21話 司教巡察は風物詩に非ず
………司教巡察。
春と秋に行われる教会の査察だ。ミカエル祭が終わったらやってくる。
村の司祭が囲っている女性を隠す風物詩と思われがちだが、教区の風紀を正す視察である。
すでに過去の夢路にいらっしゃる老司祭さまに城の魂の平穏を委ねたとあれば、罰金刑で済むとは思えない。
武装法廷だけでも絶望を催すに足る状況なのに、司教巡察まで来たらどうなってしまうんだ。
いや、武装法廷が訪れる前に、司教巡察が来てくれればマシなのか。
どちらにしても凄まじい負担だが、司法と司牧の二択ならまだしも司牧に救いがある。シャルウッドベリのお取り潰しは免れるのだから。
書記たちも別の意味で蒼褪めていた。
「サイモン司祭さえ戻って来て下されば、こんな! ここまで悲惨にならなかった!」
城付き司祭の名を叫び、祈る書記。
文字仕事という牧場では、書記は羊皮紙を纏う羊であり、ラテン語が得意な司祭が羊飼いとなって導く。
牧場に羊飼いがおらねば、羊たちが戸惑うのは当然だ。
「おお。聖母マリアよ、聖ラウレンティウスよ。その偉大な慈悲によって、我らがサイモン司祭の腰痛を癒したまえ……ついでに我が身の腰痛も。エイメン」
「ウォルシンガムまで巡礼したのに、ミカエル祭に間に合わないの間尺に合わんぞ」
「それはそれでサイモン司祭らしい」
書記たちが頭を抱えて愚痴り合う。
この城における本来の霊的導き手たるサイモン司祭は、巡礼途中で腰を痛めてしまったのか。
それゆえに帰途につけず、この惨事か。
「おい! もうこれ書き損じ過ぎて、羊皮紙ぺらっぺらだぞ」
書記が代官に怒鳴る。
「窓に張る用か?」
「卵白でなんとか…ああ、これは………なんとかなる、たぶん」
「もうだめだ、誤字の悪魔の袋がいっぱいだ! お助け下さい、使徒ヨハネさま!」
悲鳴なのか罵声なのか会話なのか。
ハムブレットまで溜息をつく。
「おっきな領地のミカエル祭総決算って、ここまで追い詰められるんですね」
「司祭が不在なのも大きいな。今年の日付も悪いが、総決算で司祭がおらぬのは、指揮官が不在の前線に等しい」
俺は北狄遠征のミカエル祭を思い出す。
もちろん補給基地でも総決算が行われていた。
特に羽根ペンと羊皮紙が混乱に陥ったのは、クレシンガム財務官が戦死した年だ。
財務官の部隊が壊滅して、割符や羊皮紙は北狄兵の燃料か、あるいは踏みにじられて、泥にまみれて土くれになってしまった。
しかもミカエル祭総決算二週間前に。
あの年の補給基地での総決算は、書記たちの絶望の重さで羽根ペンは折れ、インクと等しく涙が流された。
そして決算は延期された。
クレシンガム財務官の戦死は八年前だが、俺が従軍している間ずっと遡及を続けていた。
たぶん今でも補給基地で、書記たちが魂から血反吐してあの年の遡及決算しているはずだ。いつ終わるのだろう。永遠に終わらない気がする。
「ジェイデンさま。顔見知りが見つからないなら、もうお暇致しませんか?」
「ああ、いや、もう少し……」
俺の目的は公印の指輪だ。
書記たちの狂気に圧倒されて、過去に流され、呆けてしまった。それどころではない。
荘園官はどこなのだろう。
おそらく今の荘園官は、ご領主の信に足る家臣ではなく、悪徳騎士の息がかかった人物だろう。俺に協力してくれるはずがない。
だが荘園官が公印を管理しているはずだ。
公印は昔から鍵付きの箱に厳重に保管されている。
ただミカエル祭の裁判の時期だけは、公印を使う頻度が高い。一瞬だけ公印が姿を消したところで、誰かが使っていると思うだけだろう。
エドマンドの若君の寝込みを襲うより、勝算はあるか?
思案しつつ、崖っぷちの限界になっている法廷館を、邪魔にならないように歩いていく。
書記たちの合間を、奇矯な身なりの芸人も行き交っていた。
派手な衣装は、冒涜的なまでに目立つ。
「大広間にこそふさわしい芸人が、どうして法務の間にいるのだ?」
「あいつらはマストロピエロ殿の手下です。漂泊の芸人たちから領内の噂を買い取ったり、方々へ手紙を届けたりさせているんですよ。悪口が上手だから、気を付けて下さいね」
ハムブレットが憎らしげに忠告してくれた。
遍歴学徒、矮躯のニコーロ・マストロピエロ。
背丈は子供で、声は青年。だが歯の黒さと歯茎の痩せ具合は老人だ。
俺を殺せと告げた声を忘れたわけではない。
「彼が法の執行を? 荘園官ではなく?」
「どっかから都合のいい荘園官を雇って、表向きの仕事をさせているって噂ですし、ほんとだと思います。裏ではあの矮躯が威張って采配してますよ」
あのヴェネツィア人はイングランド法曹に長けているのか。
イングランドの法律を犯さず、重税を課している。
悪徳の知恵袋か。
………だとしたら、まさか公印も彼が持っているのか?
「いっつも狼毛皮と猟犬たち引き連れて、精力的に威張り腐ってます」
護衛も万全か。
狼猟師と、それに従う猛犬たちでは勝ち目がない。匂いで感づかれてしまう。
「食事だって文句をつけながら、五皿も七皿も平らげて」
「小柄なのに?」
「むしろご自分の背丈がお小さいのを言い訳に、食事を一日に三度も召し上がります。チーズクロスで濾させたポタージュとか、火で炙らせたチーズとかデーツのジャムとか、柔らかいものをお好みですね。今日の串焼きだって、さんざん細切れにさせてましたよ」
「あの歯ではさもありなん」
飽食の末路たる歯の黒ずみっぷりだった。
凝った瘴気を想像すると、鳥肌が立ちそうだ。
「煮込みより炙りの方が高貴なのに、煮込みを好んでいらっしゃいますね。あとソースの好みが独特で、にんにく入り果実ソースを作らせているんです。ソースのとろみにもうるさくて、つなぎはパンじゃなくて米粉がいいとか、今日はレバーにしろとか」
飽食だけでなくとんだ美食家だ。
罪深い。
「しかも食事を肉叉で食べているんですよ、肉叉で! あんなのでどうやって豆や肉を食べるんですかね。神さまに与えられた指があるのに、そんな道具を使って食べるなんて頭がおかしい」
「それは倒錯的だな」
俺の相槌に、ハムブレットの声が増す。
「ええ! 奉公人たちも肉叉使うなんて、両性具有だって言って……」
「やあ、やあ、やあ。元気そうじゃないか、メアリの息子ちゃん」
矮躯がいた。
「ぴゃっ!」
ハムブレットの丸いほっぺがたちまち萎む。短足をばたばたさせて逃げ、羊皮紙が突っ込まれている壺の陰に隠れた。
滑稽が極まった様子を矮躯は無言で嘲弄する。どす黒く欠けた歯を剥き出しにして。
なんとも醜悪極まりない笑みであった。




