22話 最悪との再会
矮躯はしばらく嘲りを剥き出しにしていたが、俺へと視線を動かした。
「やあ、ジェイデンちゃん。出歩けるとはびっくりだけど、お顔の色はあんまり良くないね。まるで森から出た痩せ狼ちゃんだ」
ついさっき大広間で俺を殺せと言ったわりに、友好的な声色だ。からかいといたわりを過分に含んでいる。
だがそれは極めて遍歴学徒的な、軽佻浮薄かつ信用できぬ好意でしかなかった。
矮躯の背後にいる狩狼師のギィは、俺を油断なく注視していた。控えている猟犬たちもだ。
下手に動けば、この狩狼師に狩られる。それこそ飢えて痩せた狼のように、容易く仕留められてしまう。
緊張ゆえの渇きを覚えたが、悟られぬように胆に気合いを入れる。
「客が訪れたのではなかったのか? さきほど誰か来たらしいと耳にした」
「大した話じゃないよ。休憩がてらこっちのシゴトも見に来たの。ボクはこれでも忙しいんだよ」
とぼけた口調だが、事実だろう。
州長官が動産回復令状を出している以上に、差し押さえ処理をしているはずだ。過酷な税収や、罰金の重い判決、この矮躯が元凶だ。
「キミこそこんなトコロで何してるのかな?」
「顔見知りがいないか、探しているだけだ」
俺の薄っぺらい言い訳に、矮躯は嘲笑を返してきた。
「ふん、ふぅん? コドモを探しに来たのかと思ったよ。もうひとり忍び込んだハズだもんね」
「勘違いだ」
ジャスパーを指摘されると、心にさざ波立つ。
顔色を読まれないように、日差しの方へと視線を逸らす。露骨だっただろうか。
矮躯はにやにやと嗤っている。
「へえ、へえ? やけに否定するね。たしかによそでこさえたコドモじゃ、マーガレット姫に取り入るのができなくなるけどさ」
「根の腐った穿ちだな」
つい本音を吐いてしまった。
この矮躯、俺の連れている子供が、マーガレットさま以外の女性と作った子供だと思っているのか。
十年ぶりの帰還なのだから、客観的には妥当な解釈だ。
隠している理由として、子供の存在が発覚すれば、マーガレットさまからの信頼を損なうからだと推測したらしい。
いかにも性根の腐った人間が発した、膿めいた思い込みだな。
逆に考えれば、この狡猾そうな知恵袋さえジャスパーを把握していないのだ。そもそもマーガレットさまがお産みになられたと知らぬか、あるいは俺が連れている子供がジャスパーではないと思い込んでいるのか。
「じゃあ見知らぬコドモを見つけても、キミとは一切関係ない。それで、イイね?」
「見知らぬ子供ならば保護するべきだ」
「それはまったく仰せの通りで」
酷く戯曲ぶった所作と台詞。
遍歴学徒にとって、あまたすべてが戯言なのか。
いつの間にか室内はしんと沈黙していた。
助祭が小走りやってきた。何枚もの羊皮紙を抱え込んでいる。
「ニコーロさま。確認をお願い致します」
「うん、うん、うん。ついでにキミたちのミスも見つけてあげよっか。イングランド人は古臭い数字で頑張っているからね。あんな時代遅れの数字じゃ、割り算もろくすっぽできないだろう?」
「あのような詐欺の種になりかねぬ数字を使うほど不敬ではありません」
忌々しそうに語る助祭。
「アラビアの数字は合理的だよ。島国は頭が堅いね」
矮躯は象牙縁の眼鏡を取り出す。もったいぶった所作だ。
それから片身替わりの服の下から、革紐で下げた鍵を引っ張り出していた。
あれは公印を入れた箱の鍵だ。
最悪だな。
矮躯が公印を管理しているとは。
領地の私印と公印、どちらも手の届きにくい場所にある。
いや、これが最悪ではない。
最悪とはマーガレットさまが夫殺しの濡れ衣を着せられること。あるい反逆者の一族として処されること。
俺は心から神に祈る。
どうかこの身に指輪を与えてくれぬかと。
「ジェイデンさま、お顔の色がますます悪いですよ」
「あ、ああ。小部屋に戻るよ」
無理して歩いているが、実のところ腹が痛む。軋む。はらわたの底で血が滲んでいるのではないだろうか。
これではジャスパーを抱えて逃げられぬ。早く快癒させねば。
湿り気ある中庭を通って、水はけの悪い道を歩いていく。
「そっちは厩ですよ」
つい調剤小屋へ足を進ませてしまった。
意識も危ういかもしれぬ。
「………っ!」
思わず足を止め、座り込んだ。
「……最悪だ」
「ジェイデンさま。やはり御具合が………」
「静かに! 頼む、静かにしてくれ」
こんなところで名前を呼ばれたくない。
俺の名前は異父弟と違って、珍しい名前なのだ。
シャルウッドベリの領地どころか、スコットランド戦争でイングランド各地、さらにガスコーニュやウェールズから集まった男たちの中にさえ、俺と同名はいなかった。それほど稀有。
あの女の耳に入ったら最悪だ。
赤毛のアミーリア。
最悪のお喋り女!
全身の産毛が逆立ち、毛穴開くほど生理的な拒否感が駆け巡った。次にあの女の目の前に立ったら、己の暴力的衝動を御する自信はない。
陰に潜み、身を屈めたまま覗く。
見間違いを期待したが、やはりアミーリアだ。
ひときわ派手な赤毛を見間違えやしない。
結わぬ赤毛を奔放に揺らして、丈長チュニックを翻すように歩いている。幼稚な足運びだ。そしてどこへ行くのかも定かでない足取りだった。
俺と顔を合わせれば、赤毛はたちまち思慮を欠いた発言を放つ。絶対だ。
あの赤毛は、俺が老商人殺しの容疑で州長官に捕らえられたと思っているはずだ。
シャルウッドベリの城にいては不審がるだろう。鉢合わせた途端に、州長官から逃げ出してきたのかと叫ぶに違いない。
いや、鉢合わせなくとも、エドマンドさまと顔を合わせれば、話題に俺が昇るのではないか?
そうだとしたら一巻の終わりだ。
俺が州長官の元から逃げ出したというアミーリアの妄言を、エドマンドさまや矮躯が信じてくれればいいが……むしろ俺が密偵だと感づかれるのではないか。
微かな疑念さえ危険だ。
念のために荷物を調べられれば、ご領主さまの一筆が見つかってしまう。
最悪だ。
自分の苦難を最も悪しきことだと嘆くなど、まったく卑しい心根だが、どうしても最悪だと思ってしまう。
ああ、どうして赤毛女がここに?
エドマンドの若君に呼び寄せられたのか?
………そもそも毒殺事件があったのに、事件を知る人間が自由に帰ってこれるのか?
故郷に戻ってきている俺が言うのも奇妙だが、裁判までは関係者は老商人の荘園に留め置かれる。容疑が濃ければペトロニラのように、州長官の管理下に置かれる。それが常識だ。
そう、俺と同じく、アミーリアとて城にいるのは不思議なのだ。
アミーリアは俺から離れた方向へいく。
「ヴィクトールさん、まあ、もう行ってしまうの?」
誰か知り合いを見つけたのか?
アミーリアがフランス語で話しかけている相手は、浅黒い肌とがっしりとした体躯の男だった。
おそらく四十路は越えて、年月を蓄積させたような濃い髭を繁らせてる。南フランスめいた顔立ちだった。ガスコーニュだろうか。スコットランドでもガスコーニュ出身の傭兵部隊がいたが、雰囲気が似ている。
旅装束を整えて、大きな合切袋を携えている。腰には剣。
俺からは距離があるが、あの中年の男から腕が立つ気配がする。
フランスかイタリアの傭兵か?
「あたしを助けて下さってありがとう。でもヴィクトールさんは懺悔していかないと、心がお辛いでしょう?」
「オレに懺悔は必要ない」
「でもこのままじゃ地獄に落ちてしまうわ。早く懺悔しなくちゃ。あなたの魂が可哀想だわ」
地獄に落ちる言われるほど、何をやらかしたのだ、あの傭兵じみた中年男は。
「貴様こそあの病弱跡取りの元にさっさと行け」
「本当に哀れなひと。あなたの魂が可哀想だって気づいてね」
泣きぬれた声で告げて、去っていく。
アミーリアは俺に気づかなかったようだ。
ほっとする反面、あの南フランスめいた男は何をしたのだ?
まさか老商人殺しに関わっているのか?
ヴィクトールの方は俺に気づいたかもしれぬが、虚空を一瞥しただけで厩と向かっていった。旅立つには遅すぎる時間だから、馬の手入れと馬丁たちへの挨拶か。
横のハムブレットは今までずっと静かだった。
俺の願いを聞いてくれたのだろう。
「さっきの方は矮躯の護衛ですよ。長いこと護衛を勤めていたらしいのですが、四十になったので辞して国に帰るそうですよ。何をなさったんでしょう」
「ろくなことではないな」
護衛を辞めるついでに、あの矮躯が薄汚い仕事を押し付けたのか。
老商人サースタン・ウォーターズの死の真相を何か知っているのだろうか。
人の気配が減り、俺は深い呼吸をする。
脇腹がまた軋む。
「ハムブレット。部屋に戻るが、先に浴布を用意しておいてくれないか?」
「畏まりました」
呼吸をするついでに空を見上げれば、雲は流れて果てていた。
赤金の空だ。
アミーリアの髪の色を思い出す赤さだ。世界になんともいえぬ不吉さを齎している。
ふと、さっきまで赤毛が立ち話していた場所に、何かが反射した。
金色の輝きがひとつ。
財布か何かの留め具か?
気なしに拾い上げる。
「………は?」
黄金の指輪だ。
掌にずっしりとした重みがあり、金線細工と粒金細工を組み合わせ渦巻き模様が描かれている。
目に映した記憶がある。
これは老商人サースタン・ウォーターズの指に嵌っていた黄金。
あの非業の夜、どこかに失われていた指輪だ。
まさかこれと再会するとは!




