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縁結びの扇

 妻と娘を伴い、社を訪れた直利が話した顛末を梛紗は黙って聴いていた。

 否、何も言えなかったのだ。

「紫野が嫌だと言うのなら、たとえ改易に追い込まれたとしてもそれを尊重するつもりです」

 沈痛な面持ちで直利は続ける。照は困惑と動揺を隠しきれない様子で落ち着かない。

 そして紫野は伏し目がちに俯いたまま、梛紗と視線を合わせようとはしなかった。

「しかしながら、紫野は民を巻き込みたくはないと。私も如何するのが最善かわかりませぬ」

「けれど御前様、蓮井様は娶った女を次々に死なせているのですよ! そんな恐ろしい家にこの子を嫁がせるなんて!」

 照がたまらず叫ぶように訴える。彼女はこの縁談に反対の姿勢を取っているようだった。母親として当然の反応だろう。

 直利は座したまま額に手を当てる。その眉間には深い皺が刻まれていた。

「病で弱っていた女たちを哀れんで引き取り看取ってやった結果だというのも、幼子のために次は心身の丈夫な娘を新しい母として迎えてやりたいというのも、筋は通っている。人質としての婚姻や養子縁組は、叛意なしと内外に知らしめる手段でもあるのだ。それを拒否すれば兵を差し向けられてもおかしくはない」

 夫の言葉に照は唇を噛みしめる。彼女もそれを知らぬわけではないのだ。けれど、理屈と感情は必ずしも一致しない。

 人質は和平の手段のひとつだ。敵対者と和睦する際や力のある家臣から人質を取っておけば裏切りの妨げとなる。いらぬ血を流さずに済む。

「人質としての価値を求められているのなら、悪いようにはされるまい。まして命を奪われるなど……。御館様は本当に、椿壽丸様のために良き妻を求めておられるのかもしれぬ。だが、私にはどうにもあの方の御心がわからない。一体、我らはどうすべきなのか……」

 もはや独り言のように直利は言い、ひとつ大きく溜め息をつくと顔を上げて梛紗へ視線を向けた。

「そこで、梛紗様に御力を貸していただきたい。もしこれが紫野にとって良き縁であるなら縁談を受けようと思います。しかし悪縁であれば切ってくだされ。その時は戦も辞さぬ覚悟と、我が家中の者等も口を揃えております故」

 梛紗は黙ったままの紫野をただ見ていた。直利の言葉のすべてが耳を素通りしていく感覚。気が遠くなる。

 直利と照は何も知らない。紫野が話す機を逸したのだろう。彼らはただ親として娘の幸福を願っている。

 たとえ人質としての婚姻でも、結果的に笑って暮らせるのならばそれで良い、と。

 だが、梛紗にはそんな占いのような力はない。ただ望まれた縁を結び、切るだけ。あくまで補助的な力だった。

 当人の望まぬ縁をどうこうすることはできないし、対価なしに天命は変えられない。

 直利も照もわかっているはずだ。

 けれど、それでも神の力に縋りたい。選択を誤る確率を少しでも下げたいという思いは痛いほど伝わってきた。

「紫野」

 ようやく梛紗は言葉を発した。自分でも驚くほど掠れた声だった。

 名を呼ばれた紫野は身じろぎひとつしない。しかし、その紅く染まった瞳はわずかに揺れていた。

 彼女には、選べない。その選択には民の命が掛かっている。人質として求められる紫野にとっては、両親をはじめとする郷の者全員が人質だった。

「……わかった」

 静かに答え、懐から扇を取り出した。部屋の隅で控えていた雪緒がそれを見て息を飲む。

 縁結びの扇。かつて眷属になることを対価に雪緒の命を繋ぎ止めた扇だ。

 だが案ずることはない。この縁を当人が、紫野が望まない限り、結ばれることはない。

 結ばれないなら悪縁なのだと言い訳できる。すべてを梛紗のせいにして、敵を迎え撃つことになろうとも。

 そうだろう、紫野。

 願うように心中で語りかけ、梛紗は開いた扇を振るった。

 風が渦巻き紫野の周囲に光る糸が踊る。迷うようにくるくると部屋の中を滞留し、しかし行くべき道を見定めたかのように社の外へ出て鳥居を潜り、消えた。

 それを梛紗は愕然を見送る。

「あれは御館様の屋敷の方角……」

 糸の行く先を悟った直利は項垂れ、けれど意を決したように梛紗に頭を垂れた。紫野と、照も戸惑いながらそれに倣う。

「御神託のままに致します」

 そう言って直利は妻と娘を促し、社を辞した。

 違う。神託なんかじゃない。これは何かの間違いだ。

「梛紗様……」

 社に取り残された梛紗に、雪緒が物言いたげに呼びかけた。その声に弾かれるようにして梛紗は外へ飛び出す。

 両親から少し離れ、俯きながら帰路へつこうとしている紫野の背中が見えた。

 彼女が鳥居を潜る。行ってしまう。そう思うとたまらず、駆け寄って梛紗はその袖を掴む。

 けれど紫野は振り向かなかった。

「……梛紗。わたしたち、友達でしょう?」

 頑なに顔を伏せたまま、紫野は言う。その声はひどく冷たかった。

 手から力が抜ける。掴んだ袖がするりと指を離れる。途端、紫野は走り去っていった。

 鳥居の下に残された梛紗には、もうそれを追うことはできなかった。

 なぜ、彼女が自分を選んでくれると自惚れてしまったのだろう。

 わかっていたはずだ。小さな子うさぎのためにその命さえ投げだそうとした紫野には、民を見捨てることなんてできないと。

 こんなことなら、あの時、紫野の答えを妨げなければ良かった。

 眷属として囲い、隠してしまえば良かった。

 この焼け焦がれる想いの正体にもっと早く気付いていれば、こんなことにはならなかったのに。

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