unknown(二)
開口一番、山田に向かってタジカラオはこう言った。「黙っていてもらえませんか?」と。
「私がタニグクの神ではなく、タジカラオであるということを」
途端と、彼の口から、皮膚から、『正』『真』の文字が滲み出る。
たった今、間違いなく、この神はタジカラオであり、死んだのがタニグクであると証明されてしまった。
山田は右手で両眼を覆う。仮説が実証されれしまえば、親友の死が確定するということ。仮説が否定されるのを、心のどかで願っていた。親友を見誤っていたこともそうだが、親友の死を知らずにのうのうと過ごしていた自分がなんとも憎らしかった。
二の句が告げない山田達に代わり、タケミカヅチが聞く。
「黙っておくかは一旦置いておいて、いくつか質問したい。なんでタニグクのフリをしていたの?」
「タジカラオの名を、捨てたかったからです」
「名を捨てたい?どういう意味?」
「今はお答えできない」
「ふーん、まあいいや。死んだのはタニグクで間違いないんだよね?」
「はい。自決の瞬間を見ていたわけではありませんが、状況的に間違いありません」
「前から知り合いだったの?あなたとタニグクでは神格が違うでしょ」
「以前から交流があったわけではありません。約500年ほど前、初めて顔を合わせ、立ち話をするような間柄になりました。彼は、人間に裏切られ、神にも失望し、思い悩んでいる様子でした」
「つまり、タジカラオとしてではなく、別の神として生きていきたかったから、丁度よく死んだタニグクに成り代わったってことだ」
言い方は乱暴だったが、事実であるため佐藤は頷くしかない。親友を貶めるような発言をされ、山田は内心苛立ったが、意見する気力さえ起きない。相手が傍若無人のタケミカヅチだったから我慢できた、というのもある。
「とすると、あなたは塩田憩の一件を最初から知っていた側なわけだけど、知っていて彼女に近づいたの?」
「まさか。未来から戻った環さんと私が出会ったのは、偶然だと考えています」
「そんな偶然ある~?まあいいや。憩が戻ったこと、アマテラスにはすぐ報告したの?もしかして、アマテラスからの指示で彼女をずっと監視をしていたとか?それが一番納得なんだけど」
「いいえ。アマテラスとは憩さんを未来へ送った日以降、会っていません。その後も、今日に至るまで一切の関りはありません。オモイカネも同様だと思います」
「あ、そか!あなたはオモイカネと親子だったね。じゃあちょうどいいじゃん、今日、ツクヨミがスペシャルゲストをここに連れてくるってさ」
それから間を置かず現れたのは、百合と、薄ピンク色の囚人服を身に纏った女性。その女性がオモイカネであると、言われずとも分かった。囚人服を着ていても、長く刑務所にいても、彼女の凛々しい雰囲気は変わらない。
長い黒髪や肌の艶も決して悪くない。若干やつれてはいるが、健康状態に問題はなさそうだ。
――いつぶりの邂逅だろうか。
飛鳥の隠し事について、海から聞いた百合は緊急性があると判断し、服役しているオモイカネこと吉岡久美を迎えに行った。まずは海が刑務所内へ侵入し、オモイカネのいる独房へ。彼女は無期懲役囚だが理想的な模範囚であったためか刑務官と談笑をしていた。視界の隅に海が現れると一瞬固まったが、取り乱すことはない。刑務官が去るのを確認してから、彼女は海へと焦点を合わせた。
海は一方的にこの後の手順について説明した。
「これからツクヨミがここへいらっしゃいます。そして、あなたを連れ出します。あなたのいる独房の時を止めますが、どうなるか分かりません。一応、覚悟しておいてください」
時を止め、まるで今ここにオモイカネがここにいるよう取り計らうが、制限時間が過ぎれば空の独房になる。場合によってここへ戻すことはないかもしれない。オモイカネはそう理解し、目を細め、浅く頷いた。そして、その時を待つ。やがて周囲の音が消失し、足音が聞こえ始める。足音が自身の部屋の前で止まり、鍵穴に鍵が差し込まれ、重い扉が開く。
扉の向こうには相変わらず見目麗しいツクヨミがいて、「行くぞ」とそれだけ言って背を向ける。「はい」とだけ返事をし、彼らの後を着いていくオモイカネだったが、最後に一瞬だけ振り返る。独房内を、馴染みの看守を、冷たい廊下を、その瞳に焼き付ける。その一瞥がどういう意味を持つか、百合と海にも理解できた。
「急に申し訳ない。どうやら、スサノオとアマテラスだけが知る隠し事があるらしい。僕はなぜかハブられていて知らない。オモイカネ、あなたは知っているか?緊急性があると思い、あなたをあそこから出した」
百合直々に運転する車内で、後部座席に座るオモイカネに訊ねた。ルームミラー越しの彼女は束ねていた髪を解き、外の景色をぼんやり眺めている。
「さあ、どうだったでしょう、あまりに昔のことですので、記憶が曖昧です」
「記憶が曖昧?はっ、僕らが忘れるなんてあり得ないだろう。特にあなたのような能力を持つ者は、当時の風向きや雲の位置まで正確に答えられるだろうに」
「そうですね、忘れたくとも忘れられない。神とは、なんと難儀な存在なんでしょう」
「で?知っているのか、知らないのか、どっちだ」
「知っています」
海は困惑した。なぜなら飛鳥は秘密を知る者は自分とアマテラスだけだと言い、その言葉に偽りはなかった。それなのにオモイカネも真実を述べているから。
「つまり、秘密を隠し通したのはスサノオだけで、アマテラスはあなたに秘密を打ち明けた、ということか。悪いが、内容は共有してもらうぞ。憩さんの一件に関係がありそうだからな」
「今向かっているのは、アンチクトンですか?タニグクが経営しているという喫茶店。以前、面会に来て下さった時に仰っていましたよね」
「ああ、そうだ。コノハナノサクヤビメとカグツチもいる」
「分かりました、アンチクトンでお話ししましょう」
そう言ったきり、オモイカネは口を閉ざした。
そうして神々がアンチクトンにて合流。店内に充満する重苦しい空気と、佐藤の表情を見てオモイカネはだいたいを察したようだった。
佐藤を見据え、オモイカネは切り出した。
「隠し事がバレてしまったようですね、タジカラオ。なら私がここへ来るまでもなかったのに」
その台詞にぎょっとしたのは百合と海だ。信じられない、といった視線を佐藤に送るが、そこにいる水村達がそれを否定せず沈黙するので、それが真実なのだと受け止める。いや、受け止めざるを得ない。
簡単な概要をタケミカヅチが説明する。
「なんでも、タジカラオの名前を捨てて別の神として生きたかったらしいです。ちょうどタイミングよく自決したタニグクに成り代わったと。ちなみに、塩田憩との出会いは偶然で、アマテラスともとっくに縁が切れてて、憩が未来から戻ったこともアマテラスには教えてないそうです。あ、名前を捨てたい理由については答えたくないみたいです」
なぜか佐藤が「ご説明ありがとうございます」と礼を言うので、オモイカネがふっと口元を緩める。場違いな礼が可笑しかったのだろうか。
「敬語が使えるようになったのですね、タジカラオ。あなたも成長しましたね」
「それほどでもありません。ああ、ついさっき偶然にも、高木麻耶さんが来ていましたよ」
「麻耶ちゃんが・・・そうですか」
「今、彼女はbookmarkというNPO法人でボランティアをしているそうで、そこの代表と私は友人なんです。そして、憩さんの友人の三屋朔さんは書店を営んでいてbookmarkのお得意様。おそらくはそこから私と憩さんの関係を知り、あなたの再弁護を憩さんにしてもらえるよう頼んでほしいと、私に願い出てきました。それはもう、塩田家に突撃する勢いで」
「それはそれは、ご迷惑をお掛けして申し訳ない」
「ついさっき世間を賑わせた暴露動画が、麻耶さん達の背を押したのかもしれませんね。黙ったままでは大切な人も物も守れない、行動しなければ、と」
「あの子はおっとりしているように見えて頑固なんです。まだ若く視野が狭い、正義に酔っているのでしょう。暴走してしまう前に、あなたから辞めるよう言ってください。どの道、 私はもう刑務所へ戻れないのですから、彼女の行為は無駄になる」
久々の親子の再会に水を差したくはないが、こんな緊急時に何を話しているのだと百合は内心苛立った。人間社会で発生した出来事ではなく、自分達の話がしたい。
スサノオとアマテラスしか知らない隠し事とは、『タジカラオがタニグクに成り代わっていた』という話ではないはずだ。それはそれで十分驚くべき話であるが、スサノオとアマテラスが隠し通すような秘密とは思えないし、この2柱が顔を合わせたのはおそらく遥か昔の高天の原でのこと、タジカラオがタニグクのフリを始めたのは500年前、これでは時系列が合わないではないか。それとも、地球に来てからもアマテラスとスサノオは関わりがあったのか。
不足情報があり過ぎて、百合は途方に暮れる。
そんな中、困惑と疑惑の渦巻く室内で、なぜか佐藤だけはどこ吹く風の上機嫌で、オモイカネも和やかな笑みを浮かべている。
「まあ、話は長くなりますし、座りましょう。オモイカネ、久々の娑婆なのですから食べたいものを仰ってください。作りますよ。食べながら、ゆっくり話しましょう」
「じゃあお言葉に甘えて。カレーがいいですかね」
「カレー?刑務所の中でも提供されていたのでは?」
「家庭のカレーが食べたいんですよ。私の大好物です」
しんみりとした口調、物悲し気な面持ちの彼女の申し出に、優しい神々はなし崩し的に従った。しかしこの場にカレーの具材の用意はない。
さすがにこの状況で佐藤に外出させられないと、百合は買い出し要因として珊瑚と山田を行かせることに。山田は不服そうだったが、珊瑚に腕を引っ張られながら足早に出て行った。佐藤は二階の自室へカレー作りに必要なものを取りに向かう。
二階へ向かう佐藤を見張りながら、 静かに語り始めるオモイカネの声に、百合達は耳を傾けた。
「憩さんを未来へ送ることはアマテラスの許可なしに行われたことでした。もし知られれば、どんな行動に出るか分からない。彼女を見つけ出し、最悪、殺してしまうかもしれない。だから私達はずっと隠してきた。あの子は憩さんを守るために、タニグクに成り代わりことを選んだのでしょう。タジカラオのままでは、いずれ気付かれると考えて」
「そんな、まさか、アマテラスが人を殺めるだなんて、」
心優しいアマテラスしか知らない海は否定したくなるが、事実、彼女らの最高神は人間を殺した。父・イザナギを追いやった人間達を、瑞穂を痛めつけた人間達を、そしてなんの罪もない憩を。清廉潔白なアマテラスはもうどこにも存在しない。
「名を使われたタニグクには大変申し訳ないと思っています。トキハカシについても、まさかこんな事態になるとは・・・」
「トキハカシにその自覚はなかったのか?」
「あったら自決などしなかったでしょう」
百合の疑問をきっぱりと否定し、後悔と懺悔の言葉を続ける。
「もし、死後の意識が神にあるのなら、今頃きっと後悔しているはず。彼を巻き込んだのも私です。私は全てを違えた。もう私は、如何なる意見も許されない」
思わず、百合、水村、海、タケミカヅチは顔を見合わせていた。オモイカネの独白に、なんと返せばいいか分からなかったのだ。その場にいなかった自分達の取って付けたような慰めなど意味はなく、かと言って彼女を責め立てるのも違う。ああすればよかった、こうするべきだったと後からならいくらでも言える。
ふわりと舞うように傍らに座り、その華奢な肩にそっと手を添え、海は願った。オモイカネの心が少しでも晴れますように、と。
「あ、百合さん、携帯鳴ってます」
椅子の上に掛けられた百合のジャケットから、着信を知らせる振動音が。しかし今は人間の仕事をする気分ではない、別件であってくれと願いながらディスプレイを覗く。百合の願いが通じたのか、相手は人間ではなく、飛鳥だった。 すぐにタップし、耳に当てる。
挨拶もそこそこに、飛鳥は早口で話し出した。
『あの、今どこですか』
「アンチクトンにいる。お前は今どこだ?かなり込み入った話をしていてな、可能ならお前も来てほしい」
『俺も、実は、話さなきゃいけないことがあって』
「やはり、お前も知っていたのか?」
『何をですか』
「佐藤がタニグクのフリをしていたことだ」
電話の向こうで、飛鳥がきゅっと小さく息を呑む。百合はそれに気付かず話を続ける。
「自決したのはタニグクで、佐藤はタニグクに成り代わっていた。佐藤は、タジカラオだ」
『タジカラオ、』
「ああ。知っていたんだろう」
『え、いや、あの、タジカラオって、どんな力を持っていましたっけ。パワー系の神でしたっけ。確か、天岩戸の際に、アマテラスを黄泉から引っ張り出して、』
「確かってなんだ、お前はあの時の当事者だろう。お前が母に会いたいと零して、アマテラスがそれを真に受けて黄泉に入った。危険を顧みず、タジカラオも黄泉に踏み入って、あいつを連れ戻した。その件から、タジカラオは云わば英雄みたいなもので――おい、スサノオ?」
その後、何度か呼びかけるが応答はない。電話口では複数名の会話が聞こえているが、内容までは聞き取れない。ただ、切迫感だけは伝わってくる。
複数名による議論の末、以下のような結論が出されたようで、飛鳥は切羽詰まった声で叫ぶ。
「さっ、佐藤さんを捕まえておいてください!すぐ行きますから!」
スピーカーにせずとも漏れ聞こえたその叫びに反応し、海は身体をふわりと浮き上がらせ、真っすぐ天井へ舞い上がる。煙のように天井をすり抜け、佐藤の自室へ侵入。
キッチン、テーブル、椅子、ベッド、本棚。取り立てて特徴のない簡素な部屋の中に、佐藤はもういなかった。窓は全て閉まっていたが、一か所だけ施錠がされていない。そこから外へ出ただろうことは容易に想像が付いた。想像は付くが、ここは山田の支配が及ぶ空間のはず、外へ出れば彼へ伝わるはずなのに。
買い出しから戻ってきた山田が、二階から佐藤が逃亡したと知るや否や慌てて二階へ駆け上がる。しかし、そこにもうタジカラオの姿はない。
アンチクトン内にいる神々は皆この急展開に、程度の差はあれど混乱し、動揺し、先の読めない状況に少なからず恐怖していた。オモイカネだけは、事態を予期していたかのように落ち着き払っている。




