第四十五話 unknown
「これさ、証拠なかったらこの子ら危なくない?」
ミルクレープにフォークを刺しながら、眉根を寄せて珊瑚は言う。
百合の号令によりアンチクトンに集合した珊瑚と水村は、百合の到着を待つ間、3時のおやつを楽しみながら例の暴露動画を視聴している。
証拠があること、然るべき場所へ提出する用意があることを動画内では主張しているが、果たしてそう上手く事が進むものだろうか。妨害されたり、証拠を奪われたり、最悪命を狙われるかもしれない。勇敢な人間3人の相対する敵は、そういう手段を使ってくる可能性のある連中だ。何の後ろ盾もない一般人がまともに相手できるとは思えないと、珊瑚はそう考えているのだろう。
「ほんとだよね、大丈夫かなこの子達」
なんとも他人事で我関せずの水村の口ぶりに苛立った珊瑚は、ティーカップを持つ左腕を小突いてやる。
「なんなのそれ!それでも警官なの?詳しい情報くらいないの?」
「いたっ。いやまあ、そうだけど」
「いくら人間のすることにノータッチが原則でも、警官と言う職業を選んだのなら多少の手助けはしなさいよ。百合さんだって言ってたじゃん。地球に住んで、人間の生み出すものを享受するなら、家賃と光熱費と食費くらい払えって」
百合の言う『家賃と光熱費と食費』は、つまり『人間として労働をすること』らしい。仕事に就き、給金を得て、人間へ還元する。それが百合の考える神としての正しい振る舞い、そして彼の美学でもある。特に親しい珊瑚や水村はそれに倣い、人間としての仕事を持つに至った。
小突かれた二の腕を摩りながら、眉と口をへの字に曲げて水村は弁解を始める。
「たぶんね、爆破されたトワイトワが悪事の拠点で、証拠の隠し場所だったんだと思うよ。けどそれらは簡単には持ち出せないし、映像として残すこともできない。桐谷大聖さんは歯痒かったろうね、すぐそばに不正の証拠があるのに手が出せないんだもん、きっと監視もされていただろうし。それでも、証拠を持ち出したいと思ったら、かなり思い切ったことをするしかない」
「・・・それが、爆弾で吹っ飛ばして、無理やり第三者を介入させること?」
「そうだと思う」
「でも警察が押収したんでしょ?警察と癒着してるって動画で言ってるし意味ないんじゃない?破棄されてるかも」
「実は、少し前に管轄の警察署へ百合さんが行ったんだ。署長さんに会ったらしい。結構踏み込んでこの件について聞いたみたいだよ。イタガキコーポレーションが政治家と仲良いのはそれなりに有名な話だしね」
「で?」
「押収品はトワイトワ側へすでに返却済みで、しかも代表取締役会長、つまり大聖君のお父さんへ返した、と言われたらしい」
「ダメじゃん!!」
「でもその署長さん、嘘を吐いていたって」
「え、本当は返却していないってこと?」
「”返却した”というのが嘘なのか、”返却相手”が嘘なのかは分からないけど。でも、彼からは邪なものを感じなかったと百合さんは言っていた。むしろ、その逆だったって」
「へえ!」
「まあ、この子らも無策でこんな真似しないよ。勝算あっての行動と祈ろう。ね、未来君」
呼ばれ、カウンター下の整理をしていた佐藤はのそりと顔を上げた。両手に大きなボウルを抱えている。鍋や量りなど、次々に引っ張り出してくるので、珊瑚はそれらをどうするつもりかと訊ねた。すると、間髪入れずに「売るんです」とのたまうので、水村と珊瑚は声を揃えて「売っちゃうの!?」とびっくり仰天。
「はい、もう店を続けるつもりないし、いいタイミングかなと」
「いやでもトチノミに卸しているじゃん。それも辞めちゃうの?」
「はい」
一切の躊躇いがない言葉に、珊瑚は面食らって黙り込む。
佐藤には、この店への愛着や思い入れがまるでない。人間に上手い菓子を提供するという行為にも心残りがない。本当に、佐藤にとってここは憩へお菓子を届けるための作業場であり、かつ人間として生きるためのカムフラージュの舞台に過ぎず、簡単に手放してしまえる場所なのだろう。なぜなら、佐藤の居場所はすでに塩田家にあり、甘いものを作ってあげたいと思うたった一人はすぐそばにいる。もう”ここ”に用はないのだ。
「ああ、だけど、アンチクトンは売らずに残しますよ。皆の集まる場所が必要でしょ。神専用のカフェとか、レストランとか、誰かやりたいひとがいればいいんだけど。珊瑚さんどうですか、神専用のネイルサロン兼カフェとか」
「あー、悪くないかもね。でもネイルする神は少ないから、カフェが主に――」
カラン。
「カフェが主になる」と言い終わる前に、アンチクトンの扉が開いた。百合かと身を乗り出して確認するが、そこには呼んだ覚えのない山田と制服姿のタケミカヅチがいる。タケミカヅチはいつもの飄々とした様子で挨拶してきたが、山田の表情は硬くく、挨拶代わりにこう言った。
「佐藤、お前に用があってきた。タケミカヅチには用心棒できてもらったんだ、僕は武道に秀でていないからな。が、あなた達がいるなら僕だけでよかった」
突然現れ、珍しく場の主導権を積極的に取る山田に、珊瑚と水村は頭の上に「?」を浮かばせ、怪訝そうにする。対し、能面顔の佐藤は黙ったまま、親友をじっと見る。
「本当はお前とふたりで話をしたかったが、最悪のケースを想定した。背に腹は代えられない、というやつだ」
「いやいや、さっきから何の話?」
「私も教えてもらってないんだよね~。ただ用心棒で来てくれって言われてついてきたらここだった。佐藤さん、私にもミルクレープお願い!」
珊瑚が割って入るが、タケミカヅチは何も聞かされていないようで、肩を竦めながら珊瑚の左隣に座る。
注文を受け、佐藤は流れるような動作でミルクレープを切り分け、皿に乗せ、彼女へ差し出す。 山田は黙ってその様子を見守り、なんと切り出そうか思案する。佐藤に言いたいこと、聞きたいことは明確にあって、それらはすぐにでも問い質さねばならないものなのに、どうしてか声が出てこない。喉に、言葉が詰まっているみたいだった。
本音を言えば、この話はしたくない。可能ならコーヒーでも飲みながら雑談して、今日という日をありふれた一日にしたい。けれど、それはただの逃避であり、時間稼ぎに過ぎず、問題の解決にはならない。自分が、あることに気付いた自分が、そしておそらく今回の件に利用されただろう自分が、真相を確かねばならない。
目の前にいる、親友のフリをしたこの神の正体を。
「佐藤」
「はい」
「俺の妻の名前は?」
「ナイさん、でしょ。名前が無かったから、ナイ。山田君が付けたんじゃないか。今更だけど、そのまま過ぎるし、もっといい名前なかった?」
「うるさい。お前は一度、ナイと会ったことがあったよな」
「たまたまね。珍しく君に家を訪ねてみたら、彼女がいた」
「そうだ。妻は、蛙が喋るのを見ても驚かず、普通にお前と会話してた」
「そうだったね。でもそれは彼女の目が不自由だったから」
「タニグクに、妻の目が不自由なことは教えていない」
「・・・そうだっけ?聞いたと思うけど」
「いいや、教えていない。あの時タニグクは「自分の姿を見て、驚かない人間に会ったのは初めてだ」と言った。それは本心だった。あいつは妻の目が不自由なことに気付いていなかった。そして、妻の方も、木の陰から声をかけてきたタニグクを人影と見間違えたに過ぎない、蛙と認識して対応したわけじゃない。さらに言えば、僕は誰にも妻の目のことを話したことはない。なぜ知っている?」
佐藤と山田の会話に、不穏なものを感じ、珊瑚たちは挙動を止める。その会話に入っていく勇気を持てないほどに、雰囲気は重く張り詰めている。
佐藤は変わらず凪のように落ち着いていて、単調な口調で反論する。
「知っての通り、タニグクは情報収集に長けた神だ。親友の奥さんについてくらい、知っていて当然だよ」
「知っての通り、僕は結界や見張りの神。お前の配下にいる爬虫類の視線すら感じ取れる。少なくとも、ナイが死ぬまでの間、タニグクからの接触は一切無かった。もう一度聞く、誰から聞いた?」
そこで、佐藤は反論をやめた。山田は続けて迫る。
「お前、誰だ」
「えっ」
ガタッ。動揺の声を漏らし、水村は思わず椅子から飛び退き、目の前にいる佐藤へ視線を向ける。珊瑚も似たような反応だ。タケミカヅチだけが冷静で「ああ、なるほど、そういう話ね」と俯瞰した立場にいる。
「お前はタニグクじゃない。誰だ?」
追撃し、山田は回顧する。初めて、タニグクが人間の姿で自分の前に現れた時、彼は足元に2匹の立派なヒキガエルを連れていて、名こそ名乗らなかったが、ただじっと自分を見つめてくるものだから、あれがタニグクなのだと直感し、「お前タニグクか?」と咄嗟に問うた。それに対し彼は肯定も否定もせず、ただ薄く笑った。
そう、あの時、彼は「はい」と返事をしていない。「僕はタニグクです」と自己紹介したわけでもない。山田が彼をタニグクだと判断した、いや、そう思い込んだ。親友の山田が彼をタニグクだと認め、彼もそれを否定しなかったことから、彼はタニグクになった。
彼が山田の前に現れたのは、タニグクとして生きるため、タニグクの親友の証言と証明が欲しかったから。要するに、山田は彼に利用されたのだ。
「お前は誰だ」と問われ、さすがの佐藤にも悲しみや寂しさの色が浮かぶ。そのやり取りを見て、その場にいる神々は山田の主張を信じたようだ。こいつはタニグクではない、と。
爆発的に、緊張が増幅していく。
自分達は騙されていた、なぜそんな嘘を、憩と何か関係があるのか、彼の正体を知る者は誰かいるのか、この事態をどう処理するか。彼らの心は大いに荒れた。
4柱からの視線を一身に浴びている佐藤が、今まさに口を開こうとしたその時、山田の眉がピクリと動いた。入口辺りが妙に騒がしい。今現在、このアンチクトンは山田の力が施され、人間は入ってこれない状態だが、どうやら人間がアンチクトンの扉を開けようと格闘しているようだった。ドンドン、と扉を叩き始めている。「佐藤さん、いないの?」と女性の声まで。
「あれは、松下さんですかね」
佐藤の言う通り、来訪者は松下美紀だった。他、2人いる。すぐに帰る気配もなく、何やら立ち話も始め、さらには佐藤のスマホが震え出した。
「急ぎかもしれないので、行ってきますね」
「行くの!?」
「はい」
確かに、場の空気は完全に壊され、先ほどまでの話を続ける気分になれないし、気持ちを一度落ち着かせたい。 入口へ向かう佐藤を見送り、そこでようやく水村は腰を下ろした。
「いやいやいやマジでなに!?佐藤ってタニグクじゃないの?え?じゃあ誰?つかなんでタニグクのフリしてんの?あれ、じゃあ本当のタニグクどこ?」
誰もが抱く疑問を全て言語化してくれた珊瑚。けれど疑問の数は解決せねばならぬ問題の数と同義だ、そのことに気付いて珊瑚と水村は頭を抱える。対して、幾分冷静でどこか他人事でいるタケミカヅチは、山田に佐藤の正体について訊ねる。
「心当たりはあるの?ぼんやりは察しが付いてるって感じ?」
「ああ。タニグクは勝手に名前を使われて黙っていてやるタイプじゃない。絶対にバラす。本当のあいつはネチネチと陰湿な方だ、皮肉屋で卑屈でな」
「じゃあ本物のタニグクも共犯ってこと?」
「いや、だとしたらナイの目のことも共有しているはずだ。共有されていたが佐藤が口を滑らせただけ、とも考えられるが。――これは、あくまで可能性のひとつだが、」
言葉を止め、入口をちらりと見やる。彼女らと会話を続けていて、まだ戻る気配はない。いや、もしかしたらこのまま戻らないかもしれないと警戒しながらも、山田は自身の仮説を述べる。
「今から約500年前、佐藤が僕の前に初めて現れた。その時代に起こった出来事を思い出してみた。僕らの知らぬところで塩田憩が未来から過去へ戻ってきたこと以外で、ごく短期間に重大事がふたつ起こったはずだ」
考えることを放棄しているタケミカヅチを除き、珊瑚と水村は当時を回顧する。神々にとっての重大事はそう多くない。すぐさま両名は思い当たったようで、同時に声を上げた。
「自決した神が2柱いる!」
「ああ、その通り。僕らは仲間の死を感じられるだろう。誰がどこで死んだのかまでは分からなくても『誰かが欠けた』という感覚は共通して持つ。500年ほど前、確かに2柱が死んだ。1柱は知っての通り、トキハカシ。そして、」
「もう一方が、実は、タニグクだったんじゃないかってこと?」
ミルクレープ最後の一口を飲み込み、タケミカヅチが言う。どうやら彼女も佐藤の正体に興味を持ち出したようだ。
約500年前に自決した2柱の内の一方は、タニグクである。その仮説に、山田は頷いて同意する。すると、これまで死んだと思われていた神が実は生きていることになる。
理由は知らないが、その神はタニグクの死を利用し、タニグクに成り代わり、山田の前に現れ、過去へ飛ばされた憩の傍らにい続けた。
神々を欺き、今も身分を偽るその神の名は――。
「タジカラオだ」
カラン。
山田がその名を口したタイミングで、佐藤が戻ってきた。店内でどんな話が展開されていたのか、彼はもう分かっている。
開口一番、彼は言った。「黙っていてもらえませんか?」と。




