35話 濡れ衣は鱗で仕立てられる
危惧していた事態だ。
アミーリアはバストン荘園最寄りの修道院で、俺が州長官に連行されたその現場を目撃している。
というか、アミーリアの余計なおしゃべりのせいで連行された。もし州長官が利しか見ぬ愚か者であれば、俺は縛り首に処されていたやもしれぬ。
俺の恨みは横に置いて、毒殺事件がいまだ解決に至っていないのに、容疑者がうろついているのは不審だ。
「ジェイデン。司祭さまに懺悔して、それから州長官さまのところへ行きましょう」
手足は軽率、両目は愚昧、心臓は浅薄さで出来ているアミーリア。
俺が犯人だと思い込んでいるらしく、やたら同情的な眼差しだった。
長いまつ毛に包まれたハシバミ色の瞳ときたら、慈悲深く潤んでいる。底の浅い思慮から齎される潤いなど、掬って渇きを癒したところで腹を下す生水に等しいというに。
「アミーリア。そっちこそ何故、容疑者でありながら城にいる?」
「あたしを疑うの? ひどい……!」
たちまち涙を浮かべ、身を震わせて、被害者ぶる。
こうなるのは予想通りだ。議論できる対象とは思っていない。
赤毛は兎も角、エドマンドの若君は主家の嫡子、ご領主さまのご長男であらせられるのだから、筋は通さねば。
「俺は神に誓って殺していないし、州長官からの疑いは晴れている」
階段を上りながら、一応は事情を語る。
サースタン・ウォーターズは長期的に砒素毒を盛られており、俺はその時、スコットランドの最前線で戦って、捕虜になっていた。
州長官は裏を取っている。スコットランド補給基地に早馬を飛ばせば、数日で分かる事実だ。
「ぬけぬけと嘘をつくな!」
若君は癇癪を爆ぜさせ、赤毛はめそめそとすすり泣く。
予想と寸分たがわぬか。
「鱗か」
人はみな、眼球に鱗が張り付いている。そう語ったのは、黒十字の修道騎士ブラザー・ヴォルフガングだ。
若君の蒼い瞳は憎悪で、赤毛のハシバミ色の瞳は浅慮で。
それぞれの鱗が重なり、縫われて仕立てられ、俺の濡れ衣となっている。
ともあれ俺からは筋を通した。
心の中で、主と聖母とご領主さまに謝罪する。これから力づくになることを。
「若君。恐れ入りますが、通らせて頂きます」
この身にのしかかる疲れと不調は、軽いと言い難い。
だがエドマンドの若君相手に殴り負けはしない。
階段の半ばで、俺は立ち止まる。
若君の背後には、女装の騎士トーマシン卿が佇んでいた。
裳裾を引き、抜き身の剣を握って。
やおら若君がふんぞり返る。
「トーマシン卿! こいつはサースタン・ウォーターズを殺して、ぬけぬけやってきたのだ。八つ裂きにできる」
「お黙り」
トーマシン卿の一瞥に、エドマンドの若君が圧された。
「……なっ、無礼な!」
「若君。領主でも騎士でもないあなたが、騎士に命じる方が無礼ではなくって?」
鋭い一理に、エドマンドの若君は息を飲む。
客分の命令に従うことを良しとしないのか、エドマンドの若君は尚も繰り言を唇の奥で食んでいたが、トーマシン卿の視線はすでに俺へと移っていた。
「トーマシン卿。サースタン・ウォーターズ殺しは濡れ衣だ、聖母に誓える。だから…俺の母に会わせてくれぬか?」
「ええ、もちろんよくってよ。その前にあたくしの問いにお答えなさいな」
紫の眼差しは冷ややかだ。
悪い予感が、犇々と心臓を押しつぶす。
「あのおちび……ニコーロ・マストロピエロはどこかしら?」
慮外の問いに、刹那、呆ける。
矮躯の居場所だと?
「存じ上げぬ」
「昨晩、あなたと城の外で何やら話していたそうね。それ以来、姿を消しているわ」
矮躯が消えた?
もしやロンドン造船所に黒十字がやってきたせいか?
逃亡?
資金を持ち出す時間は僅かだったはず。こんなに早くすべてを投げうてるのか? あるいは何か手を打つために、暗躍しているのか? それとも為替状か軽いもので、シャルウッドベリの資産を動かせるのか?
「お言い。一体、何があったの?」
問われても思考はまとまらぬ。
俺は千々に散る思考を、口から出そうとする。
――黒十字が来たと真犯人の耳に入れば、逃亡を許してしまう――
舌先まで出かかった言葉を、咄嗟に飲み込む。
聖母にかけて誓ったのだ、けして言わぬと、語らぬと!
造船所の顛末を語るのは、黒十字の跫を教えるに等しい。
たとえ知恵袋たる矮躯が逃げ去ったとしても、それは俺が吹聴していい理由にはならないのだ。
まして若君と赤毛の耳に入れるなど、後でどうなるか分からぬ。
口ごもってしまった俺に、トーマシン卿は一歩近づく。
「あなた、何か知っているんじゃなくって?」
「俺は語らぬと聖母に誓った」
トーマシン卿の眦が裂けた。
静かではあるが、怒りの寸前ではないか。
「義理立てどころか庇い立ても愚かしくってよ。いいえ、愚かしいどころか、同罪……!」
「傲慢な! あなたに霊的制裁を科される筋合いはない」
たとえこの方がまこと正しき騎士であったとしても、破門と同罪と言い切るのは聖職の域を犯す言葉。
破門は魂に突きつけられる罰。
肉体に科される罰ではないのだ。
俺の裂帛に対して、紫の瞳が研ぎ澄まされた。激昂めいた熱がすっと消え去り、冷徹な深みを帯びる。
「おちびが破門者だと、ご存じだったようね」
「……ッ!」
俺は愚かな発言をしてしまった。
今朝がたブラザー・ウォルフガングから聞いたばかりの話ではないか、矮躯が破門者かもしれぬのは。
破門者と同類にされ、血が上ってしまった。なんと迂闊な。
トーマシン卿がチュニックの裳裾を掴み、手に巻き付け、腰より高く持ち上がる。つま先どころから足首が見えるほどに。
素早く俺へと剣先が向けられ、突かれ、風を斬る。
斬られた風さえ鋭い突き。
反射的に後ろに下がったものの、肩口が切れた。
目の細やかで滑らかな絹地だったからこそ皮膚に至らなかったが、普段の古びて擦り切れたチュニックならば、出血していた。
殺意はない。
だが、手加減もない。
「トーマシン卿! あなたと戦う気は無い!」
「あたくしにはあるの。どうあってもちびの居場所を吐いてもらうわ」
トーマシン卿の剣が、大きく振りかぶられた。
切っ先を躱す。
いや、トーマシン卿の柄の持ち手が、払いから突きに変わっている。大きな振りは囮だった。踏み込んではいけない。
身体の動きを御しきれず、姿勢を崩す。
トーマシン卿に踏み込まれた。
躱すも受けるのも無理な体勢だ。
俺はがむしゃらに手を伸ばして、トーマシン卿の巻き上げているチュニックの裳裾を掴む。
もはや俺の体勢は立て直せぬ。ならば共に崩れてもらう。
トーマシン卿は僅かに引き、そして裳裾掲げた手で俺を打った。
「ぐあっ!」
鉄の感触に打ち付けられた。
あのチュニックの下、鉄が仕込んである。
ああ、おそらく円形小盾だ。チュニックの下に盾を隠し持っていたのか。
不意の打撃に、膝が折れて、沈む。
膝ついて呼吸を整えれば、トーマシン卿の切っ先が眼前に迫っていた。
「矮躯の居場所は知らん。それは事実だ」
聖母に誓った相手は、矮躯ではない。
では、誰だと問いを突き付ければ、躱せはしない。
互いの空間にある緊張が、俺の四肢や瞳に滲んできて、冷たい汗となって噴き出してくる。
「あたくしの叔父たちは紅十字に入団しておられるわ。あたくしの幼いころ、よく破門者たちの昔話を語って下さったのよ」
トーマシン卿が剣を構えたまま語る。
「色々と伺ったわ。なかでも巧妙だったのは、ボローニャで架空聖女をでっち上げて、聖遺物を偽造して破門された遍歴学徒の話ね」
「それがニコーロ・マストロピエロと………」
「名前は違っているけど、特徴も手口もあまりに似通っていてよ」
ブラザー・ウォルフガングと同じ推測を辿っている。
「あたくしはおちびが破門者と証拠を掴むため、巡礼を遅らせてまで長逗留を決めたの。ここで逃げられるわけにはいかなくってよ」
聞かされた事情がまことであれば、俺の知る背景を詳らかにしてもよいのではないか。
トーマシン卿は真実を語っているように見える。
誓いと迷いが、心臓の奥で明滅する。
口を開いたのは、エドマンドの若君だった。
「誰か、誰か! 誰でもいい、あの農奴の背骨を折り、四肢を引き抜け! 八つ裂きにしろ! 1ポンドでも2ポンドでもくれてやる!」
狂ったような癇癪が、空気を引っ掻きながら響く。
天守塔に有象無象の足音がこだました。




