25話 大広間へ火種を投じる
黄金の指輪の行く末。俺はそれを見届けなければならぬ。
持ち主さえ分かれば、すぐ州長官に訴えに行ける。
「ジェイデンさまのお食事は、後で小部屋へお運びいたします。浴布もすぐに」
「ハムブレット。俺は奉公人の方で食事を取りたい」
俺の頼みに、ハムブレットはきょとんと瞳を丸くした。
「僕、お運びしますよ? というか客人の恰好なのに、奉公人側でお召し上がりになられても、奉公人たちだって気詰まりですよ」
身も蓋もない正論が告げられてしまった。
正論を覆すため、俺は言葉を弄する。
「いや、しかし………動けるのであれば司祭の祈りの元、神に感謝して食事を取らねば」
「それもそうですね」
すんなり手のひらを返してくれた。
世俗の正論と聖域の聖論、ぶつかれば聖なるものが勝つのだ。
俺が城にいた10年前は、大広間には木製の大きな衝立があった。
奉公人が行き来する配膳室の手前に、隙間風が大広間へ入らぬための衝立を並べていたのだ。
ところが今は衝立ではなく、衝立通路が増設されているではないか。どっしりとした木造壁で、これでバックラムの壁掛けでも重ねれば、冬でも冷えた空気から大広間を守れそうだ。
「ジェイデンさま。こっちなら、邪魔になりませんよ。楽師が待機している場所なんです」
ハムブレットがイグサ束とリネンを持ってきてくれる。椅子の代わりに腰を下ろした。
衝立通路の奥まった壁際の空所は、俺の両手を広げても余裕がある。大きな楽器を抱えた吟遊詩人がひとりふたりどころか、五人六人でも待機できるだろう。
城の裏手はろくに整備されていないのに、表は最新式の豪華な改装をされているのか。
配分が不均衡だ。
たしかに貴族は権威を重んじなければならぬとはいえ、弱きもの貧しきものへの施しや慈しみこそ敬意の源なのだ。エドマンドの若君の采配は、奉公人たちから評判が悪いだろう。
「僕、食事の支度を手伝ってきます」
ハムブレットは奉公人に混ざった。
大広間では猟犬がうろつき、配膳室からは奉公人たちが行き来している。俺の存在が気にかかるらしいが、仕事の流れには逆らわない。
俺は木製の壁に、身を寄せた。
衝立が壁になっても、隙間があるのは変わらない。
光しか通れないほどではあるが、奉公人が大広間を覗ける隙間だ。
大広間の床には新鮮なイグサと香草がまかれ、テーブルが架けられて、清潔なクロスが掛けられる。ナイフとスプーン、そして皿用のパンが木皿の上へ並べられていく。
ざわざわとさざ波うつ会話。
「知ってるか? あのヴェネツィア人は肉叉を使って食うんだ」「なんだそりゃ」「抓む代わりに刺す道具だよ」「へえ。指が欠けちまってんのかね」「どこが欠けてっか知らんよ」「犬ども邪魔だ」「バカども。無駄口叩いてないで、早くお運び」「今日の雨じゃ、どうせイグサとっかえなきゃならん」「イグサ束は先に竈横に用意せんとな」「ぼんやりしてるとパン皿、犬に取られるぞ」「なあ、塩入れのパンを知らんか?」「まさか食事用に混ざったんじゃないだろうな」「犬が取っていったかも」
大広間の忙しさが、不意に静まる。
そう、まったく前触れも無しに、すべての会話が、足音が、息遣いが、途切れた。
ユーグがやってきたのだ。
俺の視界に入っていないが、あの麗姿は誰しもの視線を奪う。大広間にいる奉公人たちの視線を読めば、ユーグが入ってきたと分かる。
奉公人の視線どころか呼吸まで奪っているのではないか。
「ああ、空腹がボクをいじめる。ひさかたぶりに胃になにか入れられるよ」
「あなた昼前にも食事をしていたんじゃなくって? 日に三度の食事は家畜に等しいってご存じよね」
「ふん、ふん、ふん。イングランドで『お食事』なんて上等なものをお恵み下されば、ボクだってお上品になれるだろうね」
矮躯、狼猟師やマスティフ犬たち。それからトーマシン卿も大広間へ入ってきた。
………やはりトーマシン卿は貴婦人の服のままだった。
司祭が同席する食事にまで、貴婦人の姿を装っているとは。
信じがたい姿だが、仕えているハムブレットは平然としていた。手洗いの水を湛えた広口水差しを抱えて運んでいる。
「父さま、悪魔がきます」
「ジャ………っ!」
唐突過ぎる呼びかけに、思わず悲鳴を上げかけた。
どこだ?
どこにジャスパーがいる?
「早くリネンを! そのリネンをかぶって、身を縮めて下さい」
リネンをかぶれと?
訳も分からぬまま息子の声に従う。
尻に敷いていたリネンを引っ張って被り、イグサ束の横にしゃがんで縮こまる。
青臭いイグサの匂いに包まれる。
被っているリネンは幾度も敷かれて擦り切れており、周囲の輪郭は鮮明だった。柔らかな窓のようだ。行き来している人影は掴める。
配膳室の奥から、軽快な足音が響いた。
「若君と一緒に食べてあげようと思って。あんなサビナの匂いが染みた部屋で、ひとり食事なんてお可哀想だもの」
底抜けに明るい声に、俺の背筋が凍った。
アミーリアが配膳室側からやってきたのか。
危なかった。
給仕でも厨房役でもないのに、配膳側からやってくるとは油断していた。
エドマンドさまが部屋に閉じこもっているため、食事を運ぼうと言い出したのだろう。余計かどうか知らぬが、たぶん差し出がましい振る舞いだ。
「間一髪でしたね、父さま」
足音も気配もなく、ジャスパーが俺の横にしゃがんでいた。ちんまりとした体をことさら縮めて、震えていた。
「寒いのか?」
「ああ、いえ、あの赤毛の悪魔が去れば、平気です」
ジャスパーの声は震えて、怯えが含まれていた。
アミーリアを嫌悪するなら兎も角、この勇敢な子が怯えている?
「あの赤毛はお前に酷い仕打ちをしたのか」
「………あれは、ぼくがいなくなれれば、みんな幸せになると思った」
項垂れたジャスパーから零れたのは、涙の冷たさと重さを孕んだ呟きだった。
思わず抱き締める。
善意の皮をかぶっただけの赤毛は、ジャスパーにどれほど心無い言葉と仕打ちをしたのだろう。あの女の言いそうなことが頭によぎるだけで、はらわたが煮えくり返ってくる。
アミーリアが大広間へと抜け出る。
まだ声は聞こえる距離だ。
「ご婦人」
トーマシン卿の声だ。
「まあ! もしかして今日は円卓試合だったの?」
………アミーリアも俺と同じ感想だった。
あの女と同じ思い違いをしてしまったとは嫌な気分ではある。
しかし女装をした騎士などという非現実的な存在を目にすれば、誰でも伝説の都が舞い降り、この地を統べるのだと勘違いするだろう。
「円卓試合なんて素敵! じゃあきっとあの銀髪の騎士さまが、パロミデス卿を演じるのね? トリスタン卿より素敵なパロミデス卿になってしまうから、トリスタン卿役が可哀想」
アミーリアのはしゃぎっぷりに対して、トーマシン卿からあるかないかほどの微苦笑が零れた。それはけして嘲笑に類するものではなく、むしろ申し訳なさを含んでいる。
「それよりご婦人、あたくしの小姓が落とし物を拾ったのよ。あなた、何か落としていないかしら? 小さいもの」
問われて、ぱたぱたと足音が響く。
「えっ? やだ! ないわ、指輪」
「どのような指輪を落とされたのかしら? 教えて下さらない?」
「金の指輪よ。とても古いの。細工が細かくって」
「遺産かしら?」
「そう、商人のおじいちゃんから貰ったの」
貰った?
俺が目にしたとき、たしかに死んだサースタンがはめていた。
誰からもらったというのだ?
その相手が真犯人か?
「商人のおじいちゃんのとても大事な指輪だけど、働きの感謝の証にって。おじいちゃん、あたしのこと大好きだったの。自分が死んだら、あたしに残してくれる約束したから、貰ってきたのよ」
……貰ってきた?
まさか勝手に持ってきたのか?
アミーリアの後ろめたさや嘘偽りは一切無さそうな口ぶりに、俺はぞっとした。
あの女、死体から勝手に持ってきたのだ!
自分がもらえる口約束だからと、誰にも申し出ず、当然のように己のスカートの下に滑り込ませたのか。ただ一片の罪悪感もなく。ただ一片の恥じらいもなく。
「悪魔か……」
思わず呻きが零れたが、口を押える。
黄金に照らされた真実のなんと忌まわしいことか。
「ではこの指輪はあなたのものでよいのね?」
「まあ! あなたが拾って下さったの。ご親切だわ」
赤毛はまったく無邪気に感謝を繰り返す。
「じゃあ失礼するわ。若君のお世話してあげなくちゃ」
足音が遠ざかっていく。比例して俺の鼓動が戻っていく。
ジャスパーは俺にまだぎゅっと引っ付いていた。小さな頭を撫でる。
「よく見つからずに来られたな」
「得意ですから」
「………そもそもよく俺がここにいると分かったな」
大広間の衝立通路の空所。
分かりやすい場所ではない。
「息子ですよ、分かります。と、言いたいですが、この時刻で誰かの動きを見張るなら、ここが最適だって考えに至るのは普通ですよ。ここを覗きに来たら父さまがいました」
「それも、そうか」
「同じ行動で嬉しいです」
そばかす顔は綻ぶ。
「ジャスパー。夜に紛れてシャルウッドベリを出よう。あの指輪の行方が、アミーリアの掌だと知れば、州代官も身柄を押さえにやってこれる」
「父さまの具合はよろしいですか?」
「行動は早い方がいい」
武装法廷が発動寸前ならば、腹の痛みなど考慮に値しない。痛みを無視するなどペトロニラには叱られるだろうが、それでも行かねばならぬのだ。
そもそもアミーリアのせいで、いつ俺が州長官と繋がっていると露見するかも分からぬのだ。猶予などありはしない。
「父さま。ぼくは城でお待ちしています」
「このような悪徳の根城に、息子を置き去りにする父にしてくれるな」
「いいえ、父さま。ぼくは足手まといになりたくないのです。それに連れて行った先で、ぼくをどこに預けるとおっしゃいますか? ぼくのことを知ってる時点で、父さまは容疑者になりかねないのですよ」
「途中の修道院なり、なんなりと………」
「教会はダメです」
「………何故?」
もしや婚外子である身を気に病んでいるのか。
「父さまは地元の教会に行ったことないでしょう? 教会にとって父さまは不審者ですよ。シャルウッドベリの城に住む伯父にぼくを引き渡すように命じらせたら、そっちに従うしかないじゃないですか」
「……む」
ジャスパーの懸念は尤もだった。
俺は地元の教会に行ったのは、物心がつかぬ前。洗礼の折か。
五歳で母に連れられ城に奉公に上がってからは、ずっと城付き司祭の執り行うミサに参じ、告解もそこで済ませてきた。
「ぼくは城に残りますよ。ご安心を。ペトロニラとメアリおばあさまが過ごした小屋は、朽ちてもぼくに慈愛を注いでくれるのですから」
マーガレットさま譲りの微笑みは、俺の美しい思い出を刺激し、なんとも逆らい難かった。




