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君の手のひらで踊りたい。  作者: 田邑綾馬
第Ⅳ章 結

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ありもしない希望(二)

「で、いつからこっちに?あなたは高天の原へ戻られていたと聞いたが?」


 山田がそう訊ねると、口角をくいっと上げて彼女は答える。


「最近だよ。50年前くらいかな。あっちは相変わらずつまらないから戻ってきた。みんな全然戻ってこないしさぁ、タカミムスヒもカミムスヒも言ってたよ、地球に行くとみんなも戻らない、行かせたくないって。はは、私達にとって地球は都会だね」

「そりゃそうだ、あんな刺激もへったくれもない場所にいるより地球の方が100倍面白い」

「そう言えるのは高天の原が比較的平穏だからでしょう。ケトさんに聞きましたが、他の域はそれなりに荒れているそうですよ」


 カオスたち、山田たち、ケトたち、それ以外の神々が住むエリアは明確に区分けされ、往来おうらいはおろかコンタクトすら取れない。互いの居住エリアの間に途方もない距離があるのも理由の一つだが、透明の壁でも存在するかのように仕切られているのだ。それでも関わりを持ちたいなら生まれ故郷を出て、これまた遠く離れた場所へ行くしかない。たとえばここ、地球とか。


「ああそうだ、山田たちは知らないかもだけど、新しい生命体が産まれた星があるよ。人間と呼ぶにはまだ程遠いけど、いずれは地球と似たような惑星になると思う。楽しみだね!」

「へえ、そうなのか。そういや、他にも地球と似た惑星があるって聞いたが、あれはどうなったんだ」

「ああ、あれならとっくに隕石がぶつかって滅んだよ。その点、この地球は何もかものバランスがいい!太陽と月、水や海、オゾン層!これだけ整った環境はそうそうないよ!なくなって欲しくないな~」

「なくなるみたいな言い方やめてくださいよ」


 佐藤が感情の籠っていない口調で言うと、彼女は変わらぬ笑顔のままこう言った。


「件の塩田憩が、地球を滅ぼしたがっていると聞いたよ?」


 あまりにはっきり、明け透けに、忖度なく発言するので、佐藤と山田は無意識に顔を見合わせる。タケミカヅチのこういうさっぱりした所は相変わらずだな、と山田は思った。佐藤がどう思ったか知らないが、今度は感情の籠った声で反論した。


「彼女はそんなことしませんよ」

「分かんないじゃん。佐藤、本当は彼女の目的を具体的には知らないんじゃないの?目的を果たすために神の涙を呑むのは必要な行動だった。だけど、その行動は佐藤的には予想外だった。その一点だけでも、佐藤が考えていた塩田憩の目的と、本当の目的が一致していない証明じゃん。認めなよ」

「だからと言って地球を滅亡させるなんて、有り得ません」

「滅ぼす方法は置いておくとして、彼女の気持ちは理解できるよ。神も憎いが人間も憎い。そういうことでしょ。だって、そもそもは人間が悪いんだから。――ああ、それとも呪いを受けてイザナミの気持ちとシンクロして、イザナギの願いを叶えてあげようとしているのかな?イザナギは人間を根絶やしにしたくて呪ったわけだから。憩さんはその願いを叶えてあげる決意をした、だからイザナギの呪いも軽減し、200年程度でほぼ解呪された。だって普通に考えて、イザナギクラスの本気の呪いが200年程度で消えてなくなるはずないもん」


 考察を披露するタケミカヅチの言う通り、憩に集約された呪いは200年程度でほぼ消滅した。以降、彼女が呪い死にすることはなくなり、生贄としてのその責務を終え、ただ生まれ変わりを繰り返すだけの人間になった。しかし役目を終えてなお、佐藤は憩に涙を呑ませて解放しようとはしなかった。繰り返し産まれ、繰り返し死ぬ苦しみから解放する術を持ちながら、ずっとそばにい続けた。


「まあ、私はアンチイザナギだし、憩には同情する」と、付け加えたところで、消火活動に一役買った新宿ミクマリと合流。

 そこで一度、憩の話題からは離れ、久々の再会に会話はそれなり弾んだ。


「わー!ミクマリ!?久々だねえ!元気してた?」

「えっ、まさか、タケミちゃん!?」

「そうだよ、JKしてるんだ~」

「似合ってる!あ、タケミちゃん、蛍君にはもう会った?今、彼は警察官してるんだよ」

「風の噂で聞いてる。あ!今度、佐藤の店で集まろうよ!喫茶店やってるんでしょ?パンケーキ食べたーい!」

「集会は禁止されてるぞ」


 水を差してくる山田にもめげず、タケミカヅチは「非推奨なだけでしょ!」と空に向かって叫び、新宿と騒がしい会話を続けていく。彼女はいつだって自由奔放だ。


 騒がしい仲間達の背中を眺めながら、山田は隣にいる静かな親友に質問を投げかける。


「イザナギの呪いと憩さんが融合した、か。一理あるな。どう思う?」

「彼女の生き様をみて、イザナギは人間を許すことにした。そう考えることは出来ない?」

「お前がそう思うならそうかもしれない。でも、違うかもしれない。結局、一番近くにいたはずのお前でさえ、彼女の目的を見抜けなかったんだから」


 その通りであるから、佐藤に返す言葉はない。長らくそばにいた佐藤ですら、憩の本心や真の目的は詳らかには出来なかったのだ、謎を解こうと息巻いたところで今さら意味がないと、山田の声音には諦めが滲み出ている。


 そして、さらに問いを続ける。今回は、前髪に隠れがちな佐藤の目をしっかりと見つめて。


「お前じゃないよな?」

「なにが」

「憩さんに、妻の話をしたか?」

「いいえ」

「――そうか。嘘は吐いてないな」

「当たり前だよ。僕は本当に、彼女に神だと名乗り出たことはないし、従ってあなた達の話も出来ない。やっぱり、憩さんに言われたのはナイさんのことだったんだね」


 山田の妻の名は「ナイ」と言うらしい。

 浅く頷きながら肯定し、山田は続ける。


「”もう一度、奥さんに会いたくないですか”、そう言われた」

「それは怖い」

「お前がそれを言うか。そんな人間と500年近く一緒にいたくせに」

「でもナイさんのことを一体どこから・・・。それに”会いたくないか”とはどういう意味ですかね。まるでもう一度会わせることが出来るような言い回しだ」

「お前が分からないなら誰も分からないな。死人を蘇らせることが可能なら、それこそ神だ。長く生きすぎて、彼女自身に神力でも宿っていたりしてな」

「もし、蘇らせることが出来るなら、願い出る?」


 無意識に歩みが止まるほど、佐藤の問いかけは魅力的だった。

 死んだ妻にもう一度会える。蘇らせる。また共に生きていける。なんて甘美で、心惹かれる話だろう。まるで蜃気楼だ。幻だと分かっていても、残りの力を振り絞って近づいていってしまいそう。


 もし、憩にそんな芸当が可能なら、自分は迷わず願い出て、妻を取り戻そうとするだろう。そしてその見返りに憩の仲間となり、彼女の目的達成ため協力するだろう。

 ――これは妄想だ。ありもしない可能性だ。彼女は誰かから入手した妻の話を利用し、自分を惑わせただけに過ぎない。神を弄びたかっただけだ。


 ありもしない話を打ち消して、山田は親友の顔を再び見る。変わらず佐藤の表情は無に近く、その能面顔を見ていると、なぜか口角は自然と上がっていった。しかしその眼差しはとても寂し気だ。


「人間が、ありもしない可能性に縋る理由がようやく理解できたよ」

「そう」

「憩さんはこちらの動揺を楽しんでいるんだろう。まあ、それくらいは許す」

「おや、随分と優しい」

「たとえそれが嘘でも幻でも、”もしも”を想像したここ数日間、気分は悪くなかった。むしろ楽しくさえあった。その礼だよ」

「山田君、人は、それを希望と言うんだよ。ありもしない可能性を心の支えにして、人は苦しい世を生きていくんだ」


 人間でもないくせに随分知った風な口を利くが、佐藤はどの神よりも人間と混じって生きてきた。人間と同じスピードで老い、労働し、同じ家で同じ物を食べ、そして死んできた。憩と一緒に、だ。


 あんなにも人間も神も嫌いで、なれ合いを避けてきたあのタニグクが、あまりにも可哀想なひとりの人間と出会い、自身も人間になると覚悟を決め、500年もの間その思いを貫いてきた。あいつは、タニグクは、ここまで変わった。それなら、タニグクを変えた者の死と共に、その命が永遠に消えてしまうのを誰が非難できようか。親友の自分でも、その選択を止められない。


 山田の心は、この時ようやく風のない海のように穏やかな模様に落ち着いた。しかし、佐藤の次の台詞に、心は再び荒れ、大波が作られていく。


「今の時代なら、ナイさんの目は眼鏡があれば補えるだろうね。治療もできるかも。彼女の場合は弱視だったから」

「――ああ、そうだな」


 季節はもうすぐ秋。

 神の頬を、木枯らしが撫でた。

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