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神様とシェアハウス

 夕飯のクラムチャウダーをたらふく食べた梛紗は、離れに移るや否やリビングのソファに寝転がって我が物顔で寛ぎはじめた。

「言っておくけど、わたしはあなたに負けたんじゃない。自分の信心深さに負けたのよ」

「その信仰心で俺を敬ってほしいんだがなぁ」

 ソファからはみ出す長い脚をぶらぶらさせている梛紗に、腕組みをした紅音が冷たく見下ろしながら告げる。

 負け惜しみなどではない。決して。

「お前の母君は面白い御仁だな。おかげで寝床を確保できた。それに父君はなかなかに霊力が強いとみえる。俺のことをどこまでわかっていたかは知らんが、捨て置けぬものと感づいていたようだ」

 穏やかな父にそのような一面があったとは知らなかった。さすがにそれは想定外である。つまり計算ミスではないということだ。紅音は胸を張った。

「あ、あの。紅音様」

 緊張した声音が低い位置から聞こえた。カーペットの敷かれていないフローリング部分、硬く冷たい床板の上で正座した雪緒が丁寧に両手をついて頭を下げる。

「昨日のこと、まことにありがとうございました。……だというのに、私の不用意な発言により更なるご迷惑をおかけすることになってしまい申し訳ございません」

 床に伏せる幼い姿に、昨日助けた子うさぎの面影が重なる。紅音は腕組みをしたまま溜め息をついた。それから雪緒のそばに膝をつき、そっと頭を撫でる。

「それはもういいわ。現状を覆せないのなら、次善の策を実行すべきね。この人のことは存分にこき使うから、あなたもそのつもりでいてちょうだい。それと――」

 雪緒に顔を上げさせ、紅音はやや困ったように言った。

「紅音様、なんて呼ばないで。少なくとも父や母、他の人の前では。こんな子供にそんなふうに呼ばせるなんて何事かと思われてしまうでしょう。『私』なんて一人称も不釣り合いだわ。改めなさい」

 あんなふうに図々しくなれとは言わないけど、と梛紗へ視線を向けながら付け足す紅音に、雪緒は少し悩んでから上目遣いで、おずおずとつぶやく。

「で、では……紅音、お姉ちゃん……?」

 これで良いだろうかと様子を窺う雪緒を、紅音は表情を変えることなく見つめた。たっぷり五秒。居心地悪そうにそわそわし始めた雪緒だったが、紅音はおもむろに彼の手を取って何かを握らせる。部屋着のパーカーのポケットに入れていたメロン味の飴玉だった。

「あげるわ。報酬よ」

「え? え?」

「疲弊した私の精神が、わずかながら回復したわ」

 ようするに癒やされたということである。

「えー、いいなー。俺にもくれよ紅音お姉ちゃぁん」

「は?」

 疲弊の一因である梛紗がきゅるるんと上目遣いでねだってくるが、紅音はそれを斜睨みで一蹴する。

「わたしから何か貰えると思ってるの? むしろここに住む以上、家賃が発生しているのだけど?」

「そんなこと言われたってない袖は振れんさ」

「だったらツケにしておいてあげる。働いて返してもらうわよ」

 言い捨てて、紅音はリビングを出た。梛紗と雪緒の部屋を決めなければいけない。

 離れの間取りは一階がリビングとダイニングキッチン、風呂場などの水回りと和室が一室。二階には洋室とウォークインクローゼットがあり、紅音が使っている。

 シェアハウスとして貸し出そうとした際に少々手を加え、どの部屋にも個別に鍵がついている。脱衣所と浴室もそれぞれ内側から鍵を掛けられるようになっており、洗面台は一階と二階それぞれにある。他人と同居するうえではこれ以上ない条件が揃っていた。

 和室に加えてリビングも部屋として使える。つまり一階の水回り以外はすべてプライベート空間として提供できるわけだが――

「あ、あの、私……じゃなかった、僕には部屋は必要ありません。玄関の靴脱ぎ場で充分です」

 紅音が部屋割りを考えているのを察した雪緒が申し出てくる。殊勝なことだがそんなものを認めるわけにはいかない。

「何を言っているの。それじゃあわたしが子供を虐待しているみたいになるじゃないの」

「ですが、二つもお部屋を頂いてしまったらお家賃が嵩みそうですし……。それに――」

 雪緒が目を閉じる。その輪郭がぽわりと淡く輝いて、光が収縮した。少年の姿は消え失せ、そこに現れたのは――

「このとおり、僕は小さくなれますので」

 小さな白いうさぎ。鼻をひくひく動かして、雪緒の声で喋っている。なぜだかちょっと得意げだ。しかし。

「わたしはあなたを人間の子供としてここに住むことを許可したのよ。うさぎを飼うつもりはないの。でも、部屋はひとつで良いと言うなら、そうね。二人同室でいいかしら」

「俺とお前の同室か? 大胆だなぁ」

「あなたの寝床を玄関にしてあげてもいいのよ?」

 冗談で口を挟んでくる梛紗には視線もくれず、紅音は応酬した。梛紗はソファに寝転がったまま、つまらなそうに紅音を見上げる。

「ここはお前の管理する家だ。俺たちはお前の決定に従うさ。なぁ、雪緒?」

「は、はい。梛紗様がそう仰るのなら……。それにしても、本当にまったく驚かないのですね」

 うさぎの姿で小首を傾げる雪緒。人間の時と違って表情はわかりづらいが、何かを探るような目をしていた。

「これまでの状況を鑑みれば充分予測可能な現象だわ。それとも、驚かせたかった?」

「い、いえ、そんなことは……」

 慌てて否定するものの、落胆している様子だ。その雪緒の頭に、しゃがみ込んだ紅音はそっと手を伸ばす。ふわふわで、すべすべで、温かかった。

「それより、怪我はもういいの?」

 うさぎ姿の前足にはまだ包帯が巻かれていた。紅音が問うと、雪緒の耳がぴっと立ち上がる。

「はい、もう平気です。良い医師のもとへ連れていっていただけましたから。それに、眷属として梛紗様の霊力をいただいていますので、明日には痕も残らず治るはずです。……ところで、あの、治療費のことなのですが……」

「あぁ、それなら心配いらないわ。わたしが勝手に連れて行っただけだもの。わたしの判断なのだから、費用はすべてこちらで負担するのは当然でしょう? あなたは元気になることだけを考えなさい」

「紅音さ……お姉ちゃん……!」

 つぶらな瞳をうるうるさせて雪緒が見つめてくる。その視線をふいっと避けて、紅音は立ち上がった。

「それじゃあ、あなたたちはそこの和室を使ってちょうだい。押し入れに布団が入っているから自分で出してね」

 言い置いて、紅音は二階へ続く階段に向かった。

「もうお休みになるのですか?」

 人の姿に戻った雪緒が尋ねる。時計はまだ午後七時半だ。

「学校の課題を済ませてお風呂に入ったら寝るわ。わたしはあくまで、あなたたちに住居を提供しただけ。愉快な団欒を共にする義務はないわね」

 シェアハウスで暮らす住民同士が親しくなるのは物事を円滑に進めるうえで有効だろう。しかし必ずしもそうならない場合も多々あるし、義務ではない。個人主義の現代、煩わしい交流なしを売りにしているシェア物件もある。

 ここは今日からシェアハウスとして機能する。よって紅音もシェアハウスの住民兼大家として振る舞う。それだけだ。

「……承知いたしました。おやすみなさいませ」

 わずかに寂しげな表情を浮かべた雪緒だが、物わかりよく一礼した。

 梛紗は相変わらずソファに寝転がったままで何も言わない。

 互いが互いに興味なし。紅音はさっと身を翻し、階段を上っていく。

 ポケットから出したスマホのアラームを、午前一時半に設定しながら。

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