第四十六話 set a fire
松下さんが火事に巻き込まれ、病院に運ばれたとノエミさんから連絡があった。火傷や怪我を負っていないものの煙を吸い込んだため、3日間ほど入院するそうだ。
火事に巻き込まれたが重症ではなく、3日間の入院。お見舞いに行くか悩むケースである。日頃忙しい彼女への休息だと思い、見舞いのメッセージだけ送り、そっとしておくべきか。・・・と、思っていたのだが。
「いや、行こうよ。松下さん寂しがり屋でしょ。それにあの人病院嫌いなんだよ、お見舞い行って励まそう」
愛しのノエミさんがそう仰るので、花より団子、好物のプリンを携えて入院先の小郡病院へ向かう。
道中、松下さんの病院嫌いの理由について、ノエミさんが教えてくれた。
「子供の頃、入院していた時のトラウマらしいよ」
「松下さん病気してたの?」
「あれ、朔君、知らなかった?松下さんは事故で目を負傷して、失明していた時期があったんだって。だけど幸いドナーが見つかって見えるようになったけど、病院に行くと当時を思い出して嫌みたい」
「し、知らなかった」
「辛い思い出だからね。同じ時期に大好きな叔母さんが亡くなっているし・・・」
「あ、栞さんだよね?bookmarkの名前の由来の」
「” 見るということは目だけじゃなくて、手、耳、肌から見られるようになる。見えるようになったら、その時見えたものを大切にして、守ってあげてね”」
「え?」
「栞さんがそう言っていたんだって。松下さんは、栞さんを尊敬していて、大好きなんだよ」
ノエミさんの話を感慨深く聞いていた。松下さんの瞳は確かに”見えている”し、聞こえているのだろう。女性達の、楽しそうに笑っていても傷だらけの心や、声にならない叫び声を。そして栞さんの言葉をずっと守り続けている。栞さんもだが、松下さんもとても立派な人だ。
小郡病院へ到着し、事前に聞いていた階数へ。ナースステーションでお見舞いだと申し入れてから、松下さんのいる病室をノックする――その瞬間、室内から言い争うような声が聞こえてきた。
病室は二人部屋だ、もしや同室の女性と揉めたのかと思い、俺達は慌ててドアをスライドさせる。けれどそれは勘違いだったようで、松下さんが、同室の女性が勝手に退院してしまおうとするのを必死に止めているだけだった。(それはそれで問題だが。)
ノエミさんはその女性を知っているのか、「麻耶ちゃん、ダメだよ。安静にしてなきゃ!」と言いながら、彼女の元へ駆け寄った。
「す、すぐ戻りますから!もう一度、弁護士事務所にお願いに行くだけですから!」
「ちょうどよかった、ノエミちゃん、朔君、止めて!麻耶ちゃんの方が重症なのよ!多く煙を吸って、軽い気道熱傷になっているってお医者様も言っているの。安静にしてなきゃ」
「そ、そうだよ、ね、麻耶ちゃん。退院してからまたお願いしに行こうよ」
「でも!」
二人に宥められ、麻耶という女性はしぶしぶベッドへ腰掛ける。事態を飲み込めない俺と違って、ノエミさん達は彼女が退院を急ぐ理由に心当たりがあるようだ。
プリンを食べる雰囲気でもないので、とりあえず冷蔵庫へ収納。その間も麻耶さんへの説得は続いている。それでも麻耶さんは逸る気持ちを抑えられないのか、今にも病室を飛び出していきそうな熱い勢いを全身から放っている。
安静が必要な彼女がなぜこうも頑なになったのか、その理由は松下さんが差し出してきたスマホの中にあった。
「ノエミちゃん達、配信見た?移動中だったかな」
そう言って、今まさに日本中で騒ぎになっているらしい動画を再生した。
それは、とある企業の不正の告発に留まらない、多くを巻き込む暴露動画だった。俺達一般市民も、知らず知らずのうちに彼らの不正の被害を微量ながらも被り続けてきたのだろう。
暴露動画の内容はそりゃもう大変驚くべきものであったが、それが麻耶さんと何の関係があるのか。
「私、やっぱり警察に行きます、本当のことを話します。相手にされなかったら、新聞社や出版社に行って世間に公表されるようにしたいです」
「待って!久美さんはそんなの望んでないよ、麻耶ちゃんが穏やかに過ごすことを願ってる」
「そんなの無理です!」
麻耶さんの大声を聞きつけ、若い看護師さんが慌てて入室してくるのと入れ違いに、松下さんは目線で俺に退出を促した。てっきり俺一人だけ先に帰れ、という意味かと思いきや、松下さんも続いて退室し、近場の談笑室へ連れていかれる。そこで、見舞いの礼と謝罪を受けた。
「ごめんね、せっかくお見舞いに来てくれたのに」
「いえ、とんでもないです。体調も良さそうで安心しました。あの、彼女は、一緒に火事に巻き込まれた方ですよね?なんと言うか、大変そう、ですね」
「麻耶ちゃんは大学生でね、今は休学中。ボランティアとしてうちに出入りするようになった子なの。良い子よ、気配りもできて」
bookmarkに出入りする女性達は社会に生きづらさを感じていたり、何かトラブルに巻き込まれ支援を必要としている。かつてノエミさんがそうであったように、麻耶さんもそうなのだろう。
深入りし過ぎても良くないと、敢えて麻耶さんの事情について聞くつもりはなかったが、意外にも松下さんの方から話をしてくれた。
「麻耶ちゃんは、ある男に酷い目に合わされた。内容は言いたくないから言わないけど、一生の傷になるようなことよ。人によっては命を絶ってしまっても可笑しくはない。でもね、麻耶ちゃんは歯を食いしばって、負けちゃいけないって、自分の人生を生きなきゃって頑張っている。麻耶ちゃんがそうやって頑張れている理由は、麻耶ちゃんのお母さんの親友のおかげなの」
「お母さんの親友?」
「吉岡久美さんと言って、お母さんとパート先が同じで、家族ぐるみで親しくしていたみたい。麻耶ちゃんとって彼女は甘えさせてくれて、勉強を教えてくれて、悩みの相談にも乗ってくれる第二の母ような存在だったそうよ。――その久美さんが、麻耶ちゃんに酷いことした男を殺したの」
「えっ!」
それは、2年前に起きた殺人事件。殺害されたのは24歳の大学院生・福原康生、犯人は45歳の飲食店パート従業員・吉岡久美。福原さんに一方的な思いを募らせた吉岡久美が、好意を拒絶され激高して殺害、遺体ごと自宅に放火をした。福原さんは両親と暮らしていたが、日中の犯行だったため、家族に被害はなかった。しかし放火された自宅は半焼状態、福原さんの部屋と遺体損傷も激しく、殺害方法が吉岡久美の供述通りの刺殺であったか断定は不可能。
スマホの検索結果を読み終え、当時を思い出した。ああ、あの事件か、と。
事件の真相は、福原氏への報復で、犯人の吉岡さんは自らの人生を棒に振っても彼をこの世から葬り去る選択した。彼の悪行を警察に訴えるのでは駄目だったのか。いや、きっとそれじゃあ足りないし、意味が無いんだろうな、と思い直す。
きちんと法で罰せられても、身体的距離がどんなにあっても、福原氏がたとえ記憶喪失して別人になったとしても、彼の姿をした生き物がこの世に存在する限り、麻耶さんの安寧な生活はない。麻耶さんの身に起こった悲劇を公にすることは繊細な彼女を新たな苦しみへと導いてしまうだけ。だから、殺すしかない。
短絡的な行動だ、麻耶さんだってそれを望んでいなかったろうし、もっといい方法は絶対にあった。それでも、吉岡久美さんは福原氏を殺し、彼に纏わる全てを燃やし尽くした。
「福原の被害に遭った女性は他にもいるみたい。彼の部屋にも、きっと燃やした方がいいものがあったんだろうって、麻耶さんのお母さんが言っていた。久美さんは、そういう人だって」
「そういう人・・・」
「とても頭の良い人なんですって。学力的もそうだけど、生き方がスマートって言うのかな、なんても上手に卒無くこなす人。適切な配慮をする人。困った時にはいつも久美さんがいいアイデアアを出して助けてくれる。全く短慮な人ではないし、人の話もちゃんと聞く。だから周囲の人は皆「殺すしかないと判断されるくらいの酷い男だったんだろう」なんて話をしていたらしいわ」
「す、すごい信頼ですね」
「本当にね。殺害するなんて選択をせず、罪を自覚させ、罰を受けさせたい。それが理想だけど、現実はそう上手くいかないから」
「そう、ですね。そもそも反省するくらいなら罪を犯したりしないでしょう。・・・じゃあ、麻耶さんは吉岡さんの本当の殺害動機を明らかにして、彼女の減刑を訴えたいと?」
力強く、松下さんはこっくり頷いた。なるほど、あの暴露動画が、麻耶さんの背を再び押したのか。本当のことを話さねばならない。その結果、自分の過去が明らかになっても、辛い記憶が蘇っても、たとえ非難される結果になったとしても、吉岡さんの罪を軽くしてあげたい。横恋慕から殺人を起こしたなんていう彼女に似合わぬ犯行動機を消してあげたい。それが叶わないのであれば、自分も彼女と一緒に償いたい。
麻耶さんの気持ちが痛いほど分かる気がした。そんな状況の中では、心穏やかに過ごせるはずがない。麻耶さんの行動は、吉岡さんのためでもあり、同時に自分自身のためでもあるのだ。
「――お願いしてみようかなぁ」
松下さんの独り言の呟き。続けて、今度はハキハキと喋り出した。
「やっぱり、このままじゃ麻耶ちゃんのためにもならない。どこか落としどころを見つけないと、ずっと辛いままだもの」
「そ、それはそうかもですけど」
十分に松下さんもあの動画に影響されている。何かしなくてはならない、じっとしてはいられない、現実から目を背けてはいけない。そう思わせるような圧が、人の心に火を付ける力が、あの動画には確かにあった。
「気持ちは分かりますけど、吉岡さんは麻耶さんを守りたくしてしたことですし、ここはひとつ慎重に、」
「松下さん!やっぱり行きましょう!」
慎重になった方がいい。そんな上から目線で他人事丸出しのクソバイスをしてしまう寸前、病室からノエミさんが飛び出してきた。先ほどの看護師さんも続いて現れ、二人してあっという間に松下さんを病室へ引っ張り戻し、ものの十数秒で廊下へ舞い戻ってくる。今度は私服の麻耶さんも一緒だ。
どこからどう見ても、彼女らは病院から抜け出て、吉岡さん救出へ向かう戦士だった。戦士となった彼女らの意思は固く、俺のか細い制止など無意味で、「じゃあまたね、朔君!」と軽やかにエレベーターに乗って消えていくノエミさん達を見送る。(無力にも見送るしかなかった。)
残されたのは俺と、彼女らの逃亡を手助けしたとも言える看護師さん。エレベーターが完全に閉まると同時、看護師さんは口を開いた。
「行っちゃいましたね」
「あ、はい、そうですね。いいんですか?まだ安静が必要なんじゃ」
「身体より気持ちが大切な時もありますよ。それに、憩ちゃんなら上手く彼女らを宥めてくれるはずです」
「え」
「ご無沙汰してます、朔さん。私のこと忘れちゃいました?」
はっとしてその顔をよく見る。ああ、確かに見覚えはある。どうしてすぐ気が付かなかったんだろう。
「光ちゃん!?」
「はい。私です」
「お、大人っぽくなっちゃったからすぐに気が付かなかった。ごめんね。そうか、看護師さんになったんだもんね。小郡病院だったかぁ。元気にしてる?」
「ふふ、はい。朔さんも元気そうですね。今宵さんはお変わりないですか?」
「うん、妹も変わらずだよ。そっかそっか。え、松下さん達に憩ちゃんの連絡先とか教えたの?」
「いいえ。私はただ話を聞いていただけで、私が憩ちゃんと親しいことは伝えていません。でも、朔さんと一緒に来た女性が、「塩田憩さんの知り合いを知っているからその人の店に行って話を通してもらおう」って言っていましたね。朔さん心当たりあります?」
「あー・・・」
それは佐藤さんのことだ。絶対そうだ、アンチクトンに行く気なんだ。佐藤さんから憩ちゃんへ、吉岡さんのことを取り成してもらおうとしているんだ。果たしてそれが効果的なのか、俺には分からない。ただ、佐藤さんへ想いを若干残しているノエミさんが憩ちゃんと顔を合わせるのを想像したら心臓と胃がぎゅっとした。どうなっちゃうんだろう。俺はどうしたらいいんだろう。
仕事へ戻る光ちゃんを見送ってから、電話可能エリアへ足早に向かう。電話をした相手は、言わずもがな憩ちゃんだ。
出しゃばる必要はないかもしれない。事態を余計ややこしくしてしまうかもしれない。それでも、電話をする手は止まらない。
呼び出し音を聞きながら理解した。俺もあの暴露動画によって火を付けられた一人なのだと。
『なるほど、なるほど。だいたい分かりました。麻耶さんのお話はちゃんと聞いて、応対しますよ。彼女の望む通りの展開にはならないかもしれませんが、納得していただけるよう動きます』
「あ、ありがとう。忙しいのにごめんね」
『いえいえ、他でもない朔さんの頼みですから』
「はは、俺は憩ちゃんになんもしてないけど」
『そんなことないです。今回の件含めて、朔さんは要所要所でいい働きをして下さっていますから』
え?俺がいつ?詳しく聞きたかったが、日曜日だというのに仕事をしている彼女の時間を奪ってはいけないと、挨拶をして電話を終了させた。また後で聞けばいい。――と、思っていたのに。
「え、憩ちゃんが行方不明?」
あれから二日経った夜。真っ青な顔した今宵が、スマホを胸に抱きながら震えた声を絞り出す。「憩が、行方不明なんだって」と。
「ど、どういうことそれ」
「なんか仕事関係?の人と会っている最中に、突然いなくなっちゃったって。あと、憩だけじゃなくて、大学生の女の子も一緒らしくて」
「大学生の女の子って、名前分かるか?」
「えっと、確か、高木麻耶さんって人」
なにか知っているのかと縋ってくる妹を宥めつつ、真に事情を知るはずの松下さんに連絡を取る。応答まで少し時間はかかったが、彼女は電話に出てくれた。そして、支離滅裂ぎみになりながらもその時の状況を教えてくれた。声が震えていて、事態の深刻さが伺える。
『あの後、すぐ塩田憩さんと会えたの。最初は知人の、ほらあの佐藤さんのお店に行ってね、ああ、私、佐藤さんと憩さんが知り合いってこと知らなくてね、でもノエミちゃんは知ってて、あ、それでね、佐藤さんに事情を話したら事務所の方に連絡してみた方がいいって言われて、佐藤さんはなんだかかなり素っ気なくて、人が変わったみたいに変な恰好してて。ああ、それはどうでもいいよね。それで事務所へ連絡したら彼女の方から来てくれると言ってくれて、新宿の公園で落ち合ったの。とりあえず麻耶ちゃんと二人きりにして話をって思って、ノエミちゃんと近くのコンビニに飲み物を買いに行って戻ってみたら、二人とも、消えてしまったの』
そんな、消えたって、煙や氷じゃあるまいに。
しかし防犯カメラにはベンチに座って談笑する二人がしっかり映っていたが、カラスが一瞬レンズを塞ぎ、飛び去るともうそこには誰もいなかった。公園内のどこにも彼女らの姿かたちもなく、それこそ神隠しに遭ったかのような消え方だったのだと言う。
憩ちゃん失踪の知らせを聞きつけ、営業終了後の三屋書店内のブックカフェにていつものメンツが集まった。樹君、一華ちゃん、朝市君、昴君と乃愛ちゃん、それから俺達兄妹。
今宵と一華ちゃん、樹君は心配し過ぎて憔悴していたが、朝市君、小野兄妹の3人は顔色は悪いが冷静で、心ここにあらずいった様子。彼らは、俺達の知らない”なにか”を知っているのかもしれない。
「なにか、知っているの?」
妹達には聞こえぬよう、こっそり朝市君に耳打ちした。こういった場合、知る者と知らざる者の構図ができると話の本筋とは関係のない言い争いが生まれたりして面倒臭いからだ。
問われた朝市君は、知っているとも知らないとも答えず、こう囁いた。
「神のみぞ知る話、かもしれませんね」
「意味わからないこと言ってすみません」と付け加え、彼は口を結んだ。




