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閑話・縁切り神社のアルバイト

 平日の昼間、卯山神社は静寂に包まれる。

 観光客に人気の有名神社なら曜日に関わらず賑わうのだろうが、縁遠い話だ。なんなら土日でも閑散としている。

 紅音が常々、ここの住所地が京都であればとぼやいている。京都の縁結び神社となれば地名が持つブランド力にあやかることができるのに、たった数十メートルの距離が憎い、と。

 しかしここ数日、ちらほらと人の影がある。しかも縁切りではなく、写真撮影が主目的といった様子だった。人々が熱心に撮っていくのは手水舎だ。

 里穂子が選んで買ってきた花を、智春が生けるようになった花手水。それが功を奏しているようだった。

 ただ、これにより別の問題も発生している。

 写真目的の参拝者はそれ以外に興味がないのだ。

 縁切り目的の参拝者の多くは絵馬を買う。当人にとっては切実な願いであるから、しっかり金を落としていってくれる。

 写真だけ撮って満足して帰って行く者が増えたところで利益にはならない。

 そんなことは紅音にもわかっているはずだが、まずは参拝客の母数を増やしたいといったところか。まず認知度がなければどうにもならない。

 それに、縁切りなどに興味のない人々が訪れることで『参拝したけど悪いことなど何も起こらなかった』という感想を抱く人も増えていく。彼女の狙いはそこにあるようだった。

 よって社務所も相変わらず暇である。

 朝の掃除を終えた後は九時から開けている社務所であるが、今日は境内で跳ね回るすずめを眺めているだけですでに二時間が経過した。なんなら昨日もこんな感じだった。

 誰もこないのをいいことに、梛紗は大きなあくびを繰り返す。

 ひとりきりだ。雪緒は紅音にパソコンを借りて小学校のリモート授業を受けている……ということになっている。訳あり兄弟の弟という里穂子の思い込みに合わせた結果だ。

 実際、離れにはいるものの、本を読むなどして過ごしている。紅音の部屋の蔵書は好きに読んで良いということになっていた。

 雪緒はそれを申し訳なく思っているようだったが、小学生に見える雪緒が平日の昼間に神社にいれば、子供を学校に行かせていないと思われてしまう。下手をすれば炎上案件だ。紅音にとってそれは避けたい事態である。

 話し相手もいないので、無為に時間が過ぎていく。

 別に、今まで通りだ。以前は人間に視認されないよう姿を消して、屋根の上などで日がな一日、景色を見て過ごしてきた。何百年もずっと。

 中には強い霊力を持つ人間もいて、気配を悟られるようなこともあったが、だからといって何もない。ただただ、ずっと見ていただけ。

 紅音が産まれた時もそうだった。

 衝撃的だった。産院から戻ってきた里穂子に抱かれた、赤子だった彼女から感じ取った魂の気配は紛れもなく――

「あのぉ」

 おずおずと掛けられた声に、視線を上げる。

 そこには若い女が立っていた。目が合うと、ぎょっと驚いたように目を瞠る。

「あ……えっと、御朱印、お願いしてもいいですか?」

 しばし梛紗の顔に見とれた後、はっと思い出したように手にしたものを差し出してくる。表紙に西陣織の金襴を用いた豪華な意匠の御朱印帳だった。

 蛇腹状のページはすでに半分ほど埋まっている。訪ねた先々の神社で、こうして御朱印を集めているようだ。

「ちょっと待っててくれ」

 受け取って席を立つ。向かったのは書道教室をやっている和室だ。

 襖を開けると、定年退職した年齢層の男女数名が和気藹々と文机に向かっていた。平日昼のシニアクラスだ。

 リタイア後のカルチャー教室であるから、雑談をしながらの楽しい時間。しかし梛紗が姿を現すなり、ぴたりとおしゃべりが止んだ。

「パパ殿、御朱印の依頼だ。よろしく頼む」

「あ、あぁ、うん」

 しんと静まりかえった中で、御朱印帳を受け取った智春が社名と本日の日付を墨書きする。美しい筆遣いだった。

「この上から印章を捺してあげて。印章の場所、わかるかな? 社務所の机の上にあるんだけど」

「わかった。任せてくれ」

 そう答えて智春から御朱印を受け取り、襖を閉めた。その途端、教室内がどっと沸く。

「ちょっと先生、今の子誰ですか!?」

「いやその、最近雇った助勤さんで……」

「でもパパって言ってたわよ!? たしか娘さんしかいなかったわよね!?」

「それは里穂子さんが冗談でそう呼んでほしいと言ったものだから……」

「とんでもない男前で心臓止まるかと思っちゃった! 手が震えて今日はもう何も書けないわ!」

「書いてください、受講料もったいないですよ」

 質問攻めに遭った智春の困ったような返答が襖越しから聞こえてくる。今日はもう授業にならないだろう。

 社務所に戻った梛紗は言われた通りに印章を捺す。まだ乾ききっていない墨と朱肉が移らないよう、薄紙を一枚挟んで参拝客の女性に返した。

「三〇〇円だ」

「は、はい。あと、絵馬もお願いします」

「そっちは八〇〇円だな」

 すでに用意し、手に握っていた千円札と一〇〇円硬貨を差し出してくる。それを受け取る際、わずかに指先が触れた。

 とたん、女性の頬にさっと朱が差す。

「あ、ありがとうございます!」

 女性は深々とお辞儀をしてから社務所を離れ、絵馬掛処の横に設置してある記入台で絵馬を書く。その輪郭が揺らめき、絡みついていた因果の糸がはらはらと解けて消えた。

「吹っ切れたか。そりゃ良かった」

 抱えていた悩みは自己解決したようだった。縁切りの太刀で切るまでもなく。

 去り際、女性はもう一度梛紗に向かってお辞儀をする。

 彼女が掛けていった絵馬にはこう書かれていた。

『元カレのことなんかもうどうでも良くなりました! ありがとうございました!』

 身バレ防止なのだろう。文末に記されたその名前は愛称らしき『りーちゃん』だった。

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