28話 六枚の大銀貨
月光に溢れ、月影は豊か。
しかし人影は絶えた村の大通り。
俺と矮躯、五人のレプラ患者、そして禿げて痩せこけた牧羊犬が一匹、影法師を引きずりながら歩いていく。
体力のない患者たちにとっては、己の影さえ重たげだ。
杖をつくレプラ患者は、深いわだちによろめいた。両側のふたりが支える。
杖を持つ手は亜麻布に覆われているが、やたらと小さい。おそらく指を煉獄で焼かれ、五指を欠いている。眼球も焼かれたかのか、視界もおぼつかぬ様子だった。
「そういやさ、キミら、もしかして劣悪な癩療院から逃げてきたのかい? だからおめめ見えなくなっちゃったお仲間もいるんだね? どうかな、ボクの名推理!」
レプラ患者のひとりが、咳き込むように頷いた。
「………はぃ」
素直な頷きに、矮躯は機嫌を良くしたようだった。
「緑十字がガンバってる癩療院なら、ごはんも寝床もバッチリだからね。しかもあの癩療院じゃ、患者を薬湯にいれるから皮膚の乾きも痒みも和らぐらしいよ。ま、大人気だから入れないかもしれないね」
長旅を経てきた患者たちへ、残酷な事実を言い放つ。
どういう心持ちで、そんな惨い台詞が吐けるのだ?
「この身の安寧を望んでおりません………」
レプラ患者が独特の嗄れ声で語る。
「ここまで参ったのは、ラザロ騎士であらば、我らの訴えを聞き届けてくださる故に。我らの元いた癩療院の横領と横暴をなくし、同胞たちに尊厳を取り戻さねば。まだ動ける我らが動かねばなりません」
弱く掠れた声であっても、その物言いには品があった。
発症する前は、一廉の人物だったのだろう。
「ははっ! キミらは自分らが助かりに来たんじゃなくて、ひどい院長のせいで動けなくなっちゃったお仲間を助けてくれてって、緑十字におねだりに来たのかい?」
「………ええ? それは、そうですよ」
当然のことを確認されたかのように、レプラ患者は戸惑っていた。
「オモシロイな。善人はオモシロイ発想をするね。自分らじゃなくて、お仲間のため? こんな寒くて暗くて冷たくて! おまけに辛い道を、延々はるばる、ひたらすら歩いてご苦労さまだね」
矮躯は笑う。
肩を揺すって、腰を曲げ、かぶりを振って、さも愉快そうに。
あまりの笑いっぷりに鞍から落ちそうになったものだから、俺は片身替わりを鷲掴みにした。鞍に戻してやる。
「よし、よし、よし。ボクの名前で入所させてあげよう。癩療院のレプラちゃんたちがいっぱいいっぱいでも、追加のお駄賃はボクがやりくりしてあげる」
「まことで?」
「ユカイなお話を聞かせてくれたんだから、ボクだって投げ銭するさ」
さも愉快そうに言い放つ。
あたかも滑稽芝居に小銭を与えるように。
これほどの性悪と巡り合って事態が好転するとは、間違いなく神の計らいではないか。
遍歴学徒と出会っても、善人へ善が巡りて報われるように、レプラ患者たちの旅路が神の加護を賜っているのだ。
彼らの選択は聖なるもの。
神に祝福されている。
進む先の月下には、のっぺりした闇が建っていた。
直線的で、拒絶的な闇。
癩療院を取り囲む塀だ。
背の高い塀で、礼拝堂の屋根が辛うじて見える。
生ける死者たちの住まう地。
俺にとっては畏怖であるが、レプラ患者たちは約束の地を前にしたように足取りは軽くなった。
矮躯も進み、守衛がいるであろう裏口に回る。
馬の匂いが強い。厩があるのか。
「ジェイデン、ボクを下ろしてくれ」
こいつ、偉そうなのにひとりで馬の乗り降りもできないのか。
しかしこの身長ならば致し方なしか。
肩を貸して、馬から下ろす。
「やっほー。守衛ちゃん、いるかい?」
厩の屋根裏には、窓が並び、戸で塞がれている。
ただひとつ、窓が開かれていた。ヘンルーダがたっぷりと吊るされた窓辺だ。
ヘンルーダをかき分けるように、皺と髭に覆われた顔が現れた。頑固そうな年寄りで、目と目の幅が狭いため睨むと眼球同士がくっつきそうだった。
「どこのどいつだ、こんな夜分に藪から棒だな!」
「こんばんは! シャルウッドベリ城のニコーロ・マストロピエロだ。癩療院の副院長はまだおねむの時間じゃないよね? ここのレプラちゃんたちをお持て成ししてくれないかな。飯代と藁代だったらウチが持つからさ」
老守衛が仏頂面で下りてきて、戸を開けてくれた。
矮躯は腰の革財布から、厚みのある大銀貨を取り出す。何枚も老守衛に渡した。
夜目にも澄んだ銀の輝き。
だがイングランドの貨幣ではない。
イタリア商人がたまに持っているグロッソ大銀貨だ。
老守衛は右目と左目がくっつきそうな形相で、銀を睨みつけている。さすがに銀の輝きに仏頂面も解けた。
だが手渡された大銀貨が、どれほどの価値なのか計りかねているらしい。
俺が説明するのは容易いが、レプラ患者たちの近く、まして癩療院の傍らで喋るのは抵抗があった。この地の空気を吸うことを、誰が躊躇わずに行えようか。
「銀だな、銀だ。コイツぁはまったく紛うこと無き銀だが、どんだけの飯代になってくれるか、わしにゃ分から………」
老守衛が話し出すと、癩療院の奥から誰かがやってきた。
拍車の跫だ。
騎士か?
俺の予想通り、ひとりの騎士が月明かりに輪郭を浮き上がらせる。滑らかな生地のサーコートと円形マント、靴には金の拍車、腰には貴石の剣。
しかし頭からすっぽりとヴェールを垂らしていた。
一歩、こちらに近づく。
差し込む月明りに、騎士のヴェールが透けた。
ヴェールの下には白革鞣しの仮面。
レプラ発症した聖ラザロ騎士だ。
誰もが沈黙した。聖ラザロ騎士が現れたその瞬間、ここが聖域になってしまったようだ。
騎士には、どこか恐ろしい威厳が宿っていた。
「院長さま」
居住まいを正す老守衛。
この白革鞣しの仮面の騎士が、癩療院で最も偉い方か。
レプラに罹患すれば生者の権利は剥ぎ取れるが、あくまでも世俗の規律だ。
死手たる聖域において修道騎士となれば、権利は奪われても敬意は奪われぬ。
「副院長は遣いに出している。伺うのは、この老骨でよいかな?」
枯れ果てた喉が、ヴェールを揺らしながら語る。
煉獄に焼かれた声だ。
吐息ひとつで、煉獄の炎が吐かれそうなほどの声であった。
「この銀貨で、レプラちゃんたちの面倒をお願いしたいんだよ」
「…………グロッソ大銀貨か。それ一枚で、次の安息日までのパンとチーズと麦酒。洗濯代、寝床のための新鮮な藁。それと皮膚を癒す薬湯を、一人分用意できようぞ。人数分とあらば申し分なきこと」
院長たる修道騎士は、老守衛へと顔を向けた。
「さあ、そなたは修道士らを起こして、弱き聖なる同胞たちのために湯を焚かせるといい。霜のごとき灰を掻き、火を満たせ。ヒソップの湯で世俗の穢れと疲れを落とし、ヘンルーダの大部屋に案内せよ」
「畏まりました、院長さま」
老守衛はそくささと癩療院に入り、院長がレプラ患者たちを迎え入れる。
「患者は五人、銀貨は六枚。一枚多い大銀貨は、貴君の祈りのためか」
院長の問いかけに、矮躯は首を横に振る。
「いや、いや、いや。これはそこのわんちゃんの取り分だよ。瘦せっぽちになるまで主人に仕えた偉大な聖ギネフォールを讃えるためさ!」
骨と皮だけの牧羊犬は、ただ従順な瞳で成り行きを見守っている。
レプラ患者のひとりが、矮躯へと感謝の意を示す。
「まことにありがたく……」
「感謝? 感謝ね。おおげさだな、ボクはできるコトしかやってないよ。後はキミらがガンバるしかないよ。では、みなみなさまに聖ギネフォールのご加護がありますように」
矮躯は芝居がかった挨拶で幕を引く。
レプラ患者たちを見送りもせず、手も振らず、背を向ける。終わった物語から席を立つように。




