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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅳ章 結

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第四十話 ありもしない希望

「山田君、僕は人間のために、人間になることしたよ」


 自身の醜い姿を嫌い、人間から隠れるように暮らし、神とも距離を置いていたカエルの神・タニグクは、親友の神・山田にそう宣言した。


 タニグクは神が嫌いで、人間も嫌い。何事にも消極的で、悲観的、やや皮肉屋。いつも自信が無さげで、「僕なんて」と地面を見つめてしまうような、神らしくない神だった。

 人間の身体に宿るなど論外で、いつもジメジメした岩場や田んぼを好み、地球上にいるカエルを始めとする爬虫類の繁栄に手を貸して日々を過ごす変わり者。


 そんなタニグクが珍しく会いに来たかと思えば、らしくない台詞を堂々と吐くので、山田は目をまん丸くし、持っていた団子を落としてしまった。

 慌てて事情を訊ねる山田に、小さい口を開閉して、「僕より可哀想な存在を見つけた。だから、彼女の力になろうと思う」と、言うではないか。その人間はどこの誰で、どういった事情を抱えているのか、どうやって力になろうと言うのか。細かいことは一切語らず、引き留める山田の声を無視し、小さな彼は霧の中へ消えていった。


 それから幾度か、人間の身体に宿ったタニグク改め佐藤未来と会ったが、彼は『力になりたい人間』について語らなかった。訊ねても、曖昧に笑って誤魔化すだけ。昔からタニグクは、自分が知りたいことは無遠慮に聞いてくるくせに、自身の話となると探らせないよう被害者ぶり、配慮を求める雰囲気を出す。その時もいかにも” 自分は可哀想です”といった顔をしていた。


 さすがに『力になりたい人間』が死んだであろう時代に改めて訊ねるが、やはり佐藤は困ったように眉根を寄せ、全身から可哀想オーラを出していた。ああ、死んだのだなと察して、口を閉じた。

 人間嫌いだった奴が人間を助けたいと言い出したから気になっただけだ、もうこれ以上この話題を掘り起こしても得にならない。力になりたい、と言っても、きっと不遇な人間を目の当たりにし、放っておけず何かしらの手伝いをしてやった程度だろう。それに、山田もかつて人間の妻がいた経験があるから無作法に踏み込まれたくない気持ちも理解できる。山田の妻が死に、喪失感と絶望で嘆き悲しんだ時期を、付かず離れずの距離でそっと見守り支えてくれた恩もある。


 親友だが、昔と違って顔を合わせるのは数年に一度程度。長い時は数十年も会わずにいた。それでも、風の噂で人間と共に暮らしていると聞いた際は陰ながら喜んだものだ。特別な者との別離の傷が少しは癒え、以前のタニグクに戻ることなく、人間と交わりながら日々を過ごしているのだと。


 まさか、イザナギに呪われた人間と、繰り返し人生を共にしているなんて、夢にも思わなかった。イザナギが人間を呪った一件は知っていたが、アマテラスやその側近たちが解決したのだとばかり。

 誰かが解決した、誰かがそう言った、そんな他者任せの結果がこれだ。何事も自分事として、主体性を持って取り組まなければいけない、山田のみならず多くの神はそう痛感した。


 新宿が営むブーランジェリーのガラスケースに、慣れた様子でケーキを収めていく手元を眺めながら山田はこれまでを回顧していた。

 最後の一つ、人気のプリンを置いたところで、佐藤は呟く。


「――憩さんになんて言われたの?」

「お前じゃないよな?」

「僕じゃないです」

「なんだ、何を言われたか見当が付いているじゃないか」

「で、何を言われたの」

「相変わらず、自分の聞きたいことは無遠慮に聞いてくるんだな」

「ごめん」


 心の籠らない謝罪だった。悪いと思っていないのだろう。


「憩さんから聞いてないのか?」

「なにも。彼女は昔から僕に何も言わない。何も教えてくれない。記憶を無くしてもそういうところは変わらないよ」

「全く変わらないってことはないだろう?」

「味覚が子供っぽくなった、利き手が左になった。あとは少し抜けてるくらいですかね、今までが優秀過ぎたから。今も優秀ではあるんだけど」

「もう一度、涙を呑ませてみるってのはどうだ」

「それ、ケトさんが勝手にやっちゃったんだ、一カ月くらい前かな」

「どうだった」


 ショーケースを挟んで向かい合う両名の視線がそこでようやく合った。一歩前へ出て、答えを催促するように睨みを利かせる山田に対し、微笑を浮かべて首を横へ振る佐藤。「変化はなかった」と、返されて、山田は思わず天を仰いだ。


「どうなってるんだ。神の涙を二度飲んでも神のことを忘れないなんて。それほどオモイカネの残存している力が強いのか。それとも、彼女の執念か?」

「神の力を与えられて、あれほど長い間生きている人間なんていないからね。前例がないから判断できない」

「そもそも記憶を残したまま生まれ変わってしまったことが一番まずかったな。それさえなければ、憩さん本人も自身の置かれた状況に気付けなかったはずだ。オモイカネも、まさか自分の力がここまで事態をややこしくするとは思っていないだろうな」

「思っていないだろうね」

「刑務所内で死んで出てくればいいのにな。律儀というか、昔と変わらず杓子定規な方だ」

「自分が死ねば、悲しむ人間がいるからでしょう。再審請求をしたいと憩さんの事務所へ訪れているみたい」

「人間のために人間を殺した神、か。オモイカネの弁護をしたのが憩さんの上司だなんて、偶然とは到底思えない。お前、いつから知っていた?」

「最近だよ。オモイカネが吉岡よしおか久美くみという人間だったことすら知らなかった」

「・・・弁護の際、上司のサポートとしてオモイカネと面会している可能性は十分ある。オモイカネは自身の過去の行いから憩さんの味方をし、我々の情報を流しているかもしれない」

「容疑者はオモイカネですか」


 佐藤は他人事のように言うが、おそらく憩の協力者を知っている。知っていなければ可笑しな話だし、本当に知らないのならそれはそれで恐ろしい。


 憩の対処について次の一手はどうするべきか、山田が黙想していると、店外から慌ただしい足音が聞こえ始めた。かと思えば、CLOSEの看板がぶら下がっているはずの店の戸が勢いよく開き、息を切らせた新宿が飛び入ってきた。そして開口一番、「大変だよ!」と叫ぶ。


「火事!近くの焼き鳥屋が火事起こしたっぽい!NPOの、なんだっけ、ああ、『bookmark』が入居してるビルだよ!」


 肩で息をして、ボリュームのあるくせ毛がふわふわ揺れている。新宿のその言葉に、佐藤と山田は自然と視線を合わせ、ほぼ同時に新宿の店を飛び出した。一拍遅れ、新宿も彼らに続いた。


 走りながら、山田は斜め後ろの新宿に叫ぶ。


「新宿、お前、水神だろう!何とかしろ!」

「いやね!?何度も言うけど、僕は水神ではなく、水の分配担っているわけで!」

「近くに小さな川があります、そこから引っ張って来てください」

「え~!?」


 佐藤の提案に難色を示しつつも従うようで、新宿は近くの小川へ向かって走り出した。


 人間の営みに口も手も出さない。そう言いつつ、目に付いた火の粉くらいは払ってやろうと結局は行動してしまう。しかしあくまで目に付く範囲、らしい。この程度の災難などこの世には履いて捨てるほど発生しているし、もっと深刻で被害甚大な事件もあるがそちらは無視を決め込んでいるのだから。


 NPO法人『bookmark』が入居するビルの近くまで来ると、煙の臭いが鼻をついた。それなりに火災の範囲は大きいようで、近づくにつれ野次馬の数と騒々しさが増していく。まだ消防車は来ていないようだ。初期段階で新宿は火災に勘付いたのだろう。


 5階建てビルの1階は現在空き物件、2階に件の焼き鳥屋があり、3階は会社のオフィス、4階と最上階に『bookmark』が入居している。

 2階窓枠から煙が這い出るのが見えた。次の瞬間には窓ガラスが割れ、黒い煙が噴き出し、周囲から悲鳴が上がる。揺らめく炎も確認できる。 黒い前掛けをした焼き鳥屋の従業員らしき2名が呆然と立ち尽くし、それらの光景を見上げている。


 佐藤は周囲を見回す。今日は日曜日だ、3階のオフィスに人はおそらくいない。焼き鳥屋の従業員はここにいて逃げおおせているのなら、被害者はプライベートを投げ捨ててあのビルに寝泊まり仕事に打ち込む松下まつした美紀みきだけだ。もしかしたら関係者や支援者もいるかもしれない。とにかく、この付近に松下美紀の姿はない。


 表口にはエレベータしか上階に上がる手立てがない。裏にある非常階段へ回り、鉄骨階段の一段目に足を掛けたところで、佐藤の頬に水滴が落ちた。空模様はやや晴れだが、その水滴は数をあっという間に増やしてざあざあと降り注ぎ、辺りを濡らしていく。


 しかし木と土で出来た昔の家と違って、現代の建築物は上から水をかけてもすぐに鎮火しないのだ。室内の火元を鎮火させなければならないが、彼らが出来るのはここまで、とりあえずの応急処置だ。内部にいるかもしれない人間を救出できさえすればいい。


 そこで、カンカンカン、カン、テンポよく駆け上がっていた足音がふと止まる。もうすぐ4階の非常ドアが見える、というところで、そのドアが勢いよく開いたのだ。正しく表現するなら、『ドアが開いた』ではなく『ドアが吹っ飛んだ』である。宙を舞ったアルミ製のドアは次の瞬間には地面に叩きつけられ、ガシャーン、けたたましい騒音を立てている。


 一瞬、バックドラフトが起こってドアが吹っ飛んだかと佐藤と山田は身構えたが、濁った煙の中から人影が現れたのを見て、その人物が単にドアを蹴破っただけだと思い至る。いや、それはそれで身構える事案である。なぜなら人影は3人とも女性で、内2人は煙を吸ってしまったのか足元もおぼつかない状態、そんな2人を両肩で軽々支えて現れたるはセーラー服を纏った可憐な女子高生。状況的に女子高生の彼女がドアを吹っ飛ばすほどの威力で蹴破ったわけだが、あの細い脚でそれが出来るようにはとても見えない。


 女子高生が佐藤、山田に気付いた。彼女は驚いた顔をし、自身より背の高い松下美紀と、もう一人の女性を担ぎ直しながら叫んだ。


「もしかして、山田!?」


 名を呼ばれ、今度は山田が驚く番である。しかも呼び捨てにされた。見ず知らずの女子高生に。彼女も山田無量のファンで、山田の顔を知っていたのか。それとも、


「あたし、あたし!タケミカヅチ!」


 あの人懐こい笑顔と周囲を憚らずに正体を明かす奔放さは間違いなく”タケミカヅチ”だ。成人女性2人を軽々抱え、アルミ製のドアを軽々吹っ飛ばせるのも納得である。


「やー、近くで友達と遊んでたら火事見つけちゃって!人の気配があったら入ってみたら2人逃げ遅れてて!よかったよ間に合って~」

「分かったからとりあえず黙ってくれ、人前だから」

「2人ともほぼ意識ないよ。ほら」

「揺さぶるな!」


 山田の注意など意に介さず、状況に相応しくないニコニコ笑顔のタケミカヅチから人間2人を回収し、佐藤は急いで階段を駆け下りる。背後ではまだ2柱が「人間ってそんな簡単に死なないよ」「いや簡単に死ぬだろ」「簡単に死ぬならこんな繁栄しないって。てかそっち誰?」「佐藤」「ああ!佐藤か!よかった!普通の人間だったらどうしようかと思ったー」などと掛け合っている。


 見た目は可憐な女子高校生・タケミカヅチの言う通り、人間2人の意識は遠く、声を掛けてもはっきりとした返事は返らない。唸り声に近い、寝言のような応答だ。


「め、けむり、めが」


 煙をいくらか吸ってしまったのか、蚊のなくような声で、松下美紀はそう絞り出す。佐藤は松下のその訴えの意味を理解しているが、山田にも伝わったらしい。


「煙は目に悪いからな。特に、移植した目には」


 そう言う山田に、「そうだね」とだけ、佐藤は返した。

 建物正面へ戻ると、先ほどより野次馬が増えていた。警官もいる。佐藤達の姿を見つけると、野次馬がわっと歓声を上げ、どこからともなく拍手が沸き上がった。遠くから救急車のサイレン音もする。


 警察から状況を聞かれ、建物内にもう人はいないと手短に伝える。タケミカヅチが見落とすわけがない。


 救急車が到着し、女性2人は担架に乗せられ、車体に飲み込まれていく。その際、佐藤は松下を担当する救急救命士に既往歴を伝える。「この方は子供の頃に角膜の移植手術を受けています」と。救命士は感謝を述べ、バックドアを閉じた。


「もう一人の女の子も大丈夫だと思うよ。救急車の中で自分の名前言えてた」


 タケミカヅチの言う”もう一人女の子”が乗った救急車を見送ってから、人混みに紛れてその場を後にする。本当は警察から詳細を聞きたいから残ってくれと言われたが、無駄なことに時間を取られたくない面々は華麗に無視を決め込み、ブーランジェリー『トチノミ』に引き返す。

 ちなみに、こういう場面に山田の能力は最大限に役立つ。気配を消したり、何かに擬態したり、紛れ込むことに長けている。山田の性格と能力がかみ合っていないように思うが、これは”神あるある”のようなものだ。生まれ持つ力とその性格が必ずしも似合っているとは限らない。これも人間と同じだ。

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