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嘘の代償

 びぃゃん! と琵琶の弦がおかしな音を立てた。驚きのあまり撥で強く引っかけてしまったのだ。

「え? え? な、なんて?」

 だらだらと汗が噴き出す。まさかそんなわけないと思い問い直したが、梛紗は一字一句同じことを口にした。

「お前が俺を恋い慕っているというのは本当か?」

「……誰がそんなことを?」

「茂吉がみつと口喧嘩しながら言ったんだ。『梛紗様は紫野様みたいな美人に恋い慕われて羨ましい』って」

 茂吉この野郎、と内心で毒づく。しかも、いくら売り言葉に買い言葉だったとしても、みつに失礼だ。

 それにしたって他人から見ればそんなにわかりやすかっただなんて。忍ぶれど色にいでにけり、である。

 梛紗はじっと紫野の返事を待っていた。これはさすがに無言で通せない。

「……まさか、そんなわけないよ。だってわたしたち、友達でしょう?」

 自分で言って、胸の奥深くが爪を立てたように痛む。それでも懸命に笑顔を作り、誤魔化した。

「そうか。やっぱり、そうだよな」

 そう言って梛紗は細く長く溜め息をつくと、今度こそ部屋を出て行った。一蹴りで空高くに舞い上がり、すぐに姿が見えなくなる。

 障子は開けたままで文句のひとつも言いたいところだが、なんせ顔が火照って熱いので丁度良かった。防寒のために羽織っていた小袿も脱ぎ、ぼんやりと夜空を見上げる。

 しばらくそうして夜風に当たっていると、体が冷えてきた。障子を閉めて、火鉢の側へと這い戻る。

 そこにあったのは、梛紗が置いていった橘の枝。

 手に取り、すぅっと息を吸い込む。爽やかな香りがした。

 そして意を決し、実をもぐ。

 固い皮をむいて中の実を一房、口の中へ。途端、舌の根を突き刺すような酸味が拡がった。

「酸っぱぁ……」

 呻くように言って、目尻に浮いた涙を袖で拭う。

 なんて馬鹿馬鹿しいことをしているのだろう。そう思うと可笑しくて笑ってしまった。

 その忍び笑いに重なるように、悲鳴じみた物悲しい声が響く。

 餌を求め、山から郷近くに降りてきて鳴く虎鶫(とらつぐみ)の声だった。



 その朝、浜戸の屋敷は大変な騒ぎとなった。

 いと、そよ、照の悲鳴。直利の取り乱した声。下女や下男のざわつきに、集まる郷の人々。

 当然、耳の優れた梛紗と雪緒にもその喧噪は届いた。急ぎ駆けつけ、門前に立つと、集まった者らが一斉に梛紗へ視線を向けた。

「何事だ?」

 誰にともなしに問うと、すぐに屋敷の下男が「殿様がお呼びです」と二人を招き入れる。

 紫野に何かあった。それだけは察せられた。この騒ぎの中で、彼女の声だけが聞こえなかった。

 不安そうな雪緒の視線を感じつつも、梛紗にも何が起きたのかわからない。

 昨日の晩に紫野の部屋を訪ねた時には異変はなかったはずだ。そう思いつつ対面の間で待っていると、直利に手を引かれて紫野が現れた。

 立って歩いている。それにひとまず、ほっとした。しかし彼女は俯いたままで、乱れた長い黒髪で顔が隠れて見えない。

 代わりに直利が縋るような声で梛紗に訴える。

「あぁ、梛紗様。どうかお救いください。わが娘が得体の知れない怪異に冒されてしまったようなのです」

 そう言って直利は紫野をぐいっと梛紗の前に押し出してきた。

 つんのめって転びそうになる紫野。その両肩を掴んで受け止め、視線が交わる。

 見えたのは、鮮烈な赤だった。

 紫野の左目。その瞳が深紅に染まっている。傷や病で腫れているのとは明らかに違った。まるで宝玉のような輝きに、梛紗は息を飲む。

 それを嫌悪とでも受け取ったのか、紫野は目を瞑って顔を背けた。

 いと、そよ親子に照も不安げに見守っている。しかし梛紗には心当たりがあった。いや、心当たりしかなかった。

「紫野。お前、嘘をついたのか?」

 梛紗の困惑した声に張り詰めていた空気が崩れた。一堂、首を傾げる。

「どういうことです? 紫野は大丈夫なのですか?」

 直利の後ろに控えていた照がおずおずと訊ねる。紫野自身もまた、わけがわからないといった顔をしていた。

「俺の、神の問いに嘘をつけば罰を受ける。しかし俺自身がそれを嘘だと見抜けなかったり罰が手ぬるければこうして異変が顕れるんだ」

 重大な嘘をついたり、神への誓いを破った場合は命さえ危うい。この程度で済んだということは、対して害のない嘘だったのだろう。

 しかし、昨日の今日だ。さすがに何を問うたのか、梛紗も覚えている。

「で、では、真実を言えば元に戻るのですね?」

 安堵したように照が言うと、紫野はびくりと震えた。直利も娘の肩を叩いて促す。

「さぁ、紫野。本当のことを言いなさい。――ところで梛紗様、何を問うたのですかな?」

「いや、まぁ、その……」

 歯切れの悪く答えに窮していると、俯いた紫野がぷるぷると震え出した。見ればその顔は左目の紅と紛うほどに赤く染まっている。

「……り」

「な、何? 紫野様? 聞こえない」

 側に寄ってきたいとがその耳を近づけると、紫野は勢いよくしゃがみ込んで顔を覆った。

「無理~! 無理無理無理! 言えない! 言わない! しかもこんな大勢の前で!!」

 まるで子供の癇癪みたいに叫ぶ。

 対面の間の外には家中の者たちが集まり、屋敷の外には野次馬もいる。そんな状況に絶えきれなかったらしい。

「……まぁ、嘘を重ねなければ悪化はしないし、痛みがなければ放っておいてもいいんじゃないか?」

 当人は口を割るつもりがなく、このままでは埒が明かない。

 頬を掻きつつ告げた梛紗の一言でその場はひとまず収まったのだった。

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