呪う者
ざく、と乾いた音がした。
玉砂利を踏む音だ。境内は参道の石畳以外、玉砂利が敷き詰められている。
一歩目の後、しばしの間があった。月のない夜、社叢に囲まれた境内は街灯の灯りも届かず暗闇に支配され、静寂の中に響いた玉砂利の音は二歩目を躊躇うほどに大きく感じたことだろう。
意を決したように、ゆっくりと歩が進められる。ざり、ざり、と慎重な足運びが音でわかる。
石畳の参道を外れ、歩き回る。それと同時に光が揺れていた。人工的な灯りだ。スマホのライトを懐中電灯代わりに翳して、境内の中を探索するように照らしている。
その灯りが、ある一点に留まった。そこを目標と定めたのか足音はわずかに加速する。
しかし、その目標近くで再び音は止まった。灯りはまるで、何かのコンテストで受賞者を照らし出す演出のようにぐるぐると動き回っていた。
探しているものが見当たらない。そんな焦りと戸惑いが、灯りの不規則な動きに現れている。
「いくら探しても松の木なんてありませんよ」
その呼びかけに、動き回っていた灯りが消えた。背面を伏せる形でスマホを取り落としたようだ。
代わりに紅音が自身のスマホを掲げて、その人の顔を照らし出した。
「ようお参りでございます、先輩」
スウェット姿で荷物を抱え、小さな照明の中に姿を現したのは見覚えのある顔。
笠井涼大という、男子バレー部員だった。
「ですが、残念ながらこの時間では御祈祷は受け付けておりません」
涼大が抱える鞄からは何かがはみ出している。藁の束、のようなもの。涼大は慌てて鞄を自身の背に隠した。
時刻は午前二時。丑三つ時と呼ばれる時間帯である。
そんな時間に、紅音は巫女装束を纏って唐突に現れた。もちろん奇術でもなんでもなく、蔵の中に身を潜めていただけだが。スマホという世俗的な道具を手にしていなければ、何かの心霊現象に思えただろう。
準備万端で待ち構えていたことは考えなくてもわかる。自分は誘き出されたのだ。笠井涼大は何かを言いかけ、紅音のスマホを苦々しく睨みつけて口を噤む。録画されているのを察したようだ。
月のない、新月の丑三つ時。蔵の傍に生えている、枝が二股に分かれた松の木。
それを紅音が伝えたのは涼大と菜々花の二人だけ。
松の木なんて最初からここにはない。紅音が咄嗟に思いついた、もっともらしい作り話である。蔵を目印に近寄ってきても、そこには離れがあるのみだ。
「昨日わたしが処分した藁人形が先輩のものだとなぜわかったのか、と言いたかったのでしょうか」
先ほど出そうになった言葉を紅音に言い当てられ、涼大はぐぅっと喉を鳴らした。
「簡単なことです。あの藁人形はずいぶん高い位置に打ち付けられていました。木についた傷と光都を並べて見てもまだ高かった。光都の身長は一七四センチですから、そこから犯人のおおよその身長は割り出せます。普通、大工仕事などの目的なく何かに釘を打ち込もうとすれば、その人の目線の高さになりますから」
朝、参道の階段で光都を呼び止めた時に確認した。彼女の身長を知っているのは他でもない本人が得意げに報告してくるからだ。
早朝の掃除と登校時に気づかなかったのも、その高さゆえだろう。階段の掃除は智春の担当だが、父は光都より少し背が低く、忙しい時間帯に下を向いて掃き清めていれば視界に入らない。藁人形は公道に面した側に打ち付けられていたから、登校のために階段を降りていった紅音にも見えなかった。
そこまでの高身長となると男性でも限られてくる。そしてその藁人形に名前が記されていた笠井涼大は、教室のドアの上枠すれすれまである長身の持ち主だ。
「正直、うちにはよくあることなんです。なのでこの一件のみをどうこうして、問題が解決するわけではないのですが……現行犯となれば話は別ですので」
「犯人だの、現行犯だの、そんな犯罪みたいに……」
涼大が不服そうにつぶやく。撮られていることよりも、糾弾されることのほうが耐えがたいようだ。
「当社の敷地内で管理している樹木を故意に傷つけたことによる器物損壊罪。正当な理由なく私有地に立ち入ったことによる建造物侵入罪。神社は祈りや憩いの場です。本来の用途から逸脱した目的での立ち入りは、施設管理者が不当と判断し訴えた場合、逮捕起訴も充分にあり得ます」
つらつらと淀みなく答えてやると、涼大はわずかに青ざめた。己の行為が法に触れるなどとは思ってもみなかったのだろう。所詮は高校生。子供なのである。
「……だって、こうでもしないと、あいつが別れてくれそうにないから」
背後に隠していた鞄を腹の前に抱え直し、涼大はぼそぼそと弁明を始めた。
身勝手な言い訳なんて聞きたくない。しかしカメラの前で自白してくれるというのなら、うんざりするような自分語りに付き合うのもやぶさかではない。
「けれど、先輩は呪いなんて信じていらっしゃらないでしょう?」
紅音の問いに涼大は目を瞠った。それから苦々しく、巫女装束の紅音を蔑むように醜く笑う。
「当たり前だろ。呪いなんてあるわけない。そんなもん信じてるのは馬鹿な女子だけだ。――あいつみたいな、な」
「……だから、自分たちが別れることを誰かが願って呪っていると、山川先輩に思い込ませたかったわけですか」
山川菜々花が見せた画像。あれは藁人形に対し真正面から至近距離で写したものだった。打ち付けた人間と撮った人間は同じ身長か、同一人物ということになる。
呪いは人知れず行うものだ。しかし涼大は呪いを恋人である菜々花に見せつけたかった。
「笠井先輩から別れを切り出しても呪い巫女――わたしのせいにしてしまえば、彼女の怒りの矛先は先輩ではなく、わたしに向かいますものね」
最初は縁切り神社の噂だけを利用するつもりだったはずだ。しかし、予定が変わった。紅音が藁人形を撤去している現場に遭遇し、その隠し撮りに成功したから。
犯人は現場に戻るというが、彼の場合もそうだったのだろう。自分の打ち付けた藁人形がその後どうなったのか気になったに違いない。ランニングなどのふりをして神社の前を通りかかりでもしていたなら、ただの日常風景として気に留めることもなかったはずだ。
実際、呪いやなんかの噂に無頓着そうなスポーツ少年たちが卯山神社の長い階段を走り込み練習に使っていることがある。彼らは紅音や智春、里穂子に会えばチワッス! と元気よく挨拶をするし、拝殿前で柏手を打って礼をすることも忘れない。他の参拝客がいる時には走るのをやめて別のトレーニングに切り替えるなど、弁えている。
神社とは本来、そういった者たちの祈りと憩いの場である。恋人に別れを告げる時、己が悪者にならないよう他人を巻き込もうとするような輩のためにあるのではない。
「山川先輩は呪いや占いなどの霊的なものを気にして振り回されやすい性格でしょう。そのうえ同性に対して攻撃的な一面も持っています。そういった気質をよく知っているからこそ、彼女がわたしを憎むよう仕向けたほうが得策と考えた。けれど、彼女がうちの教室まで殴り込みに来た挙げ句、わたしに呪いの効果を否定されたのだから困りましたね?」
挑発的な紅音の指摘に涼大は憎々しげな目を向けた。
藁人形と呪いの言葉を記した紙の画像だけなら、彼の計画は思い通りになっていたかもしれない。しかし紅音にすべてを押しつけて自分の逃げ道を作ろうと欲をかいた結果、せっかく手間暇かけた小細工が台無しになってしまった。呪いは無効、藁人形は適切に処分したと言われた時の菜々花の安堵に、涼大は焦ったことだろう。
「けれど、幸いなことに藁人形には予備があった。そちらは通販でお買いになったものでしょう?」
インターネットの大手通販サイトで検索したら真っ先に出てくる藁人形の手作りキットには材料が二個分入っている。
「きっとまた、おいでになると思っていました」
涼大には時間がない。菜々花が旅立つ前に別れを成立させたかったはずだ。だから紅音の指定した日時、場所にまんまと誘き出されてしまった。




