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縁結び神社の神様は働きたくない

「えっ」

 うさぎが人参で殴られたような顔で梛紗は目を丸くした。

「うちは縁結び神社よ。縁を切るしか能の無い神様なんかいらないの」

「待て」

「これで清々するわ。明日にでも荷物をまとめて出て行ってね。荷物があるかどうかは知らないけど」

「ちょっと待て」

「何? 申し開きでもしたいの?」

「なんて非道な奴なんだ! うちにはまだ小さな子もいるのに!」

 梛紗は背後にいた雪緒をぐいっと前に押し出して同情を買おうとした。さっきまでの神様然とした態度はどこへやら。素をさらけ出して見苦しいにもほどがある。盾にされた雪緒は申し訳なさそうに俯いてしまって、紅音は深々と溜め息をついた。

「縁結びと縁切りは表裏一体。これから心を改めて本来の役目を果たしてくれるというなら考え直してあげてもいいけれど」

「いやそれはちょっと」

「どうして?」

「……リア充は爆発すればいいと思う」

 拗ねた中学生みたいに視線を逸らして言った。とんだ答えに紅音は遠慮なく渋面を作る。

「あなた神様なんでしょう。どこで覚えてくるの、そんな言葉。しかもちょっと古いし」

「ここに参拝にくる連中がよく言ってた」

 恨み節に溢れた絵馬掛所が脳裏に浮かび、一瞬だけ納得しそうになった。だがしかし紅音は退かない。

「つまり個人的感情に基づいた職務怠慢というわけね。わかったわ。出て行って」

「待て待て待て」

「待たない。あなたとは話す値打ちもないようだし」

「俺に何か価値があればいいのか?」

 ぐぬぬ、とでも言いたそうな顔をして梛紗は紅音を見据えた。そしてなぜか堂々と胸を張る。

「だったらここで働こうじゃないか」

 解雇寸前だというのに偉そうだ。紅音も負けじと腰に手を当てたまま冷ややかに目を細めた。

「クビだと言ったはずだけど? わたしの願いはなんでも叶えなきゃいけないんでしょう?」

「それはわかった。縁結びの神はクビでいい。縁なんぞ、どうせ結ぶ気はないしな。これはその後のことだ。神としてじゃなく下働きとして雇えと言っている」

 さも名案みたいに言う。しかし紅音はまだ態度を崩さない。

「つまり助勤として出仕するというわけね。でもあなたを雇うメリットなんてあるかしら」

「あるさ。なんたって俺は顔が良い」

「不採用」

「なんでだ!? 目の保養になるぞ!? 見る栄養剤だぞ!? ご近所でも評判になるぞ!?」

「顔の良さならわたしだけで充分間に合ってるわ」

「うわ、こいつ」

「客観的事実を述べたまでよ」

 しれっと答えた紅音に梛紗は呆れた顔をしたが見事なブーメランである。美しい二人が醜い押し問答をする中、ずっと黙っていた雪緒がおずおずと紅音に歩み寄ってきた。

「我が主の非礼をお詫びします。けれど、あの、どうか我々をここに置いてはいただけませんか。祀られる社を失えば我々は消えるしかないのです。人々の縁結びの願いは私が聞き入れます。これまでもそうしてきました。力及ばず、なかなか上手くはいかないのですが……」

 幼い顔つきながらもしっかりとした言葉で訴える。だからこそ紅音は更に呆れて梛紗を見る目を細めた。

「あなた、こんな子供を働かせて自分は仕事を選り好みしていたの?」

 紅音の詰問に梛紗はむすっと唇を尖らせてそっぽを向いた。そんな主人の態度を隠すみたいに雪緒が二人の間に割って入って深々と頭を下げる。随分と健気だ。

 溜め息をつき、紅音は肩をすくめた。

「……今までの怠慢のペナルティとして、しばらく給与は出ないわよ」

「……! それでは……!」

 紅音の言葉に雪緒の表情がぱっと明るくなる。その背後で梛紗が悠然と頷いた。

「よし、交渉成立だな。これは誓約だ。覆せないぞ。――お前も、俺もな」

 真面目くさった顔で彼がそう言うと、風が強く吹いて桜吹雪が視界を覆っていく。

 薄紅の光に意識が溶けていく中で、紅音は梛紗の笑みを見た。

 小憎たらしい笑みだった。

 けれど一瞬。ほんの一瞬だけ、その眼差しが泣いているように見えた。



 スマホのアラームが鳴る三分前に目が覚める。

 紅音は寝起きが悪いほうではない。けれど、毎夜のように見る夢のせいで眠った気になれない。だからどれだけ早寝早起きを心がけても常に寝不足のように頭が疲れていて朝から機嫌が悪かった。昨晩の夢は少しばかり変則的ではあったが、疲れる夢だったのは同じことだ。

 溜め息を零し、ベッド脇に目を向け――片眉を跳ね上げる。

 そこには小さな籠が置かれ、中にはタオルが敷いてあったが、それ以外には何もない。

 部屋の中をざっと見渡しても小さな毛玉の姿は見えなかった。代わりに机の横の窓が拳ひとつぶんほど開いており、カーテンが微かに揺れていた。



 白衣に袖を通して緋袴を穿き、掃除道具を持って境内に出る。

 まだ朝の五時過ぎという時間だが、日課であるので特に苦ではない。それに、境内には先に人影があった。

「おはよう、紅音」

 紅音の父、智春(ともはる)である。智春は作務衣姿で竹箒を持ち、眼鏡の奥で朗らかに微笑んだ。

「相変わらず紅音はきっちりしているねぇ。今日も学校なんだろう?」

 巫女装束を着て掃除を始めた紅音に感心したように問いかける。紅音は石畳に積もった桜の花弁を掃き清めながら答えた。

「もちろんよ、平日だもの」

「高校は中学より少し遠いだろう? 朝くらい楽な格好でいいんだよ、この後制服に着替えるのに面倒じゃないかい?」

 智春なりの気遣いだったようだが紅音はやはり手を止めることなくそれを否定した。

「アピアランス――体裁を整えるのは大事なことよ。朝早くだろうと参拝に来る人はいるかもしれない。もしその時にジャージ姿で掃除をしていたら、巫女としてのわたしの値打ちが下がってしまうじゃないの。これは付加価値なのよ」

「あぁ、そう……」

 戸惑ったような相づちを打って、智春もまた掃除を再開した。紅音は一事が万事この調子なので、もはや何も言うまいといったところだろう。

 見た目というものは大事だ。紅音が長い黒髪を保っているのもそのためである。白い小袖と緋袴に長い黒髪。これは巫女としての重要なアイコンであり、外すことはできない。

「そういえば、今日の朝ご飯はパンケーキらしいぞ。焼きたてを食べて欲しいから掃除が終わったらすぐ母屋に来なさいって母さんが言っていたよ」

「ええ、わかったわ」

 互いに手を休めることなく父と娘は言葉を交わす。

 高継家には母屋と離れがある。母屋は社務所と繋がっており、父と母の住まいだ。

 その母屋の、参道を挟んだ向かいに位置するのが離れである。かつては蔵が二つ並んいた場所で、老朽化のためにその片方を取り壊し所蔵品をもう一方に集約して空いた土地に建てた家だ。父と母が結婚する際、若夫婦のためにと祖父が用意した家で、紅音が九歳になる頃までは両親と共に離れで暮らしていたが、祖父が他界したのを機に母屋へと移った。社務所と繋がっているために母屋のほうが使い勝手が良かったのだ。

 二階建て2LDKである離れは賃貸やシェアハウスとして貸し出そうとしたこともある。しかしながら縁切り神社の敷地内とあって借り手はさっぱり現れなかった。定期的に手入れはしていたものの、持て余していたこの離れに紅音が一人で住むと宣言したのは中学一年になった春のことである。

「人の住まない家は傷むのが早いわ。このままでは資産価値が下がっていく一方だし空き家は固定資産税もかかる。だったらわたしが住みながら管理したほうが良いでしょう?」

 もちろん両親は面食らったが年頃だったこともあり単なる反抗期の一種だと思ったようだ。飽きるまでやらせてみようと許可してくれた。しかしながら紅音が日々離れの掃除を欠かさず手入れに余念がない様子を見て本気だったと悟ったらしい。以来、紅音は離れで一人暮らしをしている。

 とはいえ、両親が課したルールもあった。それは食事は必ず家族一緒に食べること。

 これには紅音も反対する理由はなかった。食事は一緒に用意したほうが効率が良いし、諸々の都合も良い。特に、ある事情を抱える紅音にとっては。

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