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姫武者

 月に雲がかかる夜。足音を殺して郷を駆ける影が五つ。

 水板倉の扉の前で、声を潜めて相談し合う。そしてひとりの男がおもむろに、手斧で海老錠を叩き切った。

 倉に忍び込んだ男たちは籾米の詰まった俵を担ぎ出る。

「おい、誰だ? そこで何をしてる?」

 物音を聞きつけた郷の者が松明を掲げて誰何する。その途端、俵を担いだままの男たちが一斉に走り出した。

 郷を囲む空堀まで一気に駆け抜けて飛び込むと、待ち構えていた仲間二人が支える縄梯子を使って次々に堀の外へと脱出する。

 そして再び俵を担いで走り出し、郷から離れたことで逃げ切れたと安堵した時だった。風切り音が鋭く響き――俵ひとつに矢が突き立つ。

 その俵を担いでいた男が、ひっと悲鳴を上げたと同時に第二、第三の矢が他の俵にも突き刺さる。

 風が吹く。月にかかっていた雲が流れる。男たちが矢の飛んできた方角――郷のほうを振り返ると、二百間(約三五〇メートル)以上後方に、馬に乗った人影があった。

 若武者。いや、長い黒髪を組紐で束ねた十五歳前後の少女。小袖に裁着袴を穿いて、月を背に馬を駆りながら弓を構えていた。

 間髪入れずに四番目と五番目の俵も射られる。そこで、ひとりの男が気付いた。

 矢はすべて、俵を縛る縄の結び目に刺さっている。

 偶然ではない。急所を狙って外したわけでもない。あえてそこを狙ったのだ。

 つまり、それは警告だった。

「次、同じ順に頭を射るぞ!」

 迫り来る馬上から朗々と声が響いた。少女は背に負った(えびら)から引き抜いた矢をつがえる。

 その瞬間、男たちは一斉に悲鳴を上げて、担いでいた俵を放り出すと転がるように逃げていった。

 捨てられた俵の前で馬を止め、少女はほっと息をついて構えていた矢を箙に戻す。

 威嚇だけで済んで良かった。できる限り傷つけたくはなかったから。

 そんな少女の眼前、月影を背負い、空からふわりと白い影が舞い降りる。

「おい、無茶をするな」

 狩衣を着た青年の姿をした、山の麓の社に棲む神、梛紗だった。

 その後ろからうさぎの耳を持つ少年、雪緒も追いついてくる。かつて真っ白だった雪緒の髪は、その根元からまるで水墨画のように黒く染まりつつある。

「月夜に跳ねるうさぎだなんて、ずいぶん風流ね。これで小言がなければもっと良かったのに」

 冗談めかして言う少女――紫野に梛紗は苦々しく続けた。

「騒がしくて様子を見に来てみれば、何をしてるんだお前は。もし伏兵でもいたらどうする?」

「それはないわ。あの人たち、手斧や鎌を持ってはいたけど武器らしい武器はなかった。担ぎ手の交代もいない。つまり応戦する気も、そんな人員も武力も持ってないってこと」

 乗っている馬の首を労うように撫でながら紫野は答える。

 捕らえられ、私刑を受けるかもしれない危険を犯してまで窃盗を実行するなら刀や槍が欲しいところだ。

 須磨浦といえばかつて一ノ谷にて戦があり、討ち死にした亡骸を弔ってやる代わりにと刀などを拝借した農民や漁民もいた。そういった経緯で銘の有無を問わず農村に名刀が隠れているのはそう珍しいことではない。紫野の浜戸家にも、怪我を負った源氏方の武士を世話した礼に賜ったという短刀が伝えられている。

 しかし困窮すると、そういったものは真っ先に売られる。価値があろうとなかろうと、鋼は貴重だ。金になる。

「自分の郷を失った人たちなのかもしれませんね」

 男たちが逃げ去っていった方角に目を向けて雪緒が言うと、紫野も頷く。

「食べるために必死なんだろうね。でも、これがないとうちの郷の人たちも同じになってしまうわ。強奪を一度でも許してしまうと、あの郷は盗りやすいと噂になってもっと大勢で来られるかもしれない。だから申し訳ないけどひとつも渡せないのよね」

 わずかに眉尻を下げ、同情をその顔に浮かべるものの紫野は決して絆されるようなことはなかった。

 そんな話をするうち、郷から松明の明かりが列をなしてやってきた。先頭には馬に乗った直利がいて、紫野の姿を認めると下馬して安堵の表情を浮かべる。

「紫野、無事か! 倉が荒らされたと報せを聞いた途端、単騎で飛び出していった時はどうなることかと……。梛紗様と雪緒殿もお出ましいただき痛み入ります」

「いやいや、殿! 見てくださいませ、この矢! ぜぇんぶ縄の結び目に中てておられますよ! さすがうちの姫様だ!」

「米泥棒も相手が悪かったですなぁ」

 馬から下りて見聞していた家臣たちが、笑顔さえ浮かべて俵を指差して言った。それを聞いて直利も諦念じみた苦笑いを浮かべる。

「しかし、照とそよも心配していたぞ。いとはお前を追いかけようとして転んで顔面を打っていた。帰ったら謝っておきなさい」

「うわ、きっと『これでまた背が縮んだらどうするの!』って怒るんだろうな」

 物真似を交えて紫野が言うと、その様子がありありと浮かんだ。走って追いついてきた郷の民たちや家臣たちも同様だったのか、どっと笑いが起きる。

 人間らしい情を持ち、しかし守るべきものとそれ以外を明確に線引きできる冷静さも併せ持つ。明るく優しく郷の誰からも愛され、さらには幼い頃から学問に親しみ武芸も達者。

 そして何より、その美貌。評判は遠く都にまで届いているという。

 涼しい夜風の吹く処暑の頃。紫野、十五歳の秋だった。

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