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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅳ章 結

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第四十二話 隠しておけない事

「これでは、あまりにこの子が哀れだ」


 最初にそう言い出したのは、フトダマだった。


 フトダマの瞳には、自身の腕の中ですやすやと眠る赤ん坊が映る。まだ名付けもされていない、産まれたばかりのその子が、のちの塩田しおたいこいである。


 フトダマの嘆きに、オモイカネは重たい頭を上げた。彼女も彼女で顔面蒼白、全身からとめどなく罪悪感と躊躇いが垂れ流されている。


 オモイカネは長い髪を靡かせながら立ち上がり、重い装束を引きづって廊下へと出た。庭の桜は今が満開、今年も見事に美しい花を咲かせてくれた。


 あれは、アマテラスと瑞穂が共に植えた桜の木。毎年ここで肩を並べ、仲睦まじい様子であの桜を嬉しそうに眺めていた。けれどそれも去年までの話、今年から、あの桜は悲しみの象徴となるだろう。


 肺の中の空気を吐き切り、オモイカネはフトダマにとある提案をした。


「イザナギは仰った。「この国とこの国の人間を千年呪う」と。ならば、この子を千年先の世に送るのはどうだろうか」


 あまりに思い切った提案に、フトダマを目を見張った。オモイカネは向き直り、身振り手振り、己の考えを訴える。 自分でも無茶を言っている自覚はある、正常でもない。しかし切迫感にせっつかれ、口が止まらない。


「一か八かの策だ、上手くいくかも分からない。それでイザナギの呪いが終わるのか、それとも、この子が飛ばされた千年後からまた呪いの効力が続いてしまうのか、全く予見できぬ。しかしこのままでは確実にこの子は千年生まれ変わり、千年死に続ける」

「いや、しかし、どうやってそんなことを実行する?」

「トキハカシがいる。彼に話をしよう」


 オモイカネの提案に、フトダマは意見せず、ただ黙って頷いた。他に策はない。両名とも藁にも縋る思いなのだ、腕の中にいる小さな命に降りかかった過酷すぎる運命を、少しでも良い方向へと導くため、やれることは何でもやる。


 オモイカネの命に従い、タヂカラオがトキハカシを連れてきた。一連の事情を聞かされ、己の力を求められていると理解したトキハカシはひどく動揺した。


「わ、私は、命あるものを送った経験はないのです。対象は自分であったり、物であったり。それに送る先もせいぜい数十年、長くても百年程度のこと、ましてや人間の子を千年先の世へ送るなど、私にはとてもとても・・・」


 トキハカシはとても謙虚な神だった。へたりと崩れるようにその場へ正座し、頭を下げながら己の手には余る事案だと必死に主張した。しかし、オモイカネもここで引き下がるわけにはいかない。


 トキハカシの目を見つめながら、切々と訴えた。


「もうこの子は呪われた。留魂の契りも済んだ。十四にもなれば呪いが全身に回り、死ぬ。そしてまた生まれ変わり、苦しんで死ぬ。賢い策とは決して言えぬが、今はこれしか手がない。アマテラスに知られぬ前に事を済ませたいのだ、時間もない」

「し、しかし、今より先の世へ送るという行為は、私の能力の副産物のようなものゆえ、その子がどのような状況になるか保証が出来かねます。それに、千年先というのは、いささか無理が」

「出来る限りで構わないのだ。千年苦しませるよりずっといい」


 その時、フトダマの腕の中にいた人間の子が、ふわあっと元気よく泣き出した。抱き直しながら、フトダマもオモイカネの意見に同意するように大きく頷いた。


「それから、私の力もその子に与える。その子の人生の、一助となるように」

「オモイカネ、それではあなたが暫く動けなくなる」


 気遣うタジカラオを制し、彼女は言った。


「いいんだ、今回の件は私にも責任がある。誰より優しく清廉で、脆く繊細なアマテラスの心を守れなかった。アマテラスにあのような選択をさせてしまったのは、私のせいだ」


 オモイカネの決意を前に、トキハカシも覚悟を決めた。自分も、事情を知って逃げるわけにはいかない。己の全力を注ぎ、人間の子を先の世へ送る。出来るだけ、遠い時代へ。


 それから、せめての手向けに、フトダマが特別上等な生地であつらえた紫色のおくるみを用意した。どうか、オモイカネのこの策が成功しますように。送られた先がどこであるか予想も付かないが、身分の高い家の子であると悟り、良い人間に貰われ、衣食住に困らず、丁重に扱われますように。そして、苦しんで死ぬのは、どうか一度きりでありますように。


 しつこいほどに祈りを捧げ、小さな手を優しく握る。約半月、彼らで面倒を見た。情が湧くには十分だった。出来るなら名を授けてやりたがったが、それも叶わぬまま。

 同様のことを考えていたのか、タヂカラオが「先の世で、いい名前を付けてもらいなさい」と、小さな頭を愛おしそうに撫でた。


 こうして、アマテラスからイザナギの呪いと留魂の契り、オモイカネから力を与えられ、トキハカシから力をかけられた人間の赤ん坊は、先の世へ送られた。


 送られた先はやはり千年後とはいかず、約840年後の1983年だった。飛んだ先も出発点とはまるで違う関東の某所。草むらから子供の鳴き声がすると通報を受けた警官に保護され、一時は乳児院に預けられたが、子供に恵まれなかった夫婦に引き取られることになる。夫婦は病院経営をしており、社会的地位が高く、金銭的にもかなり余裕があった。過酷な運命を背負った名前もない赤子は夫婦によって、『たまき』と名付けられた。


 神々の願い通りに事が運んだように見えるが、過去では、環が先の世に送られ間もなく、フトダマが自死する事態が起きていた。オモイカネやタジカラオから止められていたのに、己の力を使い、環の行く末を占ってしまったのだろう。彼女が苦労する未来が見え、絶望し、死を選んだのだ。自死の理由など、彼女らには聞かずとも分かった。 のち、タジカラオも人間と関わり過ぎた故に自死した。


 実際、平成の世で、環は幸せとは言い難い生活を送っていた。養子に迎えられた4年後、出来ないと思っていた実子が誕生した辺りから、少しずつ家族の形が歪になっていった。夫婦は善良な人間だったので、あからさまに実子と養子を差別することはなかったが、勘のいい環は両親の気持ちをどうしても察してしまう。自分より、弟の方が愛されている、自分は疎まれている、と。


 心に小さな傷を作り続けて成長していく環は、その後も誘拐事件や体調不良など災難に見舞われるが、そんな類の難よりもっと遥か最悪な事態が彼女を襲う。


「――環さんが未来に送られて300年ほどが経った頃、人間の家族を戦で亡くし、今度はトキハカシが自死した。その結果、平成の世から戦国の世へ、環さんが戻ってきてしまったんです。トキハカシに、自覚はなかったと思います。まさか、かけた力が、自身の消失と共に失われるなんて。でも、誰も彼を責められない。トキハカシは力を乞われ、最善を尽くしただけ。――まあ、そのせいで、環さんが未来へ戻ることは二度となかったけど」


 そこで、放心して立ち尽くす朝市の背にカオスの声が掛かった。自分達に非があると自覚しているからか、飛鳥はカオスからの嫌味にも無反応を貫いた。


「まあ、起こってしまったことは仕方がない。さっさと土産を調達して帰ろう」


 場違いな発言をする小さな彼女を止められず、目的の物を購入し、あっという間に東京へとんぼ返り。行きは新幹線を使い、2時間以上の時間と一万円以上の運賃をかけたのに、帰りは数秒、それも無料だ。

 躊躇なく玉虫色のゆらめく空間へ足を突っ込む飛鳥に朝市も続く。内心ドキドキ、目を固く瞑ってなんとかやり過ごした。目を開けると、そこは彼にとって見慣れた室内、朝市の自宅兼職場『ilios』だった。


 各々好きに椅子やソファに腰掛け、テーブルには日本で人気のスナックを広げていて、一見してみれば休日を楽しく過ごす友人達の集まりにしか見えない。中には、井之原樹の姿もある。しかし当然の如く、中に神が入った偽の井之原樹だ。

 小野兄妹は肩を落とし、沈痛な面持ちをしている。カオスの盗み聞きを共有していたのだろう。


 初見の神も2柱ほどいたが、自己紹介をし合う雰囲気でもなく、互いに会釈したり、笑みを合わし合うだけに留まったが、カオスは普段と同じ調子で意気揚々と大阪土産を仲間達に手渡している。


 そんな中、偽の樹・海は口を開く。


「ごめんなさい。とても大切なことを、黙っていて」

「その姿で謝るのずるいですよ」


 全く関係のない親友の身体で謝るな、と言いたげに、昴の語調は強い。


「でも、じゃあ、環さんが最初の憩ちゃんってことですよね?」


 自分で言っていて、可笑しな文章だと思いながら、乃愛は右隣に座る海と突っ立ったままの飛鳥を交互に見る。


「ええ、その通り。公園で突然消えたのは、環さんの意思ではない。あの時、あの瞬間、過去に連れ去られた」


 深いため息を落として、頭を抱える海はそう呟く。まるで独り言のように、自分に言い聞かせるように。


「本当に、我々は残酷なことをした。満ち足りた平成の世から、戦国の世に・・・。苦労なんて言葉では到底足りない、何重もの苦しみを与えてしまった」

「で、過去へ飛ばされた先で、タニグクという蛙の神に出会ったんだろう?」


 会話に割って入ったのは、新顔の神・コアトルだった。朗々とした口調、鋭い眼光をしたその神は、褐色肌の青年の姿をしている。


 海は黙って頷き、彼の言葉を肯定する。


「ふーん、なるほど。その蛙の神にも会ってみたいな。確実にキーパーソンだ。ああ、未来みらいという名前を名乗っているんだって?その名はイコイが付けたと、そこの神に聞いたよ」


 後半の台詞は人間3人へ向けられたもの。3人は唖然として、海を凝視する。樹の姿を借りた彼女は眉根を寄せ、さらに表情を曇らせた。

 『未来』の名前を彼に与えたのが憩というのは本当のようだ。正しくは、過去へ飛ばされた環だが。


 さすがカオスの友人というべきか、コアトルは物言いがきつく、やや高圧的な印象を受ける神だった。


「どんな思いで、『未来』という名を付けたんだろう。僕などには想像も出来ないな」


 揶揄するコアトルを、隣に座るフレイが諌める。「言い過ぎよ」と。しかし、海は自らの同胞が犯した過ちを我が事として受け入れる覚悟があるらしく、「いえ、悪いのは我々ですから」と、一切の言い訳をしなかった。


「あの、」


 そこで、勇気ある乃愛が挙手をした。視線は海外に住まう神ではなく、飛鳥と海へ。縋るような、疑うような瞳が、せり上がってくる涙で揺らめいている。


「もう、隠し事はないですか?飛鳥君は、百合さんたちから口止めされていたけど、話さなきゃって、重要なことだから私達に伝えなきゃって思ってくれたんだよね?だから朝市君をトキハカシさんが死んだ場所へ連れてってくれたんだよね?」


 けれど、もうこれ以上の隠し事は受け入れられない。乃愛の顔にはそう書いてある。ご尤もだ、と海も思った。彼女達の協力をこれ以上求めるのは酷だし、全方位に傷を広げる結果になりかねない。身勝手この上ない話であるが、この辺りが潮時、百合に相談し、彼女らに涙を呑んでもらった方がいい。


「うん、隠し事はもうない。この件について話したら、あなた達からの協力は得られないと思って控えていた。神の死という不名誉も話さなければならないから。黙っていて、本当にごめんなさい」


 隠し事はもう無いか。乃愛からの問いに、海は正直に答えた。隠していた理由と、心からの謝罪も添えて。話を聞いているカオスたちも、彼女の言葉に虚偽がないことを確認。

 人の良い乃愛はその言葉を信じるつもりのようだが、兄の方はまだ負の感情に囚われている。一方、朝市は飛鳥をじっと見つめていた。朝市は飛鳥の口からも「隠し事はない」とはっきり聞きたいのだ。だから、その言葉を待っている。

 しかし、返ってきたのは同胞の海とは真逆の答えだった。


「隠し事は、あります」


 空気が途端と波打った。海外に住まう神々も興味深げに、人間達のいる方を見やる。


「ま、待ってください!」


 すかさず海が意見する。


「少なくとも、私は聞かされていません。何か他に、あるのですか?」

「はい、憩さんが俺を家族に引き入れた理由について。これは、百合さんも他の神も知らないことです。知っているのは、スサノオとアマテラスだけ」

「な、なぜ我々には教えてくださらないのですか?」

「教えられるわけがない。特に、あなたのように人間ひとりを助けるために電車に轢かれてやるような神には」


 そこで、海の勢いは一気に衰えてしまう。なぜそのようなことを言うのか、なぜそのような顔をするのか、スサノオの真意が読み取れず、口を結ぶ。突き放すような強い口調であるが、飛鳥は今にも泣いてしまいそうなのだ。


 ――飛鳥は、遠い遠いある日を回顧する。

 その日、アマテラスがスサノオのいる村を突然訪ねてきた。会うのは、アマテラスが天岩戸の中へ入っていってしまった時以来だった。


 嫌っているわけではないが、朗らかで明るく人気者のアマテラスとはあまり反りが合わない。後先考えず、相手の事ばかりを考えて突っ走るその性格も好きになれない。あの天岩戸の件も、自身がぽろりと「母に会いたい」とこぼしたのを本気にし、母のいる危険な黄泉へと足を踏み入れた。そういう独りよがりな行動を取るところも、気に食わない。

 一方、スサノオのそんな複雑な気持ちをアマテラスも感じ取り、付かず離れずの距離感で姉弟関係を続けている。


「どのようなご用向きで?」


 ぶっきら棒に用件を催促すると、珍しくアマテラスの面差しに影が落ちる。しかしすぐに元の笑みに戻り、要件を切り出した。


「私とお前だけで、共有したいことがある。他の者には決して、決して口外してはならないぞ」

「ツクヨミは?」

「あいつは地球に来る気がないらしいから、今回は仲間外れにする。それでなくともあいつは私が嫌いなんだ、だから話してやらない」

「考えなしに突っ走るからだ」

「その話はもういい。それにな、この話は、お前にしか出来ないんだ」

「なぜだ」

「スサノオは、自分大好きの我侭者わがままものだからだ。ツクヨミは優しすぎるから駄目なんだ」


 悪口を言われたが、アマテラスの口調はまるで褒めているかのように優しく跳ねている。その声を聞いていると、不思議と反論する気も失せてしまう。


「いいか?これは私とお前の隠し事だ。絶対に守り通せよ」

「分かった分かった、早く話せ」

「あのな、実は――」


 口元に手を添えながら、地獄耳の神にも千里眼の神にも情報通の神にも届かない小声で、彼女はこう囁いた。「人間を、神にする方法があるらしい」と。


「その人間の身体に入り、自死をする。すると、その人間に私たちのすべてが受け継がれるそうだ」


 情報の独占は良くないが、実践されては神々とって大変都合の悪い隠し事であったため、人間と親しくなっても全てを捧げるなど到底しそうにないスサノオにだけ打ち明けたようだ。


「ああ、すっきりした!ずっと誰かに話したくてうずうずしていたんだ!」


 伸びをしながら、我らが最高神は憂いの欠片もない眩しい笑顔を浮かべた。

 明日、アマテラスとスサノオは地球へ下がる。次に会うのはいつの日か分からないが、この隠し事を隠し続けることを互いに誓い、姉弟は別れた。


 遠い遠い日の記憶が、まるで昨日のことのように思い出せる。その時のアマテラスの屈託ない笑みも、弾む声音も、清らかな空気も、華やかな香りも。


 儚くも美しい思い出から現実に飛鳥を引き戻したのは、同居している神の声だった。


「ああ、スサノオ、やっぱり君は()()なんだね」


 声のする方へ顔を向けると、ソファの裏から猫がひょこりと顔を出す。それは、ふくよかな黒い毛を生やした緑の瞳の黒猫・ケトだった。

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