23話 第三の指輪、あるいはすべての始まりの……
印章を求めていた手には、黄金の指輪が輝く。
まずい。
こんな指輪を所持していたら、俺が老商人サースタン・ウォーターズを殺害して、行き掛けの駄賃に奪ったと思われかねない。
毒殺だと知っている州長官でも、俺が黄金に目が眩んだのではないかと疑うだろう。
いっそ何も見なかったふりをして捨ててしまおうか。
しかし指輪は真相への足掛かりだ。
如何な経路を辿って、老商人の指にはまっていた指輪が、城の中庭の泥へ落ちているのだ?
天使の奇蹟か悪魔の悪戯でなくば、人間の手を伝ってきたのだ。
偶然か、故意か。
善意か、悪意か。
何かどう入り混ざっているのか分からぬが、誰かが持ち込んだのだ。
「……アミーリアか?」
老商人が死んだ翌日には、赤毛女はバストン荘園にいた。
いや、荘園にいたかどうか定かではないが、修道院の庭先にいたのだ。
荘園に関わる者で、かつ城にいる人物は、アミーリアだけかもしれぬ。
俺の狭量な偏見やもしれぬが、あの女がまた余計なことをしでかしたのではないか?
しかしあの赤毛が、遺体から愛用の品を持ち去り、密かに我が物にするだろうか?
あの女はまったく不快だが、くすねる強欲さはない気がする。
彼女に倫理や道義や思慮は無く、ただ薄っぺらい慈悲だけが頭に湧いている。そのくせ無私ではない。
自分の慈悲が『誤解』されると、被害者めくのだ。己の行い顧みるも知らぬ。
だが、少なくとも奪う側ではないのだ。
奪うでなく、与える。
与えてしまうのだ、愚かしく。
哀れだと思えば、他人から預かった財布さえ与えてしまう。
そんな女が『奪う』のは違和感だった。
思案しながら、掌の黄金を睨む。
「なんとも目映い……」
夜更けでも美しかったが、午後の光を浴びた黄金のなんたる輝き。
まさに真実を照らす光源、されど持ち主を焼く火種。
持ち主が焼かれるほどの……
……州長官が踏み込む理由に足るではないか!
そうだ、俺がここで独り、あれやこれやと気を揉む必要などない。
ご領主さまのご一筆に印章が欠いていたとしても、殺人現場から消えた指輪がこの城へ移動しており、その持ち主がいるならば、州長官が乗り込める!
「ジェイデンさま。もうすぐ夕餉ですが、もし後でお夜食がご入用でしたら厨房に言付け……」
ハムブレットが戻ってきた。
実直な眼差しに、金が映る。
「………きれいな指輪ですね」
目撃された。
俺が指輪を所持している姿を、ハムブレットに目撃されてしまった。
「落とし物だ」
正直に告げれば、素直に信じてくれた。
世界のすべてがこうであればよいのに。
「こんな高価なものを落としたら、大騒ぎですよ。持ち主は気づいてないのでしょうかね?」
いっそ抜歯屋に預けてしまいたい。州長官の部下なら最も安全だ。
だが俺が日の出までに戻ってこなければ、厩から退散しているはずだ。
州長官への現状報告と、次の一手のために。
「ヴィクトールさまですかね。退職金に矮躯からもらったんでしょうか?」
「そうかもしれぬな」
適当に話を合わせる。
老商人の持ち物と知らぬなら、ハムブレットの推測は妥当だった。
長い事、雇われてきた傭兵が、最後に銀細工や金工芸を与えられるのは珍しくもない話だ。
もしこの黄金の指輪が、矮躯からヴィクトールへ与えられたものだとしたら?
ハムブレットの仮定が現実と寸分違わぬのであれば、まさに黒幕は矮躯ではないか。
俺は足早に厩へと急ぐ。
馬の匂いと藁の酸っぱさが混ざる空気にも、顔見知りはいない。
ヴィクトールは馬の手入れをしていた。
どう話しかけようかフランス語の挨拶を頭に巡らせていたが、先に口を開いたのはヴィクトールであった。
「さっきの覗き見たちか?」
訛りの強いフランス語が投げかけられた。
聞き取れるとはいっても、喋るのは得意ではない。
硬直していると、フランス語が分からぬと思われたのか、男は口許を歪めた。濃く繁っている髭のせいで、それが冷笑なのか失笑なのか、あるいは侮蔑か判断つかない。眼差しからして良い感情ではないだろう。
感情は読めぬ。
だが、この男が人を殺なら、毒など盛らぬだろう。
敵対したとき、相手の兵が剣で立ち向かってくるのか、味方を呼ぶのか、あるいは逃げるのか、そういうものは理屈ではなく、膚に伝わってくるものだ。
炎は触れる前より指を焦がす。
氷は触れる前より頬を冷やす。
武人は戦い始める前から、切れ味がある。
彼は毒を選ばぬ。間違いなく腰の剣を抜く。それ以外は考えられぬ。
「貴様は矮躯が新しく雇った護衛か? 着飾り砂糖を喰らったところで、泥船が行き着く先は水底しかあるまいに」
泥船。
ユーグの語った未踏の地へ進む船のことか。
「ムッシュ・ヴィクトール。俺はごろつきどもの雇われではない。もともとこの城で奉公していた者だ」
たどたどしいフランス語で問う。
「さきほどあなたがいた場所で落とし物を見つけたが、あなたは何か落としていないか?」
「いや」
否定しながらも、ヴィクトールは革鞄を浚う。
「幸いにして革袋は平穏だ」
「………そうか」
「まだ何か気になるのか?」
俺の顔色が読まれたのか、ヴィクトールは冷やかながら会話を続けてくれた。
「さっきの赤毛とのやり取りが気がかりか? 大したことではない。あの赤毛を連れてくるときに、多少の怪我人を出したまでのこと。手荒だったかもしれんが、殺しはしていない」
ではヴィクトールが何か仕出かしてとして、そもそも赤毛が原因では?
どうして他人事で憐れんでいるんだ、あの赤毛。
どういう感情で生きているんだ?
「己を己で雇う器量あらば、貴様も疾く疾く城から去れ。若い身空を魚の腹に収めるな」
侮蔑交じりの忠告をされてしまった。
では指輪を落としたのはアミーリアか?
「持ち主はさっきの赤毛のご婦人でしょうかね? でも紳士用の太さですよね?」
「親しくない婦人に声をかけるのは気が引ける」
嘘ではない。
神と聖母と諸聖人に誓える。
俺とアミーリアが親しかったことなど、ただの一度でもあろうか?
「荘園官に届けますか?」
大地に落ちたものは、すべて領主のもの。
ハムブレットの言う通り、役人に届けるのが筋だ。城内なら荘園官が適任だろう。
「落とし物を届けたところで、この城の有り様では、いつのまにやら質屋か酒場に行きかねん」
「じゃあ我が主に預けましょうか」
素直な案だった。
農奴が高価な落とし物を拾ったら、騎士に届ける。
まったく理に適った進言ではないか。




