わりのない螺旋へ踏み出すことになる。
「もしもし、憩さん、今どこですか」
『都庁前の公園。人と会ってるよ。急用?』
「話がしたいんです、ちゃんと。神についてや、環さんの人生について」
『おお、ついに私の目的に勘付き始めたか。飛鳥自身のことも皆さんにお話したの?』
「・・・はい」
『そう、頑張ったね。了解。じゃあ、公園来てくれる?こっちの話はすぐ終わると思うから。どうせ百合さん達もいるんでしょ?連れてきちゃいなよ』
「じゃあね」と結ばれ、電話は静かに切られた。
静かな室内に電話内容は筒抜けだったようで、フレイが「行くの?罠じゃないかしら」と訝しむ。それでも、誘われた場に出向かない選択肢は彼らにない。




