第四十四話 福音を奏でる人
「これから、どうしよう」
ずっと続いていた沈黙を乃愛が破ってくれたのに、兄・昴も朝市も海(偽樹)も反応しない。独り言と思われたのか、それとも同じ呟きを心の中でしていたからか。
飛鳥や喋る黒猫に追い出され、目的地を定めないまま歩き、いつの間にか最寄り駅を過ぎ、冷えた指先を温められそうなカフェも無視し、彼女らはただ前に向かって進む。
しかし、思い出したように朝市がとある仮説を引っ張り出してきて、一同の足は止まる。
「塩田が、地球滅亡を企んでると神様達に疑われているって飛鳥君から聞いたんですけど」
「えっ!」
小野兄妹は俯きがちだった顔を揃って勢いよく上げ、朝市を見た。朝市の表情は兄妹と違って冷静そのもの。もう朝市自身それがデマだと理解しているが、小野兄妹への共有と情報整理のため口にしたようだ。
問われた海は暗い顔をさらに曇らせ、俯いた。そして、肯定した。
「皆からそう思われていることは確か」
「本気でそう思っていますか?」
朝市が重ねて問うと、今度は否定した。ふるふると首を横へ振って、「少なくとも私はそう考えていない」と。
「憩ちゃんが子供の頃に「幽霊になって、地球が滅んでいくのを見たい」と、それが夢だと言っていたと朔君から聞いて、それを拡大解釈しただけ。誰も本気にはしていないと思う。それに、そんな大雑把な計画を彼女は立てない。ちゃんと、復讐したい相手を見極めて実行する。そういう人間だと、私は思っている」
「分かってるじゃないですか。まあ、以前から塩田を知っているんだから当然か」
呆れと少しの非難が混ざった朝市の声音。まるで昔からの知り合いに話しかけるような砕けた口調だった。神にするには軽々しく無礼な対応だが、乃愛も昴も窘めない。だって、目の前にいるこの神は、親友の母親だと分かっているから。
意味深な笑みを人間3人から向けられ、海こと樹の母親は気まずそうに、けれど少し照れくさそうに微笑み返した。
「やっぱり、分かっちゃったか。皆、察しがいいね」
「いやいや、さすがに気づきます。ずっと樹の身体借りてるし、言動も可笑しかったですよ」
昴の台詞に、妹もこくこくと頷く。
彼女の振る舞いはずっと分かり易かった、隠す気が合ったのかと疑うほどに。素直に正体を認めてくれたから、このことは隠し事としてカウントしないであげようと乃愛は思った。
「本当に情けない、憩ちゃんのことは、学生の頃から知っていたのに。少しも気づいてあげられなかった」
「相手が塩田じゃしょうがないですよ。神様も人間もみんな、あいつに踊らされているんですから」
昴の言う通りだった。塩田憩については、神も人間も等しく翻弄されている。痕跡を追って半年が過ぎた今も、憩の真の目的にたどり着けていない。片鱗に近づいていると感じるが、まるで明後日の方向へ進んでしまっているような気もする。要は、確かなことは何一つ見つけられていないということ。
「でも、スサノオとアマテラスしか知らないことって何なんでしょう。飛鳥君、私達には話せないの一点張りでしたけど。樹君のお母さん、何か心当たりないんですか?」
「全く。私のような甘ちゃんの神には話せない、そんな風だったね」
「言い方的にはそんな感じでしたね。つまり、人間に味方する神には話せないこと。・・・それより、神様なのになんで電車に轢かれるんですか、神の宿る身体は丈夫って聞いてたのに。避けたり出来たんじゃないですか?それかお爺さんの方を移動させるとか」
朝市の疑問はご尤もだ。するとなぜか照れ臭そうに頬を掻きながら、「あんまりにも焦ってて。私、運動神経良くないし。それに、さすがに電車に轢かれたら死ぬよ」と言う神様らしからぬ彼女を見ていると、乃愛の瞳が再び潤み出す。
見た目は樹だが、その身体の中には樹の母親がいる。肉体は無くなってしまったけど、人懐こい笑みを浮かべ、いつも自分達に優しく接したあのひとは今、目の前にいて、生きている。
沈んでいた気分は、その事実ひとつで容易く浮上した。
「樹には、何も言えないですよね」
昴の言葉に、頷きながら海は言う。
「そうね、それはあり得ない。面倒ばかりかけてごめんね。私のことは憎んでくれて構わないから、これからも樹と仲良くしてあげて」
憩のすぐそばにいながら何も気づかず、何も出来なかった自分を責めているのか、その表情は苦悩に歪んでいる。
それから仲間に一連の出来事を伝えに行くと言い残し、彼女は曇った笑顔のまま去っていった。
残された3人は再び歩き出した。誰も口を開かないが行先はすでに決まっていて、あの日以来可能な限り避けてきたあの場所へ、あの日以降とはまるで違う心持ちで向かう。
見えてきた例の踏切には、先客がいた。思わず「あっ」と乃愛が声を出す。樹の母親が電車に轢かれた踏切、そこに花を添え、手を合わせる男女がいる。妙齢の女性と30代くらいの青年の組み合わせ。乃愛達にはその二人に見覚えがあった。樹の母親の葬式に、彼女らはいた。助けられた男性の娘と孫だ。あちらもこちらに気付き、深々お辞儀をしてくる。どうやら彼女らも乃愛達を覚えていたようだ。
助けられた男性と娘は長年疎遠で、事故をきっかけに再会した。孫とも事件以降に関わりが生まれ、偏屈爺さんで有名だった彼は穏やかな好々爺に変貌し、娘や孫達に囲まれながら、そして自分を助けてくれた女性への感謝と謝罪を口にしながら幸せに死んでいった。自身の資産は井之原家へ渡るよう娘へ言い残し、娘は欲を掻かずにそれに従った。が、井之原家が辞退したため、両家で相談の上、近くの児童養護施設へ寄付された。これらは乃愛達の知らない話である。
葬式以来、彼女らと遭遇したことはなかったのに、今日という日に再会するなんて、運命めいているな、と朝市は思った。
あちらは、乃愛達が笑顔で会釈を返してきたことに少し驚いたようだった。そして互いに会話を交わすことなく、会釈し合い、その場を静かに離れた。乃愛達は踏切に手を合わせなかった。線香もあげないし、花も供えない。だって、そこに彼女はいないと知っているから。
「――俺、またあとで小郡さん家に行ってくるよ。環さんが養子だったことと、話してくれなかった”家出をする理由”はきっと関係してる。塩田の目的には無関係かもしれないけど、俺が知りたい」
「分かった。俺らもカオスさんに、飛鳥君の隠し事について聞いてみよう」
「うん、そうだね」
そこで、昴が後ろポケットからスマホを取り出し、時間を確認する。すると、サイレントにしていたからか、仕事の通知に気付かなかったようで、慌てて画面に指を滑らせていく。つられ、乃愛もスマホを取り出す。画面上には、友人からのメッセージとネットニュースの通知が並ぶ。
ニュースは、浜松町で発生した爆弾事件の裁判についてで、相変わらず中森夫妻は黙秘を貫いているというもの。黙秘を続ければ続けるほど、人々はその隠された犯行動機に興味をそそられ、隠すには理由があるはずだと考えを巡らせ、話題の鮮度は一向に落ちる気配がない。しかしいくら口を噤もうが、犯行自体は彼らが計画し実行したという客観的事実がある以上、判決は下される。死者はいないとはいえ怪我人を出し、ビルの複数個所を損壊し、世間を震撼させた罪は重く、懲役25年の判決が出た。
乃愛は重めの審判だと感じ、感想をそのまま吐露した。
「重い判決だよね。だって、人を殺してももっと軽い量刑になる時あるよ」
「まあ、ビル壊してるし、一般人も警官も巻き込まれてるから。塩田を一般人とするかは微妙だけど」
「うーん、でも、まだ犯行動機も明らかになってないのに。それに憩ちゃんの協力者の根津さん?も関わってるって話はどうなるんだろう」
「さすがにそれは表に出ないんじゃない?塩田の協力者なら絶対裏で暗躍するタイプだろうし」
「憩ちゃんのダークヒーロー化が止まらないね」
「ヒーローかどうかはまだ決まってないけどね」
「――おい、見てみろこれ」
乃愛と朝市の会話に割って入り、昴はスマホ画面を彼女らにも見えるよう差し出してきた。
それは、見覚えのない男女3人によるライブ配信だった。男性2人と女性1人が横一列に座っていて、画面越しからでも3人の緊張がひしひし伝わってくる。まるで謝罪会見のようだ。しかし、画面右上の『イタガキコーポレーションとトワイトワ株式会社の真実』のテロップ文字と、出演者の所属・名前が表示されると、これが謝罪動画でなく、暴露動画なのだと察せられた。
イタガキコーポレーション取締役・板垣蓮
トワイトワ株式会社常務取締役・桐谷大聖
弁護士・桐谷涼子
この3名によるイタガキコーポレーションおよびトワイトワが行ってきた政治家や警察との癒着、贈賄行為、外患誘致罪、情報漏洩の暴露は、多くの人の目に触れ、瞬く間に拡散さていった。
加え、自分達の関係性や元同級生・中森奏斗の自殺に触れ、 今回の暴露に至った経緯を淡々と説明した。浜松町の爆弾事件については言及しなかったが、ネット上では以前から中森夫婦の息子が高校時代に自殺した事実が周知されていたため、すぐさま関連があると話題になり、大騒ぎになる。中森奏斗は自殺じゃない、秘密を知って殺されたんだ、と。
「僕が父や祖父たちのしていることを知って、抱えきれなくて、奏斗に相談してしまった。僕らの中で、奏斗が一番勉強ができて、しっかり者で、思いやりがあって、頼れる奴だったから。僕が父に奏斗と仲良くするなと言われたときも、いじめているだけだと言えばいい、大人に知られないところでこれまで通り親友でいようって、言ってくれた」
この時、乃愛達を含む大勢が板垣連の涙の告白を視聴していたが、非番の小郡循もその内の一人だった。自宅のリビングにて、パソコンを眺めながら彼は「どうやら本当に、親友だったようですね」と、嬉しそうに呟いた。




