36話 パセリ、セージ、ローズマリー……そして
「のっぽの優男をぶちのめすだけで、2ポンドか!」
「こいつは楽な駄賃だな!」
傭兵たちが喜々としてやってくる。
さっきまで運んでいた荷物など廊下の隅においやって、両目を獣の如くぎらつかせていた。
「あの農奴の指でも足でも折ったら、一本につき1ポンドだ!」
「あなたたち、おやめ! おやめなさいったら! あたくしが話をしていてよ!」
トーマシン卿の制止は、彼らにとって1ポンドどころか1ペニーの価値もなかったらしい。とはいえエドマンドの若君の銭垢臭い命令に価値があるわけでもない。
「お引きなさい!」
剣を奮って、俺から有象無象を遠ざける。
だが鉄の胴鎧をまとった男が、トーマシン卿を掻い潜り、俺へと短剣を振り被ってきた。
俺は躱しながら、一気に距離を詰めた。身軽さのまま、間合いを殺して、次は男の頭を片腕で絞めるように掛け、体重をかける。
鎧の男は開いている手で剣を横凪ぎにしてきた。咄嗟に袖の長垂れに刃を絡ませ、剣を脇に挟み、抱える。
「クソ、優男のクセに! 離せっ!」
敵と接近しているのに、己の武器に拘泥するとは。
鎧を着たものは、頭を狙う。
奪い返すことに意識が注がれている隙に、体当たりでバランスを崩させた。前膝を掬って、脳天から階段下へと投げ捨てる。
後ろから荒い息が迫ってきた。
そんな荒く、しかも獣より臭い呼吸で、不意打ちができるものか。
俺は振り向きざまに、奪った短剣の塚頭をみぞおちに叩き込む。
矢継ぎ早に前方から男がやってきた。手足を籠手で守られた男だ。
手甲で固められた手に、短剣を鷲掴みにされた。
武器が、奪われる。
反射的に剣を捨てて、距離を取った。
階段を下がり、梱を飛び越える。
さっき階下へと投げた男がぶつかったのか、梱の縄が緩み、ひとつ崩れていた。
ほどけかけた梱から覗き見える。
「……弓!」
まだ弦を張っていないイチイの長弓だった。
俺は梱から弓を引き抜く。
階段の上から、エドマンドの若君の嘲笑が響いた。
「指を欠いたくせに、まだ弓に縋るか!」
「俺は長弓兵だ」
ひゅんっと弓をしならせる。
ああ、重さと柔らかさが、鼓動一つする前に手首へと伝わる。素直な弓だ、良い弓だ。
剣より棍より、手に馴染む。
戸惑いも恐れも、すっと引いていく。
「長脛王に率いられた兵は、弦切れても臆さず、指を失っても怯みもせぬ」
襲い掛かってきたウェールズの傭兵は、俺に槍を繰り出してきた。
弓を腕の延長線のように伸ばし、弭を添わせて絡めて穂先を下げさせた。穂先をずらす。懐へと潜り込み、弓を首に押し当て、締める。
腰の短剣を引き抜き奪い、男の関節の内側へ突き刺す。全力で。
「ぐはぁ……ッ!」
蹴りながら刃を引き抜き、斜め後ろからきた別の傭兵へと投げつけた。命中したかはどうでもいい。まず間合いを立て直す。
牽制しつつ彼我の距離をはかる。弓の弭で、迫っていた男の喉笛を突く。
「ごふっ!」
突いて崩れた男の胸倉を掴み、別の傭兵へ突き飛ばした。もう片手で弓をしならせ振るって、他の連中の出鼻を挫く。
それでも弓を掻い潜って、突進してきた。
弓を握ったまま、俺はそいつの鼻っ柱に拳を叩き込む。
ふらつく膝を踏みつけ、体勢を崩させて、さらに肩を踏んで、跳んだ。
刹那、宙に浮く。
身を捩り、弓を下方に叩きつけた。
悲鳴さえ上げず、男は倒れる。
金に釣られて扇動された者たちは、床に伏して倒れて累々だ。
呻きが床を這う。
イングランドもウェールズも呻きは等しかった。
有象無象の六割がたは、トーマシン卿がその剣によって黙らせた。己の肌に汗一粒も浮かせず、床に血を一滴も吸わせずに。
お強い。
たとえ身なりが貴婦人という常軌を逸した姿であっても、ハムブレットが仕える主に足ると思える騎士だ。
「このっ……! 役立たずどもめ!」
エドマンドの若君の叫びと共に、小さな金属音が聞こえた。
これは弩。スコットランドの砦でも前線でも、幾度となく耳にした弩の駆動音だ。
階段の上へ、視線を向ける。
エドマンドの若君が、弩を携えておられた。
象牙彫刻の板が貼られた小型弩。ご領主さまが狩りの宴を催す折、携えられておられた弩だ。瀟洒な造りだが、間違いなくウサギや狐を仕留められる威力はある。
まさか俺を打ち抜く自信がおありなのか?
いや、エドマンドの若君のか細い両腕は、狙いを定められるほどの力もない。震えて、標準が合っていない。
誰か死ぬ。
「おやめなさい」
トーマシン卿が制止を命じた。
「黙れ! 黙れ黙れ黙れっ!」
癇癪に振り回されるまま、トーマシン卿へ矢を向ける。
トーマシン卿は弩に怯まず、チュニックの裳裾から足音までも優雅に歩まれた。
エドマンドの若君の鼻っ柱を引っぱたく。
引っぱたくどころではない。あの大広間で繰り出された素手の平手打ちとは違う。円形小盾での一撃だ。
エドマンドの若君はもんどり打つほどの勢いで床に転がる。
鼻の軟骨が折れてもおかしくない一撃。
「若君。キリスト教徒に弩を向けるなど、許されなくってよ」
「う、うるさいっ……! 私はっ、私は……っ!」
床に転がったまま鼻血を垂らして喚くエドマンドの若君に、アミーリアがこれ見よがしに寄り添った。
潤んだハシバミ色の瞳を、トーマシン卿に向ける。
「エドマンドの若君はジェイデンを捕まえようと必死なの。お願い、可哀想なことをしないで。あたしはぶたれてもいいわ。でも若君は跡取りとして頑張っているのよ。お身体が弱いのに! 誰か引っぱたきたいなら、あたしにして!」
俺が殴りに行きたい。
だが生憎と乱戦の末、膝と呼吸が震えていた。
紫の眼差しは冷ややかに、赤毛を見下ろす。
「そのような無礼、婦女子にできるはずなくってよ。騎士を愚弄するのも大概になさい」
「そんな………愚弄だなんて!」
「さ、お退きなさい」
「いや、やめて、お願いよ! どうして……! どうして若君を憐れんで下さらないの……!」
赤毛を振り乱しながら大袈裟に泣き、トーマシン卿の白いマントに縋りついた。
階段上でバランスを崩す。
「……きゃっ」
彼女の華奢な身体は、あまりに容易く崩れ、細い両足は己自身を支えきれぬ。階段から滑り落ちていく、チュニックを大きく翻して。
トーマシン卿が咄嗟に剣を手放した。
空いた腕でアミーリアを支える。
そして滑る剣が、弩を跳ね飛ばす。
まずい。
先日まで雨が降っていた。古い弩だから、湿度であちこち膨張したりずれているはずだ。
そもそも若君ご自身が、装填できるのか? 誰ぞに矢を装填させ、しけった天気の日に弩を持ち歩いたのではないか?
そんな状態でぶつかって、衝撃を受けたら………
過った最悪の想定が、そのまま現実になった。
剣とぶつかった衝撃で、太矢の留め金が弾けた。
雨天の暴発。
弾ける音に、トーマシン卿は反射的に身を躱そうとする。
だが縋りついている赤毛は、重しだった。
身動き封じられたままトーマシン卿は盾を上げる。
アミーリアの頭を抱き、アミーリアの身体を守るために盾を構えた。
だめだ。
そんなもの庇わなくていい。
世界が間違った方向へ進んでしまう。そんな直感が俺を襲う。
すべて須臾。
ひとつの呼吸が終わる。
次の呼吸して鼻孔に入ってきた匂いは、血の生暖かさ。
トーマシン卿の脇腹には、太矢が刺さっていた。
麗しいチュニックと白いマントが、臙脂に染まる。
呪われた結末を示す赤だった。




