旅の始まり(三)
「――ああうん、そう、大阪に。いや、どこへ行くか分かんないんだけど、たぶん塩田絡み。うん、うん、え、カオスさんたち来てるんだ?また観光?スクランブル交差点?大変だな・・・ああ、うん、ああ、分かった、え?肉まん?あー、うん、分かった、チーズケーキな。はい、了解。じゃあ、また」
昴との電話を終え、座席へと舞い戻ると、飛鳥君は3つ目の駅弁の包装を解き始めていた。以前、飛鳥君はよく食べると塩田が言っていたのを思い出す。
通路側の席に腰掛けて、ペットボトルの蓋に手をかけたところで、右側から謝罪の言葉が届いた。
「すいませんでした、いきなり誘って」
「いや全然。むしろ誘ってくれてありがとう?」
語尾に「?」が付いてしまったが、感謝は本音だ。彼は俺に、俺達に何かを教えようとしてくれているのだ。きっとそれは他の神々が俺達人間に秘密にしていることで、秘密のままにしておきたいことのはずで、それでも飛鳥君は塩田のために仲間を裏切り、こちらの味方になろうとしてくれている。そう言えば、飛鳥君は最初からずっとこちら側に寄り添ってくれているように感じる。
「俺、大阪行ったことないし、こういう機会でもなければ新幹線にも乗れないし、楽しいよ。並びで空席のキャンセルが出てよかったよね、ナイスタイミング」
「昔からそうなんですよ、俺は。とにかく運がいい」
「それはそういう・・・立場だから?」
新幹線の車内はそれなりに話声が目立つ。並びに座り、小声とは言え、”神”だの”スサノオ”だの、たとえ聞こえても真に受ける人間がいるとは思えないが、用心のためにその手の単語は控えた。
スサノオ、つまり高位の神だから幸運が舞い込むのか。人間の拙い質問に、飛鳥君は小首を傾げて唸った。
「どうなんでしょうね、そういう傾向は皆あるみたいですけど。失くした物がすぐ戻ったり、欲しい物が労せず手に入ったり、宝くじが当たったり」
「最高じゃん」
「だから、絹代さんと憩さんとの出会いも、彼女達が俺達姉弟に良くしてくれることも、塩田の家に住めるようになった時も、特段不審に思わなかった。上手くいくのが当たり前になっていた。俺は最初からとにかく幸運だったので。だからきっと、傲慢になっていたんです」
傲慢になって当然だ。なぜなら君は神様だから。むしろそうやって己を顧みて反省する姿勢を持てるなんて謙虚だとさえ思う。
「昴さんはまた彼らの観光案内をしてるんですか?」
「あ、うん、そうみたいだよ。渋谷に行くらしい。モシュネは家業関連で一時帰国していて、変わりにマイアさんとバッカスさん、それから別の領域に住んでいる仲間?が来ているらしいよ。確かコアトルと、フレイとか言うひとだって」
「カオスは顔が広いみたいですね。その点においては俺達は完全に遅れてる。どうしても同じ仲間でつるんでしまうので」
「仲間の数が多いと必然的にそうなる、仕方ないことだってカオスさんが言ってたよ。自分達は数が少ないから他で友達や話し相手を探すしかないんだって。仲間が多いのが羨ましいって」
「へえ、そんなことを言っていたんですか」
「うん」
「それなら、イザナギとイザナミのおかげですね」
あの頃を懐かしむような、もう会えない誰かを惜しむような口調に誘われ、窺い見る横顔は、口元は微笑みを作っているが眼差しはとにかく寂しそうで、悲しそうで、こちらが居たたまれなくなってすぐ目を逸らした。見てはいけないものを見た気分だった。
「あー、風香ちゃんと千叶ちゃんは、最近どう?」
「普通に元気ですよ、相変わらず騒がしいです」
取って付けたような話題にも、隣にいる優しい神様はきちんと応じてくれる。
「すっかり佐藤さんとも仲良くなって、お菓子を一緒によく作ってますよ」
「へえ、やっぱり佐藤さんお菓子作るの上手なんだ。お店持ってるくらいだもんね」
「あのお店、憩さんの出資で始めたんだそうです」
「えっ、そうなんだ」
「稼いだ金や資産価値のある品物を次の自分へ。そうやって繋いでいたら、かなり財産が築けたようで、佐藤さんは財産管理も兼ねているみたいです」
「絶対横領しない金庫番だ」
「はは、確かに。あのひとは横領しないでしょうね」
「でも、なんで喫茶店なんだろう」
「憩さんが、甘い物が好きだからでしょ。いつでも、彼女に甘い物を届けられるように」
「そのためだけに、佐藤さんはケーキを作ってる?」
「はい、憩さんのためだけに作っている」
だから彼の作るケーキは、いつもとびきり美味しくて、甘いのだろう。
「三上栞の時代から手作りし始めたみたいですよ」
「三上栞?」
「橋本優子の次の人生です」
初めて知った事実だった。俺達ではどうやっても見つけ出せないピースがまたひとつ嵌まった。
同じ場所を目指して走る密室の中にいると、いつも以上に相手に親近感が湧いて、普段なら掘り下げない話も、聞きにくいこともなぜか聞いてしまえる。目と目も合わせないのに、肩が触れそうなほど近い距離のせいだろうか。
「三上栞さんは、どんな人生だった?」
「性格は明るく快活で、友人もたくさんの人気者。その上、成績優秀で有名大学を首席卒業し、新聞社へ就職。家族仲もとても良かったようですね」
「塩田っぽいね。年齢を逆算すると、確か、24歳くらいで亡くなってるはず」
「ええ。取材先のビルの非常階段から落ちて」
「・・・自殺?」
「でしょうね。家族は自殺を否定し、事件だと訴えていたようですが」
「そっか」
「憩さんの場合、『死』は、俺達が想像するよりポジティブなものだったのかもしれません」
死がポジティブなもの。それにはさすがに同意しかねて黙り込む。飛鳥君はこちらに構わず話を続けた。
「初めからそうだったわけじゃないと思います。期待と絶望が入り混じる覚悟のいる行為だったはずです。でも、憩さんにとって『死』は、次の自分になるための作業で、終わりじゃない。まるで、蛇が脱皮するみたいに、必要な作業だった」
「俺は死ぬことをそんな風に思えないな。きっと怖いし、絶対苦しい。そりゃ何度か体験したら、慣れてしまうのかもしれないけど」
ご存じの通り、俺は一度も死んだことがない。たぶん一度しか死なないし、何回も死にたくない。自分で選択してそういう事態になっているならまだしも、塩田の場合は強制されている。蛇の脱皮に擬えるのは少し不快に感じた。 けれど飛鳥君は主張を変えない。
「でもきっと、憩さんは自分の命を使って、上手く世を渡ってきたんだと思います。自分のために」
「そんな塩田を見て、佐藤さんはどう思っていたんだろう。そばにいて、甘い物作ってただけ?手助けとかしてくれていたのかな」
「それなりにしていたんじゃないですか」
「まあ、それでも、やっぱり許せないよね」
「そうですね」
そこで途切れた会話が再開されたのは、車内に目的地のアナウンスが流れ始めた頃。
所持品は財布とスマホの軽装だ、荷物を抱えた乗客よりも早く通路を抜け、腰を摩りながらホームに降りる。いくら快適な新幹線と言っても乗り慣れない身体には少々堪えた。
車内で調べていたのか、飛鳥君は「たぶんあっちです」と乗り換えルートをスムーズに案内してくれた。彼の後ろをただ付いて歩き、在来線に乗り、数駅揺られ、「ここで降ります」と指示された駅で下車。もちろん初めて降り立ったそこは、ベッドタウンという印象を受ける穏やかな雰囲気の駅で、周辺にスーパーマーケットやコインランドリーがあったりと暮らすには丁度良さそうな場所だった。
どこへ向かっているのかこの時まで知らされず、かと言ってどこへ行くのかと聞くのも野暮な気がして、敢えて黙って飛鳥君の背を追っているが、神社の鳥居が目視できた途端ドキリとした。もしかして、あの神社に何かあるのか。一歩、また一歩進むたびに高鳴る鼓動。ごくんと唾を飲む。もうすぐだ、もう目の前に神社の鳥居が見える。
しかし、飛鳥君の足は止まらない。
「あれっ」
「はい?」
「いや、あの、その、なんでもない」
「そうですか。あと少しです」
神=神社という人間丸出しの予想が外れ、気恥ずかしさが込み上げる。(いやでも俺のこの予想は平均的だと思う。)
あと少し、の言葉通り、神社から数分歩いたところで飛鳥君は足を止めた。
「え、ここ?」
「はい」
「えっと、ただの道なんだけど」
俺達が今立っているのは、ただの歩道の上。右手に川が流れ、春になれば桜が咲いて人々がお花見がてら散歩に来るだろう長閑で、どこの都道府県にもありそうな風景。何の変哲もないこの場所に、一体何があると言うのか。
彼の視線は、川の方へ向かっているが、焦点は定まらず、”だいたいの場所”や”あの辺り”を見ているよう。
おもむろに右手を川へ伸ばすと、飛鳥君は驚きの言葉をさらりと言った。
「あの辺りで、数百年前、とある神が自死しました」
あの辺りが、神が自死した場所。飛鳥君が指差し場所はただの川で、特別な部分などなくて、たとえば囲いがされているとか、大樹が生えているとか、神秘的な空気を放っているとか、そんな類の例外は少しもなくて、誰も目に留めないし気にしないただの”あの辺り”だった。俺はまず、そこに驚いたのだ。
「も、もっと、仰々しく、こう例えば、大きい木が生えたり、神社を建てたりするものなのかと思っていたから、驚いた」
俺の素直な感想に、なぜか飛鳥君は微笑した。
「そうですか、そうですよね。俺もそう思います。薄情なものですよね、神って。墓も作らないんだから」
「そういうものなんだ?」
「神の死は、きっと不名誉なことなんでしょう。だから、無かったことしたい。それに、ここで死んだのは、憩さんの一件に関わっていた神だったから尚のこと」
「えっ」
「百合さんから、憩さん関連で自死した神が3柱いるって聞きましたよね」
「あ、ああ、うん」
「フトダマ、タヂカラオ、トキハカシ。自死したのは、この3柱の神です。ここで死んだのは、トキハカシ」
無意識の内に唾を飲み込む。ああ、また知らないことを知らなくてはならないのだと、鼓動は早まり、胃の辺りがぎゅっと痛む。
こちらの緊張が伝播してしまったのか、表情も身体も強張っているように見えたが、彼の口は次の言葉を紡いでいく。それは環さんと塩田を繋ぐ物語で、塩田の神への復讐が正当であることを証明するに十分な内容だった。
彼の話が一段落着いた頃、放心していると後ろから突如、幼い声がした。「ああ、そういうことか」と。びっくり仰天して飛び退くように振り返ると、ゆらり、ゆらりと揺れる玉虫色した謎の空間から、カオスが顔を覗かせている。一見してみると、顔だけが宙に浮いているようで、心臓に悪い光景だ。
カオスの突然の登場に縮み上がる俺とは対照に、飛鳥君は眉一つ動かさず平常。もしかしたら、カオスが盗み聞きしているのを気付いていたのか。気付いていて、話を聞かせたのか。
「スサノオ、君たちは本当に残酷なことをしたものだ。それだけの数の神がいながら、人間ひとりに惑わされ、人間ひとりも救えない。仲間が多ければいいというものでもないのかもしれないな」
嫌味を吐きながら、口角をぐいっと上げ、カオスはまるで嘲笑しているかのような笑みを作る。それでも、飛鳥君の表情は動かない。




