立てるなら立て。呼吸を揃えて
戦いは、滑り台の上から転げ落ちるみたいに一方的になっていた。
本来の身体能力も格闘の技も、ワード=ザルガのほうが数段上。エステバンは「致命傷」を自分の異能で帳消しにして“引き分け”を装ってきたが、その手口を見切ったザルガは、わざと急所を外すフェイントへ切り替えた。致命傷は与えない。代わりに確実に削る。呼吸、脚、握力、そして集中。
肋に正確な当身。胸元には浅いがいやらしい引っ掻き傷――血が滲み、汗に混じって視界がかすむ。背の「衝棘脈」が瞬間膨張すると、空気ごと叩きつける衝撃波が走り、エステバンの身体は地面を数度跳ねた。立ち上がるたび、衝撃波を盾縦のよう使い拒まれては姿勢が崩れ、踏み直した一拍を狙って微細な放電が肌を刺す。棘の起こす衝撃が空気を裂き、帯電した稲妻が指先に噛みつくのだ。
疲労、出血、そして叩きつけの目眩――ほんの一瞬、意識が白む。
……砂の匂い。ざわめき。
訓練場のグラウンドで、まぶしさの中に顔が覗き込んだ。最初に映ったのは、ステルンの涼しい目だ。どうやらリワンとの組手で投げられ、打ちどころが悪く気絶していたらしい。ステルンの膝枕。ひやりとした手が額に触れる。
「目、開いた? 王子様のお目覚めはこれくらいで十分でしょ」
エステバンは口角を上げた。
「キス付きならもっと早く起きるんだけどな」
「馬鹿言ってないで起き上がる。動けるなら立ちなさい、ほら」
渋々身を起こすと、世界が少し回った。
「どれくらい落ちてた?」
「五分。戦場なら百回は終わってる時間」
「平気、平気、勇者は何度でもコンティニューだ。だって、三日でよみがえった聖人もいるだろ」
「聖人と勇者は別物。都合よく混ぜない」
「似たようなもんさ」
二人がそんな調子でやり取りしていると、教官の笛が鳴った。訓練中の私語という名目で、グラウンド三十周の罰走。ステルンは眉をしかめ、エステバンは笑って肩をすくめた。足が重くても、並んで走れば呼吸は揃う。そんな記憶。
――そこで、視界が現在へ引き戻される。
(やっべ……どのくらい落ちてた?)
転がった姿勢のまま、周囲を一瞥。ザルガは追撃せず、次の脈動のタイミングを待つように、棘の角度だけが微かに変わる。(止まってるってことは――瞬き一つ分だな)
エステバンは膝下に力を集め、砂を払って立つ。肺がきしむ。笑みだけは崩さない。
(このままじゃ、持久戦の俎板だ。致命傷を狙えば外し、隙を作らせない。なら、隙を“作られる側”の習性を逆手に取るしかない)
ザルガの攻撃は三拍子で来る。棘の膨張→反発→追い打ちの擦過。膨張の直前、背部の薄膜がわずかに震える。そこが“チャンス”だ。あの一拍を潰す。
エステバンはわざと膝を笑わせ、肩で呼吸をし、出血の滴りを視線で追わせる。弱り始めた獲物を演じる。――いや、半分は演技じゃない。
(頼むぜエステバン、ステルンにもあの時、言われたろ立ってさ、今は寝れる場合じゃないんだ)
ザルガの棘先がふっと開く。来る。
(今だ。)
衝撃を使った反発盾の見えない壁が張られる前、床に踵を刻んで踏み切る。衝撃波の芯に身体を滑り込ませ、ベクトルの横を抜く。肋が悲鳴を上げるのを無視して、一歩、さらに半歩。拳ではない。足首、肘、肩、体幹。全身を一本の杭にして、ザルガの背へ――膨張直前の棘根に触れるように体重を落とす。
鈍い反撥が全身を逆流し、視界がまた滲んだ。確かに届いた感触はあった。だが破砕には至らない。ザルガは即座に身を捻り、刃のような前腕でエステバンの頬を浅く裂く。血が飛ぶ。砂が甘い匂いに変わる。
(足りない。あと一拍、深く)
ザルガの瞳孔が細くなる。学習が速い。次はフェイントを混ぜず、間合いの外から一気に押し潰してくるだろう。エステバンは舌で血を拭い、笑いをもう少しだけ大袈裟にした。
「どうした、そろそろ“本気で殺す”のはやめたのか?」
ザルガは返事の代わりに殺気で返してきた、動向を見開き背の棘が花火のように膨張した。空気が鳴る。エステバンは右足の親指で砂に小さな溝を切る。罰走三十周の足取り。あのとき覚えた、苦しいペースを一つ落とす勇気――息を奪われる直前に一拍遅らせる。それが、今の彼に残された唯一の選択だ。
衝棘脈が爆ぜ、衝撃が押し寄せる。
エステバンは、崩れるでも、真っ向から抗うでもなく、半身で受け流した。刹那、衝撃波が鼻先をかすめた。そして衝撃波を放った直後にできる、ほんの少しのインターバル。そこに、全てを預ける。
足裏が地を捉え、身体が線になる。肘が短く跳ね、肩が回り、拳が――いや、拳だけではない。彼は己の意志を信念を魂を誇りをその他、体に詰まった己を形成する全ての力をぶつけ。届かせることはできる、生身の手で、放った全力の一撃が大気を切り裂く。
ぱき、と乾いた音がした。
エステバンの一撃を躱すために身をひねったザルガの背中に生えていた刺にエステバンの拳がめり込んだ。
ザルガの棘が一本、根本でわずかに折れた。叫びにもならない呼気。次の瞬間、視界が白く飛ぶ。至近距離の衝撃波の反発が炸裂し、弾かれたエステバンの背中が地面を滑った。
星が散るような痛みの向こうで、エステバン、彼は薄く笑った。
(手はある。間に合うかは別として――まだ、チャンスは作れる)
口の端から血を垂らしたまま、エステバンは上体を起こす。
目の奥に、昔日のグラウンドがよぎる。並んで走った背中。涼しい声。
――立てるなら立て。呼吸を揃えて、次の一歩。
彼は立った。敗北は目の前に横たわっている。だが、そこへ踏み板を掛ける方法を、今まさに自分で作っている。ザルガの棘がまた脈打つ。エステバンは笑みを細くし、足を半歩、前へ。
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