第5話 北政所視点
殿下がこの世を去られてから、
わらわの胸の奥には、冷たい風が吹き込むようになった。
その風を和らげてくれるのは、
幼い秀頼と――そして、金吾の顔じゃ。
金吾は兄・家定の子。
血の繋がりは確かにある。
長浜の頃から、わらわが抱き、育て、叱り、笑わせてきた子。
秀頼は側室の子ゆえ、
わらわにとって“我が子のような存在”は、むしろ金吾の方かもしれぬ。
だが、それを表に出すわけにはいかぬ。
秀頼は豊臣家の嫡子。
金吾は殿下の甥であり、小早川家の当主。
わらわが金吾を贔屓すれば、
治部は眉をひそめ、
内府殿は笑い、
家中はざわつく。
ゆえに、金吾を可愛がる時は、
いつも胸の奥に蓋をしておる。
金吾は、のんびりした子じゃ。
泰然として、焦ることを知らぬ。
徳川と石田が争おうが、
家中が三つに割れようが、
まるで春の陽だまりのように穏やかでおる。
「北政所様、庭の梅が咲きましたぞ」
そんなことを言って、縁側に座る。
――この子は、天下の荒波をどう渡るつもりなのか。
わらわは時折、金吾の横顔を見つめながら思う。
殿下は、あの子に何を託されたのか。
あの子は、それをどこまで理解しておるのか。
深いのか、浅いのか。
強いのか、弱いのか。
器が大きいのか、ただの無邪気なのか。
どれも、わらわには判断がつかぬ。
だが、金吾の周りには虎之助や松寿、市松といった
尾張以来の子らがついておる。
あの子らは、金吾を弟のように思い、
時に叱り、時に支え、時に庇ってくれる。
わらわは、金吾に直接言えぬことを、
虎之助や市松に託すしかない。
「虎之助、金吾を頼みますよ」
「はっ、北政所様。必ずや」
「市松、金吾を導いてやっておくれ」
「承知いたしました」
その声を聞くと、
わらわは少しだけ安心する。
だが、金吾は――
そんな周囲の思惑など、どこ吹く風。
治部が金吾を排除しようとすれば、
「治部殿もお忙しいのでしょう」
と笑い、
内府殿が金吾を取り込もうとすれば、
「内府殿はようしてくださいます」
と素直に喜び、
家中が揺れれば、
「皆、元気でよいことです」
と呑気に言う。
――この子は、大物なのか。
――それとも、ただの無邪気な若者なのか。
わらわには、どうにも判断がつかぬ。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
金吾の笑顔は、人を救う。
殿下も、虎之助も、市松も、
そしてわらわも。
あの子の笑顔を見ると、
どれほど世が乱れようと、
「まあ、何とかなるじゃろう」と思えてしまう。
それが、最も悩ましいのだ。
金吾は、ほんに悩ましい子じゃ。
だが、その悩ましさこそが、
あの子の光なのかもしれぬ。
わらわは今日も、
金吾の行く末を案じながら、
そっと祈りを捧げる。
――どうか、この子が流れに呑まれぬように。
――どうか、この子の笑顔が曇らぬように。
それだけが、わらわの願いじゃ。




