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例祭

 雅楽を演奏する伝統保存会との打ち合わせに通し稽古、臨時バイトをしてくれる光都の研修等を経て、五月最後の週末。

 その日は卯山神社の例祭であり、何の因果か紅音の誕生日であった。

 十六歳。紫野にはそれより先の未来は訪れなかった。

 自室の鏡に向かい、白粉をはたいて紅を差す。舞の衣裳に合わせた化粧を自ら施していると、同じく紅音の部屋で着替えていた光都が帯を結べず混乱した声を上げた。

「あれ? これ右だっけ? 左?」

「仕方ないわね」

 紅音は嘆息し、すでに着崩れている光都の白衣を整え、細帯を結び直す。さらに緋袴を穿かせ、まるで侍女のように身支度を整えてやった。

「ごめんね、次からはちゃんと思い出して自分で結べるようにするから」

「……いいのよ。あなたは何も思い出さなくても」

「それクビってこと!?」

 涙目になる光都に、袴の紐を結びながら紅音はひっそりと苦笑した。彼女の前では『高継紅音』としての顔を崩さないよう努めなければ。

 光都が過去を、『いと』の記憶を思い出さないように。

 小学生の頃、転校してきた光都の顔を見た時は驚いた。姉妹同然の魂が引き合わせた因果だろうか。間違いなく、彼女はいとだった。

 しかし紅音とは違い、光都は何も覚えていない。覚えていないのに、ライバルだなんだと言って紅音の傍について回る。彼女を置いて死んだ紫野を許さないと言ったその言葉を証明するかのように。

 光都にかつての記憶が眠っているのか、それはわからない。しかし彼女には忘れたままでいてほしかった。

 紫野の惨い死に様を見せ、辛い役目を背負わせてしまったのだ。それを思い出してほしいなどとは思わない。

「貸衣装屋さんで合うサイズがなかったから、わざわざ発注したのよ。繁忙期ごとに働いてもらわないと赤字になるわ」

 袴の裾が寸足らずになっていないのを確認し、立ち上がって光都の顔を見上げた。

 付け毛をして長く見せかけた髪を水引で結んでいるその顔は、あの頃のいとより少し大人っぽい。

 稚児に間違われるほど背が低かったことを気にしていて、生まれ変わったら男より大きな女になってやると騒いでいた彼女がまさか本当に長身の持ち主になるとは。よほどの情念だったのかと、身体測定のたびに笑ってしまいそうになるが大変だった。

 あるいは、紫野がそよの乳を横取りして飲んだというクレームは的を射ていたのか。今世での光都は一人っ子で両親の愛情を一身に受けている。

 そんな光都の誕生日は十日前。そこまで、かつての関係と同じだった。


 身支度を終えて社務所に向かうと、梛紗と雪緒が先にいて開所の準備をしていた。

「おぉ、紅音。いいところに。朱肉の色が薄くなってるんだが替えはどこだ?」

「後ろの棚よ。一番上の引き出し、右から二番目」

 事務員同士のような自然なやりとり。ここは互いに職場なのだから私情は挟まない。

 当然のことだ。これまで創り上げてきた『高継紅音』という存在は卯山神社には欠かせない存在であり、高継夫妻にはかけがえのない一人娘である。いまさら辞めるなんてできない。

「光都はここで御守りや絵馬の授与をお願いね。今日限定の御札を買った人には必ず引換券を渡すのよ。その券を白いテントのところに持って行くと冷やし飴一杯無料で飲めるから。わからないことがあったら梛紗に訊いて」

「まかせて!」

「梛紗は御朱印の対応と光都のサポート、それから御祈祷の受付をわたしと交代でやるわよ。今日の御朱印は書き置き分をお渡しして。もし足りなくなったらわたしが書きにくるから。お父さんは御祈祷で忙しいから呼びに行かないでね。休憩とポジション交代はローテ表通りにお願い」

「承知した」

「雪緒はテントで、お母さんと一緒に冷やし飴の販売。子供がいるとご高齢の氏子さんが喜ぶからね」

「は、はい」

 てきぱきと指示を出し、紅音は簡易で設けた祈祷受付所に向かった。

 境内では近隣の飲食店が屋台を並べ、営業準備を始めている。たこ焼きに焼きそば、フルーツ飴に綿菓子。自転車販売修理店は店長自らがヨーヨー釣りの店を出していた。

 受付を開始すると氏子を中心に厄払いの依頼が続く。

 昼近くになると縁日目当ての参拝客が増えてきた。いつもより豪華にした花手水も好評で、ひっきりなしに撮影の客が群がっている。

 日曜ということで子供の姿も多い。書道教室で見知った顔の子供たちが浴衣を着て、保護者に連れられている。初めて祭りに参加した生徒の中には、ここが神社だったと知らずきょろきょろと境内を見回している子もいた。

「あ、紅音ちゃん!」

 猫柄の浴衣を着た萌歌が受付の紅音に気付いて駆け寄ってくる。手には綿菓子が握られていた。

「紅音ちゃん、今日はこの後、舞をやるんでしょ? 見ていっていい?」

「ええ、もちろんよ。お祭り楽しんでいってね。あと、危ないから綿菓子は座って食べるのよ」

「はぁい!」

 萌歌は元気よく返事をして、書道教室の友達の輪に戻っていく。その後ろ姿が郷の子供たちを思い起こさせ、紅音はわずかに目を伏せた。しかし、すぐに人の気配に気付いて顔を上げ――驚きで目を瞠る。

「わぁ、高継さんって本当に巫女さんなんだぁ」

 そこに立っていたのは彩友だった。ジーンズ姿に大きなレンズのカメラを持っている。彼女の背後には琴美と、そしてクリストファがいた。

「光都くんが巫女さんのバイトするって言ってたから、これは絶対に写真撮らなきゃと思って来ちゃった」

「わたしは嫌だったんだけどぉ、彩友がどうしてもって言うから付き添い」

 そう言い訳する琴美だったが、ばっちり浴衣を着ている。女子高生らしいラメ入りの華やかな浴衣だ。

「僕もknightから聞いて来まシタ。本物の巫女神楽、楽しみデス。駅でチョット迷ったケド、二人が声をかけてくれて助かりまシタ」

 初めてのバイトがよほど嬉しかったのか、いろんな人に言って回っていたようだ。困ったものである。

「ようお参りです。光都なら社務所にいるけど、話すなら休憩中にしてね」

 そう告げると、彩友は笑顔で頷いた。

「うん、わかった。高継さんもお仕事がんばってね」

「わたしいちご飴食べたぁい。ねぇクリス先輩も一緒に屋台で何か食べませんかぁ?」

 琴美は猫なで声でクリストファに距離を詰める。どうやら美男子なら誰でも良いらしい。駅で声を掛けたのも、おそらくは琴美だろう。

「僕は御祈祷、受けてみたいデス」

 クリストファの返事に、琴美は一瞬つまらなそうに唇をへの字に曲げた。しかしすぐ笑顔で取り繕う。

「じゃあそれが終わったら一緒に遊びましょ! ――高継さん、なる早で終わらせて」

 紅音にこそっと耳打ちし、琴美は彩友と屋台のほうへ去っていった。

 残されたクリストファは紅音に向き直り、微笑む。

「御祈祷、お願いしマス」

「では、こちらに氏名と住所をお願いします。用紙の一覧から御祈願内容をお選びいただき、丸をつけてください。わからない言葉があれば訳しますのでご遠慮なく」

「Oh,thanks」

「御祈祷料は――」

 紅音の言葉は途中でかき消えた。

 火花が弾けるような、否、もっと大きな破裂音によって。

 用紙を差し出した紅音の手に、クリストファの指が触れた瞬間であった。

 決して静電気などではない。それは紅音が身に纏っていた、梛紗による加護が破られた音だった。

「……くそっ、痛ってぇな」

 苦々しく吐き捨てられた恨み言。

 それはクリストファの声ではあったが、彼の言葉ではなかった。

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