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赤く染まる

 稲刈りを終えた田んぼで子供たちの笑い声が響いていた。

 駆け回る子らの中心には雪緒がいる。素早く、高く跳ねることもできる雪緒を捕まえる遊びだった。しかし触れるどころか影すら踏めない。

「楽しそうね。わたしも混ざろうかな」

 そこに紫野がやってきて竹の皮の包みを開く。中には粟餅が入っていた。

 わっと集まってきた子供たちがそれを手に取って頬張る。

「紫野様がお相手では、すぐに捕まってしまいます」

 雪緒も餅をひとつ受け取り、苦笑いした。十年前より髪は黒くなってきたものの、相変わらずうさぎの耳を持ち、七歳くらいの幼い姿をしている。

 彼の背丈を紫野が追い越してから、もうずいぶんと経った。

 田を囲う土手には梛紗が腰掛けていて、紫野もその隣に座る。

「ねぇ、姫様。武術を教えてよ。俺たち、強くなって郷を守れるようになりたいんだ」

 子供たちのひとり、小太郎がいち早く餅を食べ終えると勢い込んで紫野に訴えた。

 先日の窃盗騒ぎもあってか、郷全体に警戒感の高まりがある。

 しかし、それはこの福垣の郷だけに限った話ではない。

 都で新しい帝が即位したのは二年ほど前のこと。その際、畿内に領地を持つ守護らに下された即位料段銭(そくいりょうたんせん)――臨時の増税――によって多くの村落が立ち行かなくなった。

 応仁の乱から続く困窮にとどめを刺され、追い詰められた人々は一揆を起こす。守護職の武士を打ち倒すこともあれば失敗して郷を失うこともあった。

 そして豊かな郷があればそこから奪おうとする。先日の騒ぎのように。

 須磨浦は明からの貿易船が入ってくる兵庫津に隣接している。そこから生糸や陶磁器などがもたらされ、郷の男たちは馬借として荷を都へ運ぶのだ。農閑期にも利益を得られる仕事は貴重で、この郷は余所に比べれば潤いがあった。直利の差配と梛紗の加護もあってか田畑の実りは安定しており、民を養うことができている。

 だからこそ狙われる。さらに破綻した郷のぶんを補填するため、生き残っている郷には上役である守護から税を課せられる。そしてまた潰れる郷が出てくる。悪循環だった。

 その空気感を子供たちも感じ取っているようだ。雪緒との追いかけっこも遊びでありつつ軍事訓練のつもりなのだろう。

「わたしも姫様みたいに馬に乗ったりしたいな」

 六歳の女の子、さちまでそんなことを言う。しかし紫野は決して笑い飛ばすようなことはしなかった。彼女自身、その年頃には学問も武芸も学んでいたからだ。

「いいよ。でも、今日は袴を穿いていないから今度教えてあげる」

 そう紫野が答えると、子供たちはわぁっと歓声を上げた。そしてまた雪緒に獲物役を頼み、追いかけっこが始まる。

 紫野が体得しているのは小具足という格闘術だ。用いるのは短刀や脇差、あるいは小太刀という短い刀身の刀だけで、防具も最低限。体術のみで敵を制圧する護身術でもある。

 直利と照のただひとりの子。紫野はまるでそれを補うかのように、幾人分もの才能をその身に宿していた。もっとも、それは懲罰的に無理難題を課された彼女がなんでもすぐ物にしてしまうからで、もはや直利も照もお手上げ状態となっているのが真相だった。

「……子供たちに戦の真似事なんてせさたくはないんだけどね」

 そう言いつつ、紫野は残った粟餅を口にする。梛紗も同じく餅を食べながらつぶやいた。

「俺から見ればお前だってまだ子供だ」

 まだ十五。けれど、もう十五だ。

 あれから十年。あっという間だった。

 この先の十年も二十年も、あっという間なのだろう。

 それを思うと山から下りて麓の社に居着くようになったのを少し後悔する。

 山に入ってきて煩くされるのが嫌だった。最初はそんな理由で、でも今はこの暮らしに慣れてしまって。

 人に近づいたぶんだけ、人の表情がよく見える。言葉を交わせば情も湧く。人々もまるで梛紗と雪緒を隣人のように扱っており、今日のように子守を丸投げされるようなこともあった。

 そんな十年間、紫野は変わらず梛紗を友と呼んで過ごした。社に来ては覚えたばかりの和歌や物語を諳んじてみせるなど、一時も黙ることがない。おかげで梛紗もすっかり覚えてしまった。

「そうね、子供ね。じゃあ一緒に遊んでくれる? うさぎ姿の梛紗のお腹にまた乗ってみたいな」

 冗談めかして返す紫野は指先で梛紗のお腹をつんつんと触る。それを制止するように彼女の手を掴んだ梛紗は、眉根を寄せてその指先を見た。

「なんだこれ」

 爪が赤く染まっている。けれど血ではない。

「あぁ、これね。鳳仙花の花と鬼灯の葉で、いとと一緒に染めてみたのよ。綺麗でしょ?」

 要するに爪に施した化粧である。若い娘たちが好みそうなことだった。

 上手いこと染めるものだと感心し、梛紗はまじまじとそれを見つめる。

「まぁ、綺麗だとは思うが。俺は元のお前の手のほうが好きだ」

 率直に思ったことを言っただけだ。見慣れているほうが好ましい。

 しかし、紫野は黙り込んでしまった。普段は間髪入れずにすぐ言い返してくるのに。

「あ、え、っと。……そっかぁ」

 ようやく声を発したが言葉になっていない。そこまで意表を突くようなことを言っただろうかと思っていると、紫野は手を引っ込めて爪を隠すように手のひらの中に握りこんだ。

「で、でも、これは十日ほどで薄くなって消えるから。そしたら、もうしない。絶対に」

「いや、俺は別にそこまで言ってな――」

「ちょっと興味本位でやっただけだから。面白いよね、布みたいに染まるんだもんね。もしこれで目とかも染められたらもっと面白かったかもね。あ、胡人って知ってる? 明より遠くにある国の人たちで髪は黄金色で目は青いんだって。そんなふうなれるか、も――」

 梛紗の言葉を遮って急に饒舌になった。立ち上がって喋りながらじりじりと後退り、斜め後ろに体が傾ぐ。

 土手の縁から足を滑らせたのだ。わたわたと宙を掻く紫野の手。しかしその努力も虚しく華奢な体は土手の斜面に――転がる寸前、梛紗がその手を掴んだ。

 ぐいっと力任せに引き寄せて、腕の中に彼女を閉じ込めるとそのままごろごろ斜面を転がる。

 田んぼの縁まで転がり落ちて、ようやく止まった。目が回る。その回転する視界の中、腕の中の紫野がもぞもぞと動いた。

「無事か。びっくりさせるな、阿呆め」

 ほっとして、その頭を撫でる。彼女がまだ幼かった頃のように。

 しかしその手の感触に紫野はびくっと震えた。そして大慌てで身を離すと弾かれたように立ち上がる。

「きょ、今日はもう帰る! 助けてくれてありがと! またね!」

 子供の頃と同じように手を振ってくれたが、顔は背けたままで走っていってしまった。

「なんだ、あいつ」

 半身を起こした梛紗がそれを見送って呟くと、子供たちが遊びを中断して集まってきて、ぐるりと包囲された。

「え、わかんないの?」

「何百年も生きててそれ?」

 さち、それから小太郎に呆れたように言われた。

「梛紗様はずっと山に引きこもっておられたので……」

 さらに雪緒が擁護なのか貶してるのかわからないことを言い、梛紗はその場に胡座をかくと、片膝に肘を載せて頬杖をついてむすっと唇を尖らせる。

 それを揶揄するかのように、遠くでカラスが阿呆と鳴いた。



 屋敷まで駆け戻ると、いとが門から顔を出した。ちょうど紫野を捜しに出ようとしていたらしい。

「あ、紫野様! また勝手に出掛けて! せめて言伝くらいして……あれ? なんか顔赤くない?」

「え!? そ、そうかな? 夕日のせいじゃない?」

 さすが姉妹同然に育った侍女だ。誤魔化そうとしたが、疑わしそうに顔を覗き込んでくる。

「えー、嘘だぁ。夕日なんかでこんなに赤くは……はっ! まさか!」

 何か思い当たったらしく、いとが衝撃を受けたように仰け反る。その大袈裟な反応に紫野はぎくりとした。

「あの紫野様が風邪を引いた!? どうしよう明日は槍どころか薙刀と長巻も降ってくるよぉ!」

「弁慶ならきっと大喜びね」

 的外れな答えに、ほっとしつつ軽口を叩く。

 いとの爪も赤く染められているが、水仕事の多い彼女の爪は紫野より早く色が落ちるだろう。

 その時にはまた一緒に染めようと言われるだろうか。言われたらどう断ろうか。

 今はまだ何も考えられない。

 ずっと友達だと思っていた。

 なのに、たったの一言で変わってしまった。心の奥まで濃く、深く、世界が紅色に満たされる。

 もしかしたら彼を見るこの目が赤く染まってしまったのかもしれない。

 いいや、違う。ずっと赤かったのだ。彼を見る紫野の眼差しは。

 雪の降る日に出会ったあの時から何も変わっていない。

 ただ、気付いただけ。気付いてしまった。

 彼と同じ時間を歩んでいくことは決してできないというのに。

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